【日常茶飯事】なくなったら困るもの
「損益計算書」と「貸借対照表」って聞いたことがある人も多いと思います。
簡単に噛み砕いて言うと、損益計算書とは、収入と支出を差し引いた残高を求めるものであり、例えると「おこづかい帳」。
おおよそその人の銀行の通帳残高の合計額のことです。
もし、自分の人生の尺度が、お金であるという人は、この残高額が、基準値となると思います。
10万円の人もいれば、100万、1,000万、1億円の人もいます。
数億円の通帳残高の数字を毎日眺めて、「ああ私は幸せで、なんと有意義な人生だ」と思う人って、どのくらいいるのでしょうか?
一方、貸借対照表は、持っているものと、借りているものバランスを見るものであり、例えると、「あるものリスト、ないものリスト」になると思います。
「あるもの」を「持っているもの」とか、「やれる能力」と置き換えてもいいかもしれません。
では、人生における貸借対照表とは、どんなものになるのか?
通帳の残高は、すぐに調べればわかります。
でも、自分のあるもの・ないものリストなるものは、まず、作ったことがないではないでしょうか?
しかし、無意識のうちに「ないものリスト」は、頭の中で展開されているものです。
もしかしたら、それも、毎日、日常茶飯事かも。
「自分が美人、イケメンだったら」
「お金があったら」
「背が高かったら」
「痩せてたら」
「高学歴だったら」
「一流企業に入っていたら」
「英語がしゃべれたら」
などなど。
では、「あるものリスト」とは?
「なくなったら困る100のしあわせ」松浦弥太郎(著)
逆に、そんなもの作ったこともなければ、頭の中で、リストアップしたことも、ないのではないでしょうか?
ないものばかり考えて、あるものを見ないのは、貸借対照表の片側だけの数字を見ることであり、企業会計では、ありえないことですよね。
そんなありえないことを、自分の人生においてはやっていまう。
例えば、普段、普通にあるものをリスト化してみると。
今日、寝るための住まいがある。
布団も枕もある。
お腹がすいたら、食物を買うだけの、お金は持っている。
夏服も冬服も持っている。
新聞が読める。
目が見えるから。
歌が歌える。
声が出て、耳も聞こえるから。
走れる。
両足があるから。
いま平穏でいられる。
戦時中でないから。
是非、一度、このリストを自分で作ってみてください!
「なんでなんで君を見てると靴下を脱ぎたくなって困る 脱ぐね」
「スニーカー濡れたまんまのそのなかにひたせば記憶をひるがえる魚」
「太陽の死角をとってあたしたち裸足でぬるい牛乳を飲む」
(増田静『ぴりんぱらん』より)
ないものは、せいぜい100くらい書き出したころから、急に減速してしまうよう感じです。
もういいや、もう十分となってしまう。
あるものは、いくらあげても尽きない。
あるものは、ないものより、少なく感じていましたが。
もし、なくなったら困るもの、失ったときに、「ないもの」として切望してしまうものが、とてつもなく多いことに気づくはず。