【メモ(memo)】苦手な人なんていない
あなたの周りに、苦手な人はいますか?
嫌いな人とか、気に食わない人とか。
そこまでいかなくても、なんとなく合わない人、苦手な人、そんな人たちが、全くいないほうが、珍しいかもしれません。
すべての人たちに好かれるのが、現実的に無理なように、私たち自身も、べての人を、好きでいるのは非現実的です。
だから、そういう人たちがいること自体、また、自分の苦手意識を否定するよりも、むしろ、その気持ちを認めた方が、気楽です。
それで避けられるなら、避けたって、別に、悪いことではありません。
タモリさんは、
「苦手な人がいたら嫌だなって思うより、面白がる目で見ると嫌な所が面白くなる」
と述べられており、
「この人嫌だな」
って思い続けると、自分のメンタルを、どんどんすり減らしてしまうので、
「こいつ面白いな」
っていう目線で見た方が、楽に過ごせて、本気で推せたりするから、人生は、本当に捉え方次第だと思います。
ただ、仕事場や家族・親族など、そうは言っても、付き合い(やタテマエ)があるし、表立って対立、ケンカ、敵対視もできない場合もあります。
苦手だと思い続けるのも、いやなもの。
かといって、無理に仲良くするのも苦痛です。
そうしたときに、どんな風に考えますか?
例えば、「この問題をどうすべきか?」(should)
と考えると、自然と言葉の裏に、必ず、
「正しい答え」と「間違った答え」
があるって意味合いが含まれてしまい、物事を、黒か白かの二択でしか考えられなくなってしまうので注意して下さい。
ところが、
「この問題になにができるか?」(could)
と考えると、選択肢の幅が広がって、よりよい解決策を思いつく可能性が高まります。
要は、「couldマインド」をセットすることで、その人たちが周りにいても気にならない、となればいいわけですから、そうなるように見方を変えてみましょう。
まずは、気に入らない人たちも、自分と同じように精一杯、一生懸命なんだ、と考えてみます。
これは、自身も含め、すべての人が、いつでもベストを尽くしている、というコンセプトです。
もっと何かできた、ああすればよかった、こうすればよかった、というのは、後から考えたからわかることで、そのときはわからないもの。
人は、今、現在、持っている知識、エナジー、感情、時間のできる限りでベストを尽くしているのです。
ベストを尽くしている人を責めることはできません。
だって、自分がベストを尽くしているときに、責められたらイヤですよね。
そう考えて、苦手な人なんていないと、考えてみましょう。
こんな思考に陥っている時、何となく「べき」を使ってしまうことがあり、西尾泰和さんのScrapboxを参考にして、
以下の様に、言い換えてみては如何でしょうか。
「できるべき」と「できるとよい」
「なるべき」と「なるとよい」
「するべき」と「するとよい」
本当に「べき」なのか?と考えると、そうでもないことが多いですよね。
”MUST”と”NICE TO HAVE”の区別と似てると思います。
↓
問:自分は、なんで怒ってるのか?
例えば、「〇〇はこうあるべき」という凝り固まった信念が多く存在するゆえに、自身の思い通りにならない事態に対して溢れ出た困惑や不安といった感情を上手くコントロールできず、怒りという形で爆発させているからなのか?
↓
「しないべき」の話をしていたら発展した「べき」を「自分を含む集合」に使うかどうか、「べき」の対象に自分を含むかを考えてみる。
↓
「~するべき」「~であるべき」は思考停止につながりやすいので、「なぜそうなのか?」と問う(べき→why?)と視点が変わって良い。
「(現実が)Xであるべき」という主張は、すなわち「実際にはnot Xである」ということであるから、その観測事実と、あなた個人が「Xであるべき」「Xである状態が好ましい」と思っていることにギャップがある点について、3つの「なぜ」で考えてみる。
①なぜ現実はnot Xの状態なのか
②なぜXである状態が好ましいのか
③なぜギャップがあるのか
例えば、「なぜX?」という問いに対して、「Yだから」というシンプルな言葉で答えようとしてしまうけど、そんなシンプルな答えがあるのは不自然なことから、プログラム的な観点にたって、
・シンプルで小さなプログラムにバグがあったら、簡単に直せる。
・今すぐ簡単に直すことができないということは、もっと複雑な問題である可能性が高い。
つまり、言葉は、一次元であって、表現能力に限界があります。
その問題の本質的な課題は、
■言葉で説明するのに苦労するような
■相関図などを図解してようやく表現できるような
■複数の要素が絡まりあった
等の問題なのではないかと、考え直してみる。
↓
思考改善パターン1:「べき」→「必要」→なんのために?
