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【本棚のある生活+α】2023年8月に読んで面白かった本と見応えがあった映画

先月から思い立って始めた自主企画?でもないけど、毎週、週末(現状、毎週、土曜日にアップ予定。)にでも、月毎に読破した本と鑑賞してみた映画を備忘録として紹介しています(^^)

月イチペースで、今月、読んでみたい本とかを、先月の内にリストアップして、特に、今月何冊読むとか決めずに、通勤時とか隙間時間等を活用して読んだりしています。

読書を行っていくと、どのような効能が期待できるのでしょうか?

何事もノリとタイミングで、いい本があったら読もうと考えるより先に、来月は、こんなジャンルの本を読みたいと決めてしまうことでも良いと思います。

何故なら、そのジャンルの本を本屋さんで探しているうちに、面白そうな本が現れるんですよね、これが(^^)

最初の頃は、読んでみると、それほどピンとこないことも多いかも知れませんが、読み切る本を積み重ねていく意識をもって行動することで、読書好きに変わっていけると思います(^^)

先走って、結果として何を得られるのかを先に考えようとすると、どんどんと年月が経ってしまい、一冊も読まない状況を自ら作ってしまいます。

そのため、質を問おうとするより、ともかくある一定量を読んでみることを目標とするのがコツですかね。

1.本を読むことのメリットを覚える。

2.長期性・継続性を目指すこと。

3.頻繁に本屋さんへ行くようにする。

4.人生における基礎体力作り。

5.緊張感を利用する。

6.二宮金次郎のように時間ができたら、開いて読む。(すき間時間の利用)

7.読書する冊数の目標を立てる。

8.本にエンターテイメント性を見出す。

9.選り好みをしない。

10.読書記録をつける。

11.自分を磨くために読む本は自腹で買う。

12.知的な香りのする友人を持っておく。

13.自分が面白そうだと思う本をみつける。

14.常に本を持っておくようにする。

ということで、2023年8月に読めた本や観た映画の中から、特に面白かった本(3選)と見応えがあった映画(3本)のご紹介です。


【特に面白かった本3選】

1.「死を食べる―アニマルアイズ・動物の目で環境を見る〈2〉」宮崎学(著)

「われわれにとって問題は言うことの内容ではなく、そのかたちである」とモンテーニュは言っていましたが、この「かたち」の幸福(表現の的確さ)は、常に、私たちを照らし救ってくれます。

テーマは「死」だけど、こうした幸せが、本書には見いだされると思います。

表紙の魚の目が読者に訴えかけてきます(^^;

目を背けたくなるような動物たちの死に、真っ直ぐにカメラのレンズを定めた渾身の写真集ではないでしょうか。

死を察知した生が、死に群がり、死を喰らうことで生を生きながらえさせる自然界の非情さと残酷さを克明に切り撮った本です。

唯一、省ける生き物があるとすれば、それは、私たち人間だけではないのか。

生きることと死ぬことを考えさせられるページ数は少ないけど、どっしりと重い(思い)創りになっています。

もう一冊は、真っ白い雪に横たわるシカの遺体が死を物語る写真集です。

「死―宮崎学写真集」宮崎学(著)

ひとつの死が次の生へと繋がる過程をカメラで写真に収めた写真集。

刺激の弱い方にはオススメできません。

多くの大人が語らない、人生の社会の残酷さ、冷酷さを投げかけてくれる、そんな内容です。

生半可な気持ちでは最後のページまで辿りつけないでしょうが、ぜひ手にとって読んでみて欲しいです。

2.「料理の意味とその手立て」ウー・ウェン(著)

本書を手にとったのは、帯に書かれた「もやし炒めはごちそうです。」の一言に強く惹きつけられたから。

そう、もやし炒めはごちそうです(^^♪

この本では、医食同源という生活や暮らしに根ざした中国の食文化について著者が23年かけてたどりついた料理の考えをゆっくりと丁寧に解説してくれます。

それは、あまりにもシンプルで驚きの連続であり、素材をおいしくいただくこと。

そもそも、おいしくない素材はないのですから、いつも作る料理がひょっとしていまいちなのは、素材の扱い方(切り方、調理方法、その時間の考え方。)を間違えているのかもしれません(^^;

