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【宿題帳(自習用)】博物館へようこそ!観察する意味を探して

Koyukiさん撮影

下記、参考記事に記載している「誰も嫌な思いをしない変化」のために実行している「観察」「考察」「選択」のサイクルを繰り返し回すやり方が参考になると思います。

【参考記事】

また、前述のやり方を徹底した先人として井原西鶴は、人を見るとき、常に観察・考察・推察・洞察の4段階の目を持ち、人を見たらまずじっくり観察、そして、なぜそうした行動をするのか考察、さらに、次は、何をするか推察し、最後に全体を見渡し洞察し、相手を深く知る様にしていたそうです。

「洞察」が生まれるプロセスを考えてみると、それは、観察、考察、推察を通して生まれていることがわかります。

須藤憲司氏の言葉を借りると、以下のように定義されています。

1)観察:物事を見て変化を見つけること

2)考察:観察から規則性や法則を見つけること

3)推察:規則性や法則の適用先を見つけること

4)洞察:目の前で起きた事象と全く異なる因果関係に気づくこと

(須藤憲司著「ハック思考」幻冬舎の言葉を一部修正)

洞察力は、もって生まれた人の才能のように思いがちですが、このプロセスに従えば、誰しも発揮できる力でもあります。

(Harumiさん撮影:段階)

この点に関連して、本書の以下の記載が参考になります。

【参考図書】
「死物学の観察ノート―身近な哺乳類のプロファイリング」(PHP新書)川口敏(著)

「小学校から大学まで「観察」の授業を受けてきたけれど、結局、その意味や目的が理解できずじまいだった。

同じような疑問を抱いているヒトも少なくないのではあるまいか。

観察とは何だろう?

何を見ることなのだろう?

ぼくは無意識に、観察する意味を探していた。

しかし、解明は突然にやってくるものだ。

どこに書かれていたか忘れてしまったが、「観察するには、仮説が必要である。仮説がなければ、何も観察できない」と記している本があった(これはダーウィンの言葉だったと思う)。」(p.32)

(Kazuさん撮影:天の川をまるっと全部)

そう言えば、橋本治さんが、こう述べていました。

「ルーブル美術館を取材したときに、何も考えずぷらぷら歩いてあるがままに情報をインプットしておいて、あるとき不意に「こう見たらいいんじゃないか」という筋道を思いついた後になって初めて、何を見ていたのかがわかると書いていたのと通底する。」

観察という方法、全てに通じる至言だと思います。

一方で、このことは、例えば、「これを美しいと感じなさい」というものではないと思います。

(えむさん撮影:この写真を変えてみたい)

美は、絶対的なものではなく、相対的なものだからです。

ですから、美意識をみつめなおす時、どこかに基準があるので、それに則して考えなさいという話ではありませんよね。

自分の中にある基準に、常に、磨きをかけて、明確にしておきましょうということであると、私は、そう考えています。

それを体現できる場所として、映画に限らず、美しいものや創作物、感動するモノから理解不能なモノまで含めて、暇があれば美術館を訪れたりと、日常的に行っていて、そういう積み重ねてきたインプットが、今の自分自身の感覚に活きているなあ~と、切に感じる時があります。

例えば、写真は、見えるモノしか写せませんと思っていると、この様に、合成したのか?と錯覚するような写真を観察してみるのも面白いと思います。

(池田雄人さん撮影)

逆にいえば、仮説というフィルタを通してしか、人は、ものを観察できないということでもあるのですが、観察力を意識して行動することで、いつもと違う変化に敏感になります。

「移行化石の発見」(文春文庫)ブライアン スウィーテク(著)野中香方子(訳)

「種は実在しない」論というのもあって、あまり知られていない議論があります。

ベルグマンの法則やアレンの法則についても例外が多いことに触れて、生物学でいう法則は物理学で登場する法則ほど厳密ではないというのも、当たり前のことなのだが、たぶん世間一般には知られていないのではないでしょうか。

私も「仮説」と呼ぶ方がいいという意見に賛成です。

人は、誰しも視点を通してしか物事を考えることができません。

別の言い方をすれば、「そもそも何を考えるべきか?」は、視点が決めてしまうともいえますよね。

また、どんなに適切な視点を置いたとしても、「ああなれば ⇒ こうなるだろう」という「予測のパターン(=法則)」が頭の中になければ、確かな仮説を導き出すことはできません。

