【日常茶飯事】お庭で大切に育てた花たち
草花の生育には、雨は、不可欠です。
「夕ぞらへざくろの花は朱を献ず梅雨神(つゆがみ)のためわが生(いき)のため」
(雨宮雅子『悲神』より)
そう、雨の日を、天気のいい日と比べて、
「悪い日」
だと思う、人間(自分)中心の考え方をやめることです。
「雨の降はげしくなりし沙の上は明かるむまでに白き花殻」
(岡部文夫『雪天』より)
雨の日には、雨を、そのまま全面的に受け入れて、雨の中を、雨と共に生きるみたいな感じで(^^)
つまり、特別なことではない、ごくあたりまえの生き方のことです。
あたりまえだけれど、これは、常に前向きで、積極的に生きるということです。
「窓の下を花輪はこびて行きにけり雨となりたる五分ほど前」
(近藤芳美『早春歌』より)
雨が降っているのを見て、ちょっと「イヤだなぁ」と思ってしまうことがあるという人は多いのではないでしょうか。
そこで「雨もいいんじゃないの?」と考えてみれば、
「雨も悪くはない」
「雨の日は雨の日でいい」
と思える人は、けっこういるのではないかと思います。
「野の雨に揺れたつ朴のくらぐらと一つの花が大きくありし」
(河野愛子『魚文光』より)
少なくとも
「(晴れの日もあれば)雨の日もある」
「しかたがない」
と思えたほうが
「イヤだ」
と思って過ごすよりはいいと思うんですよね。
「如月(きさらぎ)の雨は時どき温(ぬく)く降る八つ手の花たちぱちぱち弾む」
(河野裕子『葦舟』より)
これらは、自分が少しでも、気分よく過ごすための幸せになる考え方の一種です。
実際には、ほとんどの人は、すぐに雨の日の生活を、ふつうに送れるのだと思います。
“雨”をイヤなこと・悪いこと・恵まれていないこと・不幸なことなど、反対に“晴れ”をいいこと・恵まれていること・幸せなことなどに置き換えても同様なのだと思います。
「汗香る髪はいつしか雨となる雨のむかうに灯る紫陽花」
(高島裕『雨を聴く』より)
誰(の生活・人生)にも、いいこともあれば、悪いこともあります。
悪いことがあっても、まずは、現実を受け入れることで、少しでも心を落ちつけ、そこから現実的に前向き(幸せ向き)な生き方ができればいいのではないでしょうか。
吉川英治も
「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」
と言っていました。
そう、どんな時にも、その時の楽しみがあります。
どんな所にも、その場、その場の楽しみがあります。
どんな人にも、それぞれの魅力があります。
どんな事にも、楽しみ方はあります。
楽しもうと思えば、いつ、どこで、誰と、何をしようと楽しむ方法はある、と考えられるといいと思います。
「恋ふは乞ふましろの梨の花のもと雨乞ふ巫女か白く佇ちたる」
(大沢優子『漂ふ椅子』より)
華やかさを、お部屋にもおすそわけしよう♪