素材と向き合うこと。

素材のおいしさを味わうこと。

その知恵が詰まった家庭料理のレシピには、家族を想う愛情にあふれています。

彼女のレシピは、一言でいうと、少ない具材と最低限の調味料で素材の味を最大限に引き出すレシピです。

例えば、もやし炒めなら、当然具材は少なく、もやし、太白ごま油、酢、塩、胡椒のみ。

それなのにレシピ通りに作ると、なんともしみじみ味わい深い一皿になるのは、手間のかけどころにあります。

臭みの原因になるもやしのひげ根を取り除いたり。

油をダシと捉えて上手く使ったり。

目指す仕上がりによって素材の切り方を変えたり。

塩を入れるタイミングや火加減を慎重に観察したり。

これらの視点は、一度身につければ、日々の料理の確かな後ろ盾になってくれるはずです。

「今日という一日を大事にして、旬のものを必要なだけ食べる」。

今日という一日を大事にして。

暮らしを感じて。

一食一食を大切にする生活。

変化し続ける時代環境のなかで、変わらず受け継ぎたい食への姿勢が詰まった一冊です。

3.「読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」」カート・ヴォネガット/スザンヌ・マッコーネル(著)金原瑞人/石田文子(訳)

現代アメリカ文学を代表する作家で、アイオワ大学文芸創作講座の講師でもあった故カート・ヴォネガットの創作術を、大学の教え子で作家でもある著者が小説やエッセイ、手紙やインタビューなどをもとにまとめた一冊です。

創作の心構えからテーマの決め方、小説の冒頭の文章に必要な要素や書き直しの重要性、常に読者の存在を念頭に置くこと、収入や心身のケアまでアドバイスは多岐にわたります。

創作術と同時に作家としての苦悩や生き方も伝わってくるので、ヴォネガットファンも満足できる内容だと思います。

どんなインタビューでも、配偶者の見解でも、古くからの友人の証言であっても、あなたの人物像が正しく言い表されることはありません。

それは、広く受け入れられることの可能なイメージのどれかを反復したものであり、あなたの真の姿からはかけ離れています。

自分で描いた自分の像であっても、それは同じです。

真のありかたの書き方を教えることは誰にもできず。

そもそも書き方というものはなく。

なによりもそれは書きうる代物でさえないと推定されます。

誰かに効いた魔法の呪文が他の人に効くとは限りません。

効く方が余程どうかしているのでしょうね。

様々な人の描くヴォネガットの印象は、特に、彼の言葉を引用しながら語る場合は、どれもひどく似通ったものになっていきます。

その印象は心地よいのですが、ヴォネガットの言葉の操作能力によってそうなっているからですん。

何かを伝えることに対する熱意は必須です。

創作の原動力には、つまるところそれしかないと思います。

読み手は、このヴォネガット(創作科の教師をしていた時期がある)のかつての教え子が生き生きと描き出していくヴォネガット像にきっと魅了されるでしょう。

創作を志す場合には、その読み方が間違いないと思います。

創作をしている場合には、そのヴォネガット像に対して違うと唱え続ける必要がきっとあると思います。

【見応えがあった映画】

1.「Coda コーダ あいのうた」

「コーダ」、聞き馴染みのない言葉ですよね。

「Children of Deaf Adult(s)」の略称で、「聞こえない親を持つ聞こえる子ども」を指す言葉が「CODA(コーダ)」だそうです。

知っている方は少ないと思われます。

「Coda コーダ あいのうた」は、フランス映画「エール!」が原作(リメイク)となっています。

同じく聴覚障害の家族を持つ主人公が歌手を目指す物語を、なぜタイトルを変えて新たに制作したのでしょうか。

そこには、監督であるシアン・ヘダー氏の熱意が込められていたそうです。

タイトル、ましてやサブタイトルからは、どんな物語なのか初めは想像もつきませんよね(^^;

映画を観始める前にタイトルの意味を調べた時、自分の無知を恥じました。

「コーダ」と呼ばれる子供たちが存在すること自体、考えたこともなかったからです。

多くの人がそうかもしれないけど、シアン・ヘダー氏は、そんな私たちに、「コーダ」という存在を知るきっかけをくれました。

さて、ところ変わればその印象や設定もガラリと変わるもので、前作ではフランスの田舎町に暮らす酪農一家を描いていたのに対し、本作ではマサチューセッツで漁業を営む家族が、冒頭からパワフルな存在感を焼き付けてくれます。