視点力は、観察力を磨くにあたって、必要不可欠な要素です。

なぜなら、ひとつの視点しか持てない人は、物事のひとつの側面しか捉えることができないからです。

一方で、5つの視点を持てれば、物事を、5つの側面から捉えることができるようになり、観察対象の解像度を、劇的に上げることができます。

もし、あなたが、自由自在に視点を操ることができるようになれば、物事の多様な側面に気づき、次々と新たな可能性を拓くことができるようになるはずです。

そんな視点を身につけて、観察力を鍛える方法の練習台のひとつのアプローチとして、美術館以外に、

【関連記事】
【宿題帳(自習用)】個人美術館への旅
https://note.com/bax36410/n/naaa3948ae44d

博物館に立ち寄ってみるのも良いかも知れません(^^)

観察力を鍛える方法と手順としては、以下の通りです。

①観察眼の重要性を自覚する

②気づきを得ようとするマインドセットを持つ

③物事の「当たり前」に自覚的になる

④イシュー(論点)を絞る

⑤気づきを得るための着眼点を絞る

⑥直感を取り外す

ここで、観察力を養うために、以前、フィールド博物館に立ち寄った際に撮影した写真をアップしておきますので、色んな視点から観察してみて下さい(^^)

フィールド博物館の名前を知らない人には、「Sue」と名づけられたティラノサウルス・レックスの全身骨格を、オークションで落札した博物館と言えばわかる方もいるかもしれませんね。

その「Sue」は、組みたてられて博物館1階の吹き抜けホール北側に展示されています。

敷地面積は、上野の国立科学博物館とほぼ同じだそうですが、建物が分かれていない分とても広く感じました。

ゆっくり見て廻っていたら、半日たってもまだ見切れない展示量でした^^;

ここから、色々と考えさせられた博物館関係の新書を紹介しておきますね(^^)

「博物館へ行こう」木下史青(著)(岩波ジュニア新書)

[ 内容 ]
博物館では世界や歴史を感じ、自分を取りもどすことができる。
東京国立博物館の本館リニューアルにも携わった展示デザイナーが目指すのは「記念撮影したくなる展示風景」だ。
展覧会ができるまでの仕事や国内外で進化中の博物館の魅力を語りつくす。

[ 目次 ]
1 博物館に記念撮影したい展示風景を
2 博物館の仕事
3 博物館を楽しむ
4 進化する博物館
5 博物館へ行こう
付録 ぼくの博物館手帳

[ 問題提起 ]
博物館の魅力や鑑賞の仕方について、東京国立博物館で展示デザインをしている木下史青さんが自身の経歴などを踏まえて書いた小中学生向けの入門書。

博物館の現場の人ならではの視点が多く興味深い。

[ 結論 ]
たとえば、博物館の意義について著者は以下のように語っている。

「美術館や博物館は、悠久の時間の中で、地球上のあらゆる地域で、時にはこの宇宙で生み出された造形物を、視覚的、触覚的に凝縮して見せてくれる場所なのだ。……「自分が自分であろうとする」ことと、「世界と折り合いをつけて生きていく」ことには、矛盾もある。でも、その場所で矛盾することでも、少し世界を広げてみれば、別の答えが用意されていることだってある。博物館にそんな答えを見つけに行こう、とまではいわないが、世界の広さと美しいモノを探すことができる場所だ、ということは断言できる。(pp.187-188)」

国立科学博物館 地球館1階の「地球史ナビゲーター」は、ビッグバンで始まる約138億年の『宇宙史』、地球誕生から生命の誕生を経て現在に至る約46億年の『生命史』、そして人類の出現から約700万年の『人間史』を、巨大スクリーンに映し出されるアニメーションと標本・資料でたどり、地球館の展示全体をつなげるシンボルゾーンです。

著者が海外で訪れた博物館の話題も豊富で、内容は平易だが大人でも参考になる部分は多い。

知らないということは恐ろしいこと。

その存在を認識することさえなかったために、今思えばどれだけ多くの機会を逃したのだろうと、歯噛みしてしまう。

[ コメント ]
この本を読めば、きっと博物館という未知の世界を覗いてみたくなること請け合いです。

ジュニア新書であるため、分かりやすく平易な文章で綴られていて読みやすくなっています。

何より、著者が博物館を愛しているということがひしひしと伝わってくるのが楽しい。

木下史青さんは、「死の近さ / 茶の湯の美学と博物館が出会うとき」なんて論文も書いていて面白い。

「弐代目・青い日記帳」Takさんのブログもオススメです。

「愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎」小宮正安(著)(集英社新書 ヴィジュアル版)