「〜であるべき」を「〜である必要がある」に書き換えてみると、「理由が明記されていない」って気持ちになるため、その理由を再吟味することに気づけます。
↓
思考改善パターン2:べき→しなかったら何が起きる?
「べき」、「べきでない」、「ねばならない」等は、神経言語プログラミングの世界では、
「もし、そうしないとどうなる?」
「もし、そうしたらどうなる?」
という質問を返す対象になっていますので、プロが活用する究極の質問スキルであるNLPのメタモデルを活用してみましょう。
プロが活用する究極の質問スキル!NLPのメタモデルとは?
↓
思考改善パターン3:しなければならない→したい
私達は、油断していると、不用意に、「しなければならない」と書いたりします。
従って、対象に対して、
■本当にしなければならないのか?
■全ての人が?
■気をつけなければならないの本当に?
等、よく掘り下げて見ると、単に、「自分は気になった」ということに過ぎない場面も多いのではないでしょうか。
「しなければならない」
が
「自分はそうすることが良いと考えてるけど別に全ての人がそうするべきだと思ってるわけではない」
だったりしていないか?注意してみて下さい。
日本語は、主語が、不明瞭な発言をできてしまうため、
「主語が大きい」
状態になりやすい点に配慮が必要です。
↓
思考改善パターン4:怒るべきについて
まず、怒るという感情的な手段をおすすめするあたりが筋悪です。
さらに「べき」という根拠不明な押し付けも問題です。
たった、この短い文章で、二つも失敗するのなかなかすごいと思いませんか。
↓
さて、そうは言っても、期待と反応のパラドックスが、私達を苦しめるのも事実です。
ケース1:自分が他人にしたことを他人が自分にすると怒る人がいる
ケース2:自分が他人にしたことを他人が自分にしないと怒る人がいる
↓
繰り返しますが、
「すべき(should)」
という考え方をすると、私達は、どうしても数ある選択肢のなかから、最も優先事項の高いものを選ぶことになりがちです。
その結果、他の価値感を、無視することになってしまいます。
逆に、
「できる(could)」
という考え方は、必ずしも、問題を、トレードオフの関係でとらえなくてもよいという事実に気づかせてくれるのです。
例えば、本当に、悪気があって意地悪する人もいますが、それさえも、その人のできる、最善のことなのです。
できるベストのことが、他人に意地悪するとなると、ちょっとさびしいですが、自分の状態が良くないときは、ベストも限られてきます。
もし、あなたが、恐怖、不安、怒り、罪悪感、羨望、嫉妬、などなど、ネガティブな感情にとらわれるときや、こうしてもらいたい、という気持ちが強いときなどを、想像してみてください。
そう思って、少し広い心を持って見てみましょう。
そして許してあげましょう。
そうすることが、結局は、自分の消耗を抑えるし、気にしないようにできる一番の近道。
何かされて許すというのは、不公平のように見えますが、意外にそうでもありません。
自分の消耗度や疲れ方などを考えると、許せるほうがずっと得をします。
だから、仕返しなど考えないこと。
苦手な人なんていない、大きな気持ちでそう思っていると、本当にそうなります。
【今日の短歌】
「ルリカケス、ルリカケスつてつぶやいた すこし気持ちがあかるくなつた」
(秋月祐一『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』より)
「責めるとか許すとかいふのもちがふ 馬肥ゆる秋 だから忘れず」
(染野太朗「反転術式」『外出』より)
「ああ、博士 まるでひとりの島みたいどこまでも心が浜になる」
(瀬口真司「天使給電篇」『いちばん有名な夜の想像にそなえて』)
「潮のおと耳より心に入れながら脱にんげんの一瞬もある」
(伊藤一彦『言霊の風』より)
「歌数首読みて心の静まれば銀のくさりを引きて灯を消す」
(田附昭二『造化』より)
【参考図書】
「エンジニアの知的生産術 ―効率的に学び、整理し、アウトプットする」西尾泰和(著)
「コーディングを支える技術――成り立ちから学ぶプログラミング作法」西尾泰和(著)
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