【メモ(memo)】認められるための基準
あなたは、自分が、人から認められていると感じますか?
それとも、一生懸命やっているのに、ちっとも認められない、わかってもらえない、なんて感じていますか?
その、認められたい、わかってもらいたい「人」(たち)とは、いったい誰でしょう?
多くの人が、周りの人に認められようとして、ストレスになったり、そのために、他人と自分を比べて、落ち込んだり、認められようと、必死になって、その過程で、自分らしさや、明るさを、失ったりしています。
評価を受けて、自分が重要・大切であること、ここに存在する価値があると感じたい、というのは、誰もが持っている、ほぼ、ニーズに近いようなものです。
ニーズだから、意識していようが、いまいが、私たちは、それを、満たそうとします。
それが自然です。
ところが、周りからの評価は、自分の評価ではないので、どうにもコントロールできないのが、クセものです。
他人が、何を感じて、何を思うか、何を基準に評価するかは、どうにも変えられないし、コントロールできないのが、現実で、事実です。
だから、評価されるときもあるし、そうでないときがあるのは、当然。
また、多くの人たちは、あまりほめたり、評価したりすると、甘えたり傲慢になるかも、と思っています。
それで、言葉にして評価したり、褒めたり、感謝したりしていないのも事実。
また、もっと頑張れる、もっとできると思うから褒めない、なんてことも、あるかもしれません。
また、評価の基準も、人それぞれで、人によっては、これくらい当たり前、なんて思うこともあるのかも。
いずれにしても、周りから認めてもらうことを目的にしていると、当てが外れて、傷ついたり悲しいことになったりします。
それを防ぐには、いったいどうしたらいいのでしょうか。
同じように、ここでも鍵となるのは、考え方です。
そもそも、認められるからこそ、自分がハッピーになる、自分も自分を認められるようになるという「周り」の次に、「自分」の順番を、一度、見直してみるとよいのです。
誰からも認められなくても、自分がハッピーでいるには、あなたの中に、どんな気持ちが、あればいいのでしょうか?
例えば、そもそも、あなたがやっていることは、周りや他人がいいというからやっている、というモチベーションですか?
もしそうなら、他人の基準は、いつでも変わるので、いつでも、周りに振り回されて、疲れているはずです。
自分がやりたいことだから、自分が楽しいと思うから、その「やること」に価値があると自分が思うから、というようなモチベーションはないでしょうか?
そのほうが、周りに振り回されなくてすみます。
また、自分が何かをやっている、そのプロセスも、自分で評価できるように、考えるのもよいですね。
自分が、何かに向かって進んでいることは、セルフイメージアップに、必ずつながります。
自分に対するイメージが良くなれば、気分もよくなります。
その状態でいることの方が、大切です。
結果として、誰からから認めてもらう、評価してもらう、というのは、ボーナスのようなもの、と考えてみましょう。
ボーナスなら、よいときは出るし、よくないときは出なくても、それほど驚かないし、傷ついたりもしない。
でも、自分が楽しい、自分がやりたいと思っている人には、情熱があるから、いずれは、周りの評価もついてきます。
だって、情熱のあるところに人は、自然と惹かれるもの。
いずれは、周りだって、認めざるを得なくなってきます。
人からどう思われるかだけで、自分の存在価値を評価していると、自分がつらいだけですから、自分が認められる基準をどこにおくか、意識してみてください。
【今日の短歌】
「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」
(与謝野晶子)
「キッチンは逆立ちしてもいいところ君もケチャップ我もケチャップ」
(大谷ゆかり『ホライズン』より)
「針葉樹は燃えやすい樹といつ誰に教はつたのか、空よ、夕焼け」
(杉森多佳子『つばさ』第17号より)
「留守と言へ/こゝには誰も居らぬと言へ/五億年経つたら帰つて来る」
(高橋新吉)
「大輪の花火はじける五億年後にぼくたちの化石をさがせ」
(秋月祐一『迷子のカピバラ』より)
「薄氷(うすらひ)の上を生きつつみひらけばきみ立ちて舞ふ月のおもてに」
「終はりなき狂言ありや終はりなきいのちのごとく水のごとくに」
(水原紫苑『武悪のひとへ』より)
「伊香保ろのそひの榛原(はりはら)吾が衣につき寄らしもよひたへと思へば」
(作者不詳(巻一四― 三四三五)より」
「伊香保ろの八尺(やさか)の堰塞(ゐで)に立つ虹(ぬじ)の顕ろまでもさ寝をさ寝てば」
(作者不詳(巻一四― 三四一四)より)
ブリテン「3つの2声部の歌 第2曲 虹」
リゲティ「練習曲集 第1巻 - 第5番 虹」
【参考記事】