[ 内容 ]
博物館の元祖であるヴンダーカンマー(不思議の部屋)は、一六~一八世紀ヨーロッパで盛んに造られた。
そこにはいわゆる美術品、貴重品の他に、一角獣の角、人相の浮かび上がった石など珍奇で怪しげな品々が膨大に陳列されていた。
それは、この世界を丸ごと捉えようとしたルネサンス的な一切智、万能主義のあり方を示しており、今日の細分化された学問の対極にあるともいえる。
本書は、ヴンダーカンマーを再発見し、かつての愉悦に充ちた知を取り戻そうとする試みである。本邦初公開の珍しい写真・図版等を多数掲載する。

[ 目次 ]
第1章 遊べ!ヴンダーカンマー
第2章 宇宙の調和を求めて
第3章 術のある部屋
第4章 ヴンダーカンマー縦横無尽
第5章 バロックの部屋にて
第6章 ヴンダーカンマーの黄昏

[ 問題提起 ]
ヴンダーカンマーは不思議の部屋のことだ。

ヨーロッパの王侯貴族が金と権力を惜しげもなく注ぎこんで、集めまくった珍奇なオブジェを集めた部屋である。

今日の博物館や美術館の先駆けともいえるが、悪趣味、ガラクタの山ともいえる。

近代の合理的な美術にあきた人々が、その悪趣味の集積に異端の美学をさがしはじめた。

私たちにとっては、澁澤龍彦や種村季弘などが秘密への案内者であった。

それはごく少数の偏愛者に開かれる部屋であった。

しかしこの本は、ヴンダーカンマーを一挙に開放し、その魅力をふんだんに見せてくれる。

[ 結論 ]
おびただしい写真が挿入され、とても楽しい本になっている。

かつては、ごくわずかな、ぼんやりしたヴンダーカンマーの写真に想像力をふくらませていたものだ。

それが、数多いヴンダーカンマーをこれほど豊かに、旅してゆけるようになったのである。

この本を見ながら、〈蒐集〉という人間の不思議な情熱について考えさせられる。

いかなるガラクタであろうと、集積がある量を越えると〈驚異〉に転化する。

なんのための蒐集なのかはわからなくなり、蒐集そのものが目的になってしまう。

ヴンダーカンマーのあるものは、美術館へと展開するが、あるものは行きどまりで、化石化する。

なぜ今、ヴンダーカンマーなのか。

この本のヴンダーカンマーをめぐる、かつてのペダンティックなおどろおどろしさから自由なあっけらかんとした旅を読んでいると、ガンダムやセーラームーンのフィギュアを集めるアキバ系のオタク文化にまでつながっていくような気がする。

現代においては、すべての合理的分類が無効になっているかのようだ。

[ コメント ]
私たちは、分類するよりはひたすら集めつづけ、あらゆるものを寄せ集め、奇怪なヴンダーカンマーを作っているかもしれない。

現代はそっくり、巨大なヴンダーカンマーになってしまったのであろうか。

「ロンドンの小さな博物館」清水晶子(著)(集英社新書)

[ 内容 ]
ロンドンにはたくさんの博物館がある。
一番有名なのは大英博物館だろうが、これを頂点として、そのすそ野に二百余りもの中小館があることは、意外と知られていない。
一九九四年からロンドンに住みはじめた著者は、とあるふしぎな一館に足を踏み入れたのをきっかけに、小さな博物館探険にのめりこんでいく。
美的空間。
驚異の館。
英国の歴史の保管庫。
風変わりなオブジェの収納所。背景にある物語が魅力の場所。
踏破した館はいつしか約百五十に。
住みながら通いつめ、リサーチする、現地在住ジャーナリストならではの視点で、よりすぐりの十六館を紹介する。

