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【心に残ったゲーム達】アクションアドベンチャーゲーム『ワンダと巨像』(最後の一撃は、せつない。)
その
「ストーリー」
や
「操作性」
からPlayStation®屈指の名作と語り継がれるアドベンチャーゲーム『ワンダと巨像』が、2018年2月8日に、フルリメイクされ、PlayStation®4(PS4®)のタイトルにラインナップされていましたね。
みなさんには、ゲームに対する
「価値観」
を、塗り替えられた瞬間があっただろうか。
私が、その瞬間を味わったのは、初めて
『ワンダと巨像』
をプレイした、あの日でした。
そのあまりにも
「尖った作風」
を目の当たりにした当時の私は、
「これは、一種のアートなのではないか?」
という感慨さえ覚えたものです。
今回は、以前、『ICO』を遊んでみたこともあって、『ワンダと巨像』についても、簡単に紹介(感想)させて頂きますね(^^♪
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■どんなゲームか?
2005年10月27日にリリースしたPlay Station 2向けのアクションアドベンチャーゲームである
『ワンダと巨像』
のテレビCMは、
「最後の一撃は、せつない」
というキャッチコピーが印象的だったため、名前だけは知っているという人も多いかもしれませんね。
本作では、主人公の
「ワンダ」
を操作して、広大なマップに散らばる
「16体の巨像」
を撃破するのが目的となります。
しかし、ストーリーの描写が極めて少ない点に戸惑います(^^;
「魂を失った少女を生き返らせるために16体の巨像を破壊する禁忌の儀式に挑む」
という、
「ワンダの動機」
こそ描かれてはいるものの、二人の関係性は、一切、明かされておらず、プレイヤーの想像
「あなたと育つ物語」
に委ねられている点が、
「希望は生まれる。どんな時にも」
的であり、そこに魅力を感じられるかどうかが、このゲームの最初の関門でしょうか。
多くを語らず、
「謎」
を残したストーリーも、本作の魅力ですね(^^)/
■アクションパズル的要素が含まれている戦闘
主人公のワンダは、特別な能力があるわけではないのが特徴的ですね。
武器も短剣と弓しか所持しておらず、頼りにできるのは、
「己の知恵」
と
「体力」
ぐらいのものