【「嗜む」のすすめ】ゲームの愉しみに焦がれ本を嗜む
私達が密かに大切にしているものたち。
確かにあるのに。
指差すことができない。
それらは、目に見えるものばかりではなくて。
それらを、ひとつずつ読み解き。
それらを、丁寧に表わしていく。
そうして出来た言葉の集積を嗜む。
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■テキスト
「[増補版]知の編集工学」(朝日文庫)松岡正剛(著)
本書刊行時の時代背景と執筆時の思い、そして、今回、増補した制作経緯を明かし、あらためて「知の編集工学」で問おうとしたメッセージを、以下の5つの視点で解説しています。
1.「世界」と「自己」をつなげる
2.さまざまな編集技法を駆使する
3.編集的世界観をもちつづける
4.世の中の価値観を相対的に編み直す
5.物語編集力を活用する
これらの視点の大元には、「生命に学ぶ」「歴史を展く」「文化と遊ぶ」という基本姿勢があることも、AI時代の今こそ見直すべきかもしれません。
■ゲームの愉しみ
映画の編集とは、撮り終わったフィルムを切った貼ったするだけのことではありません。
映画監督の頭の中では、編集とは、創作の本質に関るものだそうです。
黒澤監督は、
「映画の本質は編集である」
とか、神戸製鋼のラクビーを7連勝に導いた平尾誠二氏も、
「ラクビーは編集である」
とか、故梅棹忠夫国立民族博物館長も、
「編集という行為は現代の情報産業社会の幕開け」
と言っていましたね。
京都の料亭「美山荘」の故中東吉次氏も、
「料理は編集である」
と語っていました。
料理の作り方は、一種プログラミングであり、京都の懐石料理では、出される料理の種類だけでなく、一皿の中に、「はしり」、「旬」、「名残り」の3種の材料を盛り付けられています。
ここにいう「編集」とは、大変魅力的な言葉ですね。
ニュース報道は、客観的事実を伝えていると思いがちですが、とんでもない、テレビのニュース報道にも激しい編集が加えられています。
テレビのニュースのテロップ(書き文字)がやたら目立つようになり、その言葉は、まるで週刊誌のように扇動的です。
電車の宙吊り広告、テレビ番組のヘッドライン、本の帯タイトルにも読みたくなるような、見たくなるような、買いたくなるようなアトラクティヴフラッグが書かれています。
編集という基本的な特徴は、人々が関心を抱くであろう情報の塊(クラスター)を階層付けて提供してゆく作業のことです。
こうして編集とは、対象となる情報の構造を読み解いて、それを新たなる意匠で再生するものです。
このように編集とは、広範囲な領域に適用される柔らかい手法でもあります。
連想ゲームという遊びがあります。
「風が吹いたら桶屋が儲かる」という因果関係の連鎖ゲームではなく、何が出てくるか分らない言葉の分岐ゲームです。
ひとつの言葉には、周辺領域が広がっていて、様々なイメージがぶら下がっています。
ひとつの言葉は、常に、なにかの言葉につながろうとしています。
連想ゲームは、デマの伝達の研究やコミュニケーション論につながってゆけるので面白いなって思います。
言葉は、記号に過ぎないのですが、言葉によって、それに対応するイメージを喚起することが出来ます。
言葉の辞書には、イメージの地図が連関していることが出発点となります。
どのように二つが対応するのかは、「ツールの群」が必要で、経験によって獲得するとか、本来人間には、文法を生成する能力があるとか説があるそうです。
情報連鎖の関係を編集と言ってもよく、連想ゲームは、言葉遊ではありますが、遊びの本質は、編集にあるということらしいです。
確かに、遊びには、わくわくするような知的興奮が隠れています。
遊びの種類には、
①アゴン(Agon)
「競争」のかたちをとる遊びの群。
スポーツはもちろんのこと、個人・団体を問わず、また道具の有無も関係なく競争の形式をとるものがこれに含まれます。
ex. ボクシング、サッカー、オセロ
②アレア(Alea)
ラテン語で「サイコロの遊び」を意味し、独立の決定の上に成り立つゲームの一群を指します。
アゴンが遊戯者の力の優劣によって結果が左右されるのに対し、アレアは遊戯者の力が及ばないところで勝負が決定する点で対照的だと主張します。
ex. 賭け、ルーレット、富くじ
③ミミクリ(Mimicry)
ミミクリは英語ではmimic(真似)にあたり、その人格を一時的に忘れ別の人格を装う虚構の世界における一人格を演じる形式をとるものを指します。
ex. 仮面、子供の物まね、演劇
④イリンクス(illinx)
イリンクスは「眩暈(めまい)」という意味です。
ジェットコースターなどに乗った時のめまいや絶叫を表しています。
そうした眩暈や失神に似た状態を伴う遊びの形式をこれと位置付けています。
ex. メリーゴーランド、ぶらんこ、空中サーカス
⑤パイディア(Pidia)
即興と歓喜の間にある、規則から自由になろうとする原初的な力
⑥ルドゥス(Ludus)
恣意的だが強制的でことさら窮屈な規約に従わせる力
あるといわれ、パイディアとルドゥスが編集の本質であるそうです。
日本の伝統的言葉遊びである連歌、句会にも通じていますね。
ルールを設けて情報の連鎖を楽しむのです。
このような座の状況は、編集的状態にあると言えます。
<参考図書>
「遊びと人間」(講談社学術文庫)ロジェ カイヨワ(著)多田道太郎/塚崎幹夫(訳)
<参考記事>
いまどき、いろいろな装置に便利なマイコンが埋め込まれているのですが、人口知能(AI)といっても人間の能力と比較するのも可哀そうなくらいお粗末な能力です。
コンピュータが出来ない人間の諸能力とは、
①情報を処理編集しながら、同時に適切な表現様式を自在に選んでいることである。
感情と行為(経験)が伴っているために知的判断は極めてスムースにゆく。
②人間の知的判断には、たくさんの役柄の振り分け・変更が起っている。
全体をざっと掴んでその場になりきっていることである。
③部分と全体を適当に取り替えながら判断を進めることが出来る。
全体を見て判断を仮止めしておき、詳細を検討できるのだ。
④状況に応じて問題解決のための方法を絶えず発見的に編み出していることである。
試行錯誤できる能力の事である。
⑤非言語処理の能力に優れ、ルールを自分で作り出して仕事を進めることである。
このように、能力の劣ったコンピュータを人間に近づけることは、しばし置いておいて、人間の潜在的な能力「編集能力」を考え直す方が効果的ではないかと考えられます。
ニューロコンピュータの並列的情報処理・学習に注目が集まった時期がありましたが、いまだにニューロコンピュータは出現していません。
それは、
「脳の情報処理には、直列型の論理計算と並列型の直感思考がある」
と考えたことが、短絡であったようです。
まだ、脳科学が、脳を、上手く理解ができていないことの裏返しでもありました。
人間の学習能力は、実は、対話型で、遊び的なのです。
学習対象を見て、生き生きとした学習意欲がおきるのは、対象と対話しながら進めるためです。
それは、編集能力でもあると考えられます。
■2夜20冊目
2024年4月18日から、適宜、1夜10冊の本を選別して、その本達に肖り、倣うことで、知文(考えや事柄を他に知らせるための書面)を実践するための参考図書として、紹介させて頂きますね(^^)
みなさんにとっても、それぞれが恋い焦がれ、貪り、血肉とした夜があると思います。
どんな夜を持ち込んで、その中から、どんな夜を選んだのか。
そして、私達は、何に、肖り、倣おうととしているのか。
その様な稽古の稽古たる所以となり得る本に出会うことは、とても面白い夜を体験させてくれると、そう考えています。
さてと、今日は、どれを読もうかなんて。
武道や茶道の稽古のように装いを整えて。
振る舞いを変え。
居ずまいから見直して。
好きなことに没入する「読書の稽古」。
稽古の字義は、古に稽えること。
古典に還れという意味ではなくて、「古」そのものに学び、そのプロセスを習熟することを指す。
西平直著「世阿弥の稽古哲学」
自分と向き合う時間に浸る「ヒタ活」(^^)
さて、今宵のお稽古で、嗜む本のお品書きは・・・
【「嗜む」のすすめ】ゲームの愉しみに焦がれ本を嗜む
「一号館アルバム―梅佳代、ホンマタカシ、神谷俊美、3人の写真家による三菱一号館復元の記録 三菱一号館竣工記念展」梅佳代/ホンマタカシ/神谷俊美(著)児島やよい/内田真由美(監修, 読み手)
「美人画 日本が見つめた女性の美」世界文藝社(編)
「pixiv年鑑2009 オフィシャルブック」
「pixiv年鑑2010 オフィシャルブック」
「pixiv年鑑2011 オフィシャルブック」
「バーの主人がこっそり教える味なつまみ」間口一就(著)タケウマ(イラスト)
「年齢別ターゲット戦略グラフィックス」
「スタンダード時事仏和大辞典」稲生永/彌永康夫(編)
「きんぎょ」ユ・テウン(作)木坂涼(訳)
「たいふうがくる」みやこし あきこ(著)
「DVD付初回限定版「×××HOLiC」15巻」(プレミアムKC)CLAMP(著)
「フランスの子ども絵本史」石澤小枝子/高岡厚子/竹田順子/中川亜沙美(著)
「森のフォーレ」堤江実(著)出射茂(イラスト)
■(参考記事)松岡正剛の千夜千冊
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