[ 目次 ]
建築家が見た「古代ギリシャ・ローマの夢」の破片―サー・ジョン・ソーンズ・ミュージアム
永遠のガーデニング王国、英国ならではの―庭園史博物館
ユーフォリアにつつまれた大作曲家の家―ヘンデル・ハウス・ミュージアム
英国で今も愛されるモリス柄の源泉を訪ねて―ウィリアム・モリス・ギャラリー
名探偵になって、ホームズ館の謎をさぐりに―シャーロック・ホームズ・ミュージアム
「紅茶の国」イギリスを築き上げた老舗の威風―トワイニング紅茶博物館
立体紙芝居屋ベンジャミン・ポロックの玩具の館―ポロックス・トイ・ミュージアム
ビクトリア時代の手術事情に詳しくなるための―セイント・トーマス・ホスピタル旧手術室とハーブ・ギャレット
グリニッジの丘で宇宙を想う―グリニッジ王立天文台
産業革命時代の牧歌的メカ―ウィンブルドン風車博物館
英国建築の内側に隠された精妙なアラブ世界―レイトン・ハウス・ミュージアム
貴婦人たちの夢の残り香―扇子博物館
インク発明家の生涯が凝縮された一部屋展示室―スティーヴンズ・インク博物館
笑う水さし、睨む壷…マーティン三兄弟の「怪」陶器―マーティンウェア陶器室
『オトラント城奇譚』の舞台になった、テムズ河畔のゴシック城―ストロウベリー・ヒル
秘密結社の心臓部に踏みこむ―フリーメイソン博物館

[ 問題提起 ]
ロンドンだけで200余の中小ミュージアムがある。

そのうちサー・ジョン・ソーンズM.(Mはミュージアムの略。以下同)からフリーメーソンM.までの16館を紹介するのが清水晶子『ロンドンの小さな博物館』集英社新書。

古い物を恭しく大切にするイギリス気質、そして頑固なほどハマったら追求してしまう学者肌。

酔狂といってはいけないけれど、面白い方がいたもんですな、とひたすら感心してしまう。

また、それを残し存続させていく努力も脱帽ものなのです。

なぜ、こんな場所をこの著者は御存じかというと、そうです、ロンドン在住だからです。

あとはこの方の知らなくては、見なくては気が済まない、そんな性格からこの素敵な本が生まれたのではと思います。

[ 結論 ]
レイトン・ハウムM.はヴィクトリ朝の歴史画家フレデリック・レイトン(1830-96)のアラブ風邸宅兼画室。

有名なのはシャーロック・ホームズM.。

ここは入場料の高さとみやげもの売り場の大きさでも抜群。

ファミリービジネスで運営しているのでそうなるらしい。

場所はもちろんベーカー街。

無名かもしれぬが興味深そうなのは扇子(The Fan)M.。

1991年のオープン。

もとVA(Victoria & Albert M.の略)テキスタル部門の美術史家、エレーヌ女史が館主。

中国、日本、ヨーロッパ各国の特色あるものやその歴史をたどる。

羊皮紙、鶏皮紙、絹、レースなどが使用された。

ほかにもセイント・バーソロミュー病院資料館M.やクリスタル・パレスM.などに興味を感ずる。

書名にいう「小さな」には、巨大博物館への反発がひそんでいるだろう。

とりわけ大きな、むしろ壮大なというべき館には御存知、「大英」博物館がある。

この館については、藤野幸雄『大英博物館』岩波新書、ウィルソン『大英博物館の舞台裏』平凡社、など多数の専門書がある。

「大英」と呼びならわしたことには漱石をはじめとする明治日本人の時代性がある。

日本の文化が博物館思想を受容する史的視点にたてばここには物量的に圧倒されている驚きぶりを読み取っていい。

「大英」は訳語ではない。

原語にはビックもグレートもない。

原語のままに、「ブリティッシュ・ミュージアム」と呼称するべきと私は思う。

イギリスは図書館を含め社会教育において成熟したオトナの国なのである。

多くの国立施設が入館料をとらぬこともその成果である。

[ コメント ]
こうして、見のがされて来た小さな博物館達にスポットを当て、さらにはロンドン在住ならではの目線と、整然とリサーチされた情報とが決して難しくない文章で届けられたのです。

まだまだ、沢山の小さな博物館があるそうな。

こういう本を読んでしまうと、行きたくなりませんか?

人間ってそういうもの。

紅茶飲んで博物館行って、パブでビターを飲みたい。

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