物語のメインとなるのは、耳が聞こえない父母と兄。

そして、家族の中で唯一耳が聞こえるティーンエージャーの娘からなる4人の家族です。

日々の暮らしの中で、自分の気持ちを素直に伝え合う家族の姿が描かれています。

彼らの表情や行動力は、物語の鼓動となって隅々にまで広がっていく感じがとても素敵な映画です。

観客を傍観者に留めることなく、映画の内へとダイナミックにいざなっていく手腕に、気持ちよく心動かされる自分がいまhした(^^)

コーダとその家族にとって、我々にできることは決して多くはないかもしれません。

だけど、この映画をきっかけに彼らを知り、助け合える日が来る。

そういう意味でこの映画は、これからのバリアフリー社会を考えるための指標とも言えるのではないでしょうか。

【参考記事】

2.「くちびるに歌を」

べたな演出も多いですが、正統派というか、嫌なものはなく、青春群像と五島列島の大自然をイメージさせる景観や景色の映像が美しいです。

登場人物の成長していく様子や心の動きがわかりやすく描かれていて、何度見ても飽きないですし、見るたびに泣けてくる、そんな映画です。

長崎県の五島列島へ、臨時の音楽教師のとして赴任のため数年ぶりに故郷に戻った柏木ユリ。

主人公を呼び寄せた同窓の同級生のハルコ。

ハルコは合唱部の顧問も柏木に任せる。

嫌々合唱部の顧問になった柏木は、明るくふるまう15歳の生徒たちが、実は誰にも言えない悩みを抱え、みんながひとつになる合唱に救いを求めていたことを知る。

そして、自らの悲しい過去から弾けなくなっていたピアノにも生徒たちにも向き合うようになっていく。

しかし、待ちに待ったコンクール当日、ある事件が起こり…柏木と中五島中学合唱部による、最初で最後のステージの幕が上がる。

「先生は生きてる意味って考えたことありますか?」

続きはぜひ映画で観てください。

3.「夜明け告げるルーのうた」

2000年以降、日本から細田守監督「時をかける少女」、原恵一監督「カラフル」「百日紅-Miss HOKUSAI-」、西久保瑞穂監督「ジョバンニの島」と多くの映画がアヌシー国際アニメーション映画祭でアワードを獲得しましたが、いずれも審査員賞や観客賞でした。

しかも日本作品でのクリスタル賞受賞が1995年の「平成狸合戦ぽんぽこ」以来の22年ぶりの快挙だというのだから、なお嬉しい話です。

「夜明け告げるルーのうた」のグランプリ獲得(クリスタル賞)は、まさに快挙でしたね(^^)

この映画の特徴としては、

①ルーのヴィジュアルが、現在の日本の美少女アニメのコードからズレている。

②一種の理想化された少女へのフェティッシュのようなものが存在しない。

という点にある様です。

そういった状況において、ルーという少女のキャラクターは、そのような理想化された抑圧的押し付けから自由なので、ヴィジュアルや物語に違和感を感じるかもしれません。

ディズニーでもなければ、人気キャラクターの映画化でもないけど。

しっかり面白いアニメーション映画なので、まだ見ていないという方、もしくは、そういった作品をあまり見に行かないという人こそ、「こんな作品があったんだ。」と、今までにない発見や感動が見つかるかもしれないから、是非このせっかくの機会に観て欲しいですね(^^)

斉藤和義「歌うたいのバラッド」

【二言三言】

日本には、昔から伝統として死生観という大袈裟なものではないとしても、それに類するものが、寺院、寺小屋などで教えられたものと思います。

死の問題は、いかに生きていくかという問題と大きな関係がありますが、ここで、日本人の死生観を大急ぎで見ていきたいと思います。

はじめに、宗教者の立場からの死生観を、次に歌人や儒教・国学者の考えを、二言三言では無くなるけど(^^;

現代に生きる人たちの死生観を紹介しておきますね。

1.僧侶の死生観

◆最澄(767~822) 天台宗開祖 『叡山大師伝』
夏4月、もろもろの弟子たちに告げて言われた、「わたしの命はもう長くはあるまい。もしもわたしが死んだあとは、みんな喪服を着てはならない。また山中の同法(同門の弟子)は、仏のさだめた戒律によって、酒を飲んではいけない。ただし、わたしもまた、いくたびもこの国に生れかわって、三学(戒・定・慧)を学習し、一乗(「法華経」の教え)を弘めよう」。

◆空海(774~835) 真言宗開祖 『秘蔵宝鑰』の序
迷いの世界の狂人は狂っていることを知らない
生死の苦しみで眼の見えないものは眼の見えないことが分からない
生れ生れ生れ生れても生の始めは暗く死に死に死に死んでも死の終りは冥い

◆源信(924~1017) 天台宗学僧 『往生要集』
仏弟子である君よ、この年ごろ、世俗の望みをやめ、西方浄土に往生するための行を修してきた。
今、病床にあり、死を恐れないわけにはいかないであろう。
どうか目を閉して合掌して、一心に誓いをたててください。

◆法然(1133~1212) 浄土宗開祖
ある弟子が尋ねた、「このたびは本当に往生なされてしまうのでしょうか」と。
法然は答えた、「自分はもと極楽にいたものであるから、こんどはきっとそこへ帰る」 と。
法然にとって極楽とは、帰るべき故郷であったのである。

◆親鸞(1173~1262) 浄土真宗の開祖
自分はわるい人間であるから、如来のお迎えをうけられるはずはないなどと、思ってはならない。
凡夫はもともと煩悩をそなえているのだから、わるいにきまっていると思うがよろしい。
また、自分は心がただしいから、住生できるはずだと、思ってもならない。
自力のはからいでは、真実の浄土に往生できるのではない。

◆明恵(1173~1232) 華厳宗の僧 (弟子への訓戒)
「われ如来の本意を得て、解説の門に入ることができた、汝等も如来の禁戒を保ち、その本意を得て、来世共に仏前で再会せん」

◆道元 (1200~1253) 曹洞宗開祖 『正法眼蔵』(生死)
「この生死は即ち仏の御命なり。これをいとい捨てんとすれば、即ち仏の御命を失わんとするなり。これにとどまりて、生死に着ずれば、これも仏の御命を失うなり。仏のありさまをとどむるなり」

◆一遍(1239~1289) 時宗の開祖 『百利口語』
六道輪廻の間には
ともなふ人もなかりけり
独りうまれて独り死す
生死の道こそかなしけれ

◆宗峰妙超(1281~1337) 臨済宗の僧 『遺偈』
「仏祖を截断し 吹毛常に磨く機輪転ずる処 虚空牙を咬む」(仏祖さえも否定超克して吹毛の剣にも比せられる性根玉をいつも磨いてきたその心の機は虚空が牙を咬むとも言える、空が空を行じる心境と言えよう)

◆一休(1394~1481) 臨済宗の僧 『骸骨』
「そもそもいづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。それを五色の皮につゝみてもてあつかふほどこそ、男女の色もあれ。いきたえ、身の皮破れぬればその色もなし。上下のすがたもわかず。……貴きも賎しきも、老いたるも若きも、更に変りなし。たゞ一大事因縁を悟るときは、不生不滅の理を知るなり」

◆蓮如(1415~1499) 浄土真宗中興の祖 『白骨の文』
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。…我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。…されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすベきものなり。あなかしこ、あなかしこ」

◆沢庵(1573~1645) 臨済宗の僧 『遺戒』
全身を後の山にうずめて、只士をおおうて去れ。
経を読むことなかれ。
斎を設くることなかれ。
道俗の弔賻(おくりもの)を受くることなかれ。
衆僧、衣を着、飯を喫し、平日のごとくせよ。
塔を建て、像を安置することなかれ。
謚号を求むることなかれ。
木牌を本山祖堂に納むることなかれ。
年譜行状を作ることなかれ。

◆鈴木正三(1579~1655) 江戸時代の禅僧 『驢鞍橋』
「万事をうち置て、ただ死に習うべし。常に死を習って、死に余裕を持ち、誠に死する時に、驚かぬようにすべし。人を教化し仏法を知る時にこそ、知恵は必要だが、我が成仏の為には、何も知識はあだなり。 ただ土と成りて、念仏をもって、死に習うべし」

◆盤珪(1622~1693) 臨済宗の僧 『説法』
「身共は、生死に頼らずして死まするを生死自在の人とはいいまする。又、生死は四六時中に有て、人寿一度、臨終の時、はかりの義では御座らぬ。人の生死に預からずして、生るる程に、何れも生き、又死るゝ程に、死が来らば、今にても死る様に、いつ死んでも大事ない様にして、平生居まする人が、生死自在の人とは云、又は、霊明な不生の仏心を決定の人とは云まする」

◆白隠慧鶴(1685~1768) 臨済宗の僧 『仮名葎』
「涅槃の大彼岸に到達しようと思えば、つつしんで精神を集中して、それぞれの臍下、気海丹田を黙検せよ。そうすれば、まったく男女の相もなく、僧俗の区別もない。老幼、貧富、美醜、地位の高下なぞの差別の一点の痕跡もなくなる。このように精神を集中して、細かく工夫精進して昼夜おこたることがなければ、いつしかあれこれ考える想いもつき、妄情煩悩も消えて、盆をバラバラに投げこわし、氷の塔をぶちこわすように、たちまち身心ともに打失しよう」

◆良寛(1758~1831) 曹洞宗の僧
形見とて何か残さん春は花
夏ほととぎす秋はもみじ葉

2.歌人(他)の死生観

◆西行(1118~1190) 歌人
願はくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月のころ

◆吉田兼好(1283~1352) 歌人 『徒然草』
「誰でもみんな、本当にこの生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないのではなくて、死の近いことを忘れているのだ。しかし、もしまた、生死というような差別の相に捉われないと言う人があるなら、その人は真の道理を悟り得た人と言っていい」

◆熊沢蕃山(1619~1691) 陽明学者 『集義和書』
「生死は終身の昼夜であり、昼夜は今日の生死にあたる。生死の理も、昼夜を思う ごとく、常に明かにすれば、臨終とても別儀は無い。薪つきて入滅するごとく、寝所に入で心よく寝るが如く、何の思念もなく、只明白なる心ばかりである」

◆伊藤仁斎(1627~1705) 儒者 『語孟字義』
「天地の道は、生有って死無く、実有って散無し。死は即ち生の終り、散は即ち実の尽くるなり。天地の道、生に一なるが故なり。父祖身投すといへども、しかれどもその精神は、すなはちこれを子孫に伝へ、子孫又これをその子孫に伝へ、生生断えず、無窮に至るときは、すなはちこれを死せずといいて可なり」

◆新井白石(1657~1725) 政治家・学者 『鬼神論』
「礼は生を養い死を送り鬼神につかうるところとなりとぞ「礼」に記せり。又明にしては礼楽あり、幽にしては鬼神ありとも侍り。幽と明とは二つなるに似たれと、誠は其理一つにこそはかよふらめ。是により通せば彼にも又通じぬべき」

◆山本常朝(1659~1721) 佐賀藩士 『葉隠』
「二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにわかることは、及ばざることなり」

◆本居宣長(1730~1801) 国文学者 『玉匣』
「死すれば、妻子眷族朋友家財万事をもふりすて、馴れたる此世を永く別れ去りて、再び還来ることあたはず、かならずかの汚きよみの国に行くことなれば、世の中に、死ぬる程かなしき事はなきものなる…」

◆山片蟠桃(1748~1821) 町人学者 『夢之代』
「生れば智あり、神あり、血気あり、四支・心志・臓腑みな働き、死すれば智なし、神なし、血気なく、四支・心志・臓腑みな働くことなし。然らば何くんぞ鬼あらん。又神あらん。生て働く処、これを神とすべき也」

◆広瀬淡窓(1782~1856) 漢学者 『約言』
「生死は人の能く知る所に非ず。いわんやすでに死の後をや。死後の知るべからざる、なほ生るる前の如きのみ。」

◆横井小楠(1809~1869) 政治思想家 『沼山閑話』
「人と生れては人々天に事ふる職分なり。身形は我一生の仮託、身形は変々生々して此道は往古来今一致なり。故に天に事ふるよりの外何ぞ利害禍福栄辱死生の欲に迷ふことあらん乎」

◆正岡子規(1867~1902) 俳人 『病床六尺』
「余は、今迄禅宗の悟りということを誤解していた。悟りということは、如何なる場合にも平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は、如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」

◆暁鳥敏(1877~1954) 真宗大谷派の僧
生と死のうねりをなして常住の
いのちの水の流れゆくなり
無二寿をおもう心に死を超えて
生もおもはずたゞほがらかに

◆種田山頭火(1882~1940) 俳人
何処でも死ねる体で春風
何時でも死ねる草が咲いたりみのったり

◆室生犀星(1889~1962) 詩人・小説家 『生きたものを』
人間の永い生涯には妻が先に死んでくれた方がいいと、ちょっとでも考えない人があっただろうか、その夫が若し先に亡くなったら、ああしよう、こうしようと死後の策を考えない婦人があっただろうか、折々職しっかりした眼附と身構えを持って見合せた眼こそは、たしかに今まで生きて来た善後策を講じかかる、のっぴきならない眼附だったのである。
どちらかが生きのこった時には、先ず後始末をしなければならないのである。

3.現代の死生観

◆堀秀彦(1902~1987) 評論家 『死』
老年も死も、よく分からないから不気味であり、よく分からないから、何かが在るようにも思われる。
そしてそれだからこそ、生命は尊厳なのだ。

◆吉野秀雄(1902~1967) 歌人 『生のこと死のこと』
死はほんとうにおそろしい。
わたしは年60余になったし、これまでになんども死にそこねたような病人だから、もはやいつ死んでもかまわぬといえる覚悟がありそうなものだが、それがなかなかそうはいかず、死はいまもっておそろしい。

◆高見順(1907~1965) 作家 『死の淵より』
電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた

◆松田道雄(1908~) 評論家 『老人と自殺』
生きるということは、世の中のつまらなさとは無関係なのだ。
死にたくないから生きているというだけのことだ。
そのかわり生きていきたくなくなったら、いつだっておさらばするというのが、市民の自由というものだ。

◆花田清輝(1909~1974) 評論家 『犬死礼讃』
しかし、そうはいうものの、やはりわたしは、人眼をかすめて、とろとろと燃えつきてしまうような死にかたよりも、猛烈ないきおいで燃えあがり、派手にあたりに火の粉をバラまいたあとパッと消えてしまうような死にかたのほうに心をひかれる。

◆村尾勉(1914~) 医学博士 『死を受け容れる考え方』(人間と歴史社)
一生を頑健に生きたような人は、木が次第に枯れてゆくように、あるいは朽木がいっきに倒れるように、きわめてあっけなく安楽な死を遂げるものである。

◆瀬戸内晴美(1922~) 小説家、仏子号「寂聴」 『死に様』
いずれは逃げられない私の死に様は、果してどの様なものか、どんな変死にせよ、やはりあんまり人の目に不様でない死に様を願うのは、まだ私がしやれ気のある若さの証拠であるかもしれない。

◆野坂昭如(1920~) 小説家 『死について』
人間は年中死を意識している、そして、意識しながら、上手に死ぬことはいっさい考えず、ただもう不老長寿をのみねがい、健康こそが人間の幸せと信じこんだふりをする、あまりに意識し過ぎる怯えが強すぎて、具体的に考えない。

◆横尾忠則(1926~) 画家  『生れ変り死に変る』
肉体で現世にいるということは確かに苦痛である。
因果のサイクルから解脱しない限りわれわれはいつまでたってもこうしてこの世に生まれてこなければならない。
この世は神の国に入るための修行の場でもある。
しかし、この修行の場での修行を怠れば、永遠に神の国に入ることが許されず、ついにその魂までもこの宇宙から消滅しかねない。
これ以上の悲劇がどこにあろう。
肉体であろうと霊魂であろうと、自分がこの宇宙のどこかにいるということは素晴らしいことである。

【補足情報(ネタバレ注意!)】

秋に行きたいかもしれない、映画「くちびるに歌を」のロケ地・長崎県五島。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思わせる美しい風景に包まれて描かれる映画の舞台は長崎県・五島列島。

九州の最西端に位置し、大小140あまりの島々が連なる列島です。

自然海岸や断崖、火山景観など厳しい地形を擁しながら、緑あふれる丘陵や底まで透き通って見える輝く海など、美しい景観も備えています。

マリンスポーツが盛んということもあり、夏が注目されがちな五島列ですが、実は、秋も最高の観光シーズンなんだよね。

五島列島には、約50もの教会が存在しています。

その精悍な佇まいは、秋に色づく五島の自然の中でひときわ凛とした輝きを放っています。

映画「くちびるに歌を」は、五島列島のいくつかの島を跨いで、オールロケで撮影され、ロケ地を網羅した「ロケ地マップ」も配布されています。

トレッキングに適した地もあるので、地図を手に撮影地の「鬼岳」等の美しい自然の中を映画の世界に迷い込んだ気分で散策してみるのも良いかも。

清涼な秋の空気が、絶好の散策日和を与えてくれるはずです。

そうそう、映画「くちびるに歌を」の主題歌であるアンジェラ・アキの名曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」をリモート合唱した動画です。

【名作プレイバック】

「反=恋愛映画論 『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで」(ele-king books)児玉美月/佐々木敦(著)

昔から恋愛映画が苦手だと感じていた方にとってタイトルからビビビっとくる一冊ではないでしょうか。

しかし、本書の「反」とは、恋愛映画を否定するものではありません。

恋愛映画とは、恋愛をテーマにロマンスや非恋などを描いた映画を指しています。

王道のラブストーリーからコメディ、涙ありの悲しいラブストーリー等、さまざまな恋模様が観客を惹きつけており、ドキドキの展開に感情移入してしまい、あたかも自分が恋しているような気持ちになってしまう。

代表的な作品としては、「ロミオとジュリエット」、「タイタニック」、「君に読む物語」、「トワイライト」シリーズ、「フィフティ・シェイズ」シリーズ等が挙げられる様です。(が、どれも観てないんだよね(^^;)

純粋な恋やシンデレラストーリーはもちろんですが、苦難がある禁じられた恋や悲しい恋などもその儚さや尊さ故に共感が止まないなんて方も多いのではないでしょうか。

確かに、小説でもそうですが、ひた向きに愛し、愛される恋模様に、観る人は心を鷲掴みにされるんだろうね。

【参考記事】

ここで、恋愛映画だと思わずに、ファンタジー映画だと思って観てしまった映画「シザーハンズ」を紹介してみますね(^^;

「シザーハンズ」

エドワードは、発明家の博士によって生み出された人造人間です。

だけど、完成直前に博士が急死してしまったため、彼は、両手がハサミのままこの世に残されてしまいます。

その後、ゴースト屋敷のような丘の上の家で、顔が傷だらけで孤独な日々を送っていた彼の元にある日、化粧品のセールス・ウーマンのペグが訪ねて来ました。

心優しい彼女は、そんな彼の姿に同情し、自分の家に連れて帰ります。

そうして家の中へ通された彼は、写真に写っているペグの娘キムに心奪われ、彼女に恋してしまうがのですが・・・

子供騙しの映画のように感じるかもしれないけど、何も知らなかったエドワードが恋をして、傷つけることの辛さを痛感するまでが、凄く大切なテーマとなっている映画です。

エドワードは、ハサミっていう物理的な障壁をもってるけど、人間誰しも、色んな方法で相手を傷つけるし、同時に傷つけたくないと思うから、これは、決して自分には関係のない化物の恋愛ってだけの話じゃないと思います。

そして、最後のエドワードの決断も、「ブロークバック・マウンテン」同様、ただ一緒にいることだけが愛なわけじゃない。

代わりに雪を降らすことで永遠の愛を誓う。

ファンタシーなんだけど。

映画なんだけど。

ロマンティックで憧れる映画だったなって、そう思います(^^)

【リストアップした書籍】

「貧困理論入門」志賀信夫(著)

「死を食べる―アニマルアイズ・動物の目で環境を見る〈2〉」宮崎学(著)

「ドキュメント・コミュニケーションの全体観 上巻 原則と手順」中川邦夫(著)コンテンツ・ファクトリー(編)中川学(イラスト)

「ドキュメント・コミュニケーションの全体観 下巻 技法と試合運び」中川邦夫(著)コンテンツ・ファクトリー(編)中川学(イラスト)

「料理の意味とその手立て」ウー・ウェン(著)

「問題解決の全体観 上巻 ハード思考編 (知的戦闘力を高める全体観志向)」中川邦夫(著)コンテンツ・ファクトリー(編)中川学(イラスト)

「問題解決の全体観 下巻 ソフト思考編 (知的戦闘力を高める全体観志向)」中川邦夫(著)コンテンツ・ファクトリー(編)中川学(イラスト)

「コード・ブレーカー 上 生命科学革命と人類の未来」ウォルター・アイザックソン(著)西村美佐子/野中香方子(訳)

「コード・ブレーカー 下 生命科学革命と人類の未来」ウォルター・アイザックソン(著)西村美佐子/野中香方子(訳)

「読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」」カート・ヴォネガット/スザンヌ・マッコーネル(著)金原瑞人/石田文子(訳)

「おいしく食べる 食材の手帖」野〓洋光(著)

「苦しかったときの話をしようか」森岡毅(著)

「SNSマーケティング7つの鉄則」飯髙悠太/室谷良平/鈴木脩平(著)

「ビジネス・フォー・パンクス」ジェームズ・ワット(著)高取芳彦(訳)楠木建(読み手)

「グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない」(&books)ロバート・ウォールディンガー/マーク・シュルツ(著)児島修(訳)

「完本 仏像のひみつ」山本勉(著)川口澄子(イラスト)

「身体の零度 何が近代を成立させたか」(講談社選書メチエ)三浦雅士(著)

「ここらで広告コピーの本当の話をします。 宣伝会議」小霜和也(著)

「レトリックと詭弁 ─禁断の議論術講座」(ちくま文庫)香西秀信(著)

「解像度を上げる―曖昧な思考を明晰にする「深さ・広さ・構造・時間」の4視点と行動法」馬田隆明(著)

「文學の実効 精神に奇跡をもたらす25の発明」アンガス・フレッチャー(著)山田美明(訳)

「「技術書」の読書術 達人が教える選び方・読み方・情報発信&共有のコツとテクニック」IPUSIRON/増井敏克(著)

「後ろ向き名言100選―弱った心がラクになる ([テキスト])」鉄人社編集部(著)

「人はどこまで合理的か 上」スティーブン・ピンカー(著)橘明美(訳)

「人はどこまで合理的か 下」スティーブン・ピンカー(著)橘明美(訳)

「進化を超える進化 サピエンスに人類を超越させた4つの秘密」ガイア・ヴィンス(著)野中香方子(訳)

「人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」(中公新書)篠田謙一(著)

「料理の四面体」(中公文庫)玉村豊男(著)

「図解 人材マネジメント入門 人事の基礎をゼロからおさえておきたい人のための「理論と実践」100のツボ 「理論と実践」100のツボシリーズ」坪谷邦生(著)

「「感情」は最強の武器である 「情動的知能」という生存戦略」レナード・ムロディナウ(著)水谷淳(訳)

「ChatGPTの頭の中」(ハヤカワ新書)スティーヴン ウルフラム(著)稲葉通将(翻訳, 読み手)高橋聡(訳)

「教養としてのAI講義 ビジネスパーソンも知っておくべき「人工知能」の基礎知識」メラニー・ミッチェル (著)松原仁(解説)尼丁千津子(訳)

「禁色」(新潮文庫)三島由紀夫(著)

「イェール大学集中講義 思考の穴―わかっていても間違える全人類のための思考法」アン・ウーキョン(著)花塚恵(訳)

「自分の答えのつくりかた―INDEPENDENT MIND」渡辺健介(著)

「素直な心になるために」松下幸之助(著)

「超予測力 不確実な時代の先を読む10カ条」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)フィリップ E テトロック/ダン ガードナー(著)土奈美(訳)

「[超訳]エマソンの「自己信頼」」ラルフ・ウォルドー・エマソン(著)三浦和子(訳)

「「みんな違ってみんないい」のか? ―相対主義と普遍主義の問題」(ちくまプリマー新書)山口裕之(著)

「デザイン思考が世界を変える〔アップデート版〕 イノベーションを導く新しい考え方」ティム ブラウン(著)千葉敏生(訳)

「語学力ゼロで8ヵ国語翻訳できるナゾ どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく」(講談社+α新書)水野麻子(著)

「BRUTUS(ブルータス) 2023年 9月1日号 No.991 [怖いもの見たさ。] 」BRUTUS編集部(編)

「考えない練習」(小学館文庫)小池龍之介(著)

「捕食動物写真集」新紀元社(編)

「問題プロジェクトの火消し術」長尾清一(著)

「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」」日経コンピュータ/山端宏実/岡部一詩/中田敦/大和田尚孝/谷島宣之(著)

「能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ」(ブルーバックス)安藤寿康(著)

「反=恋愛映画論 『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで」(ele-king books)児玉美月/佐々木敦(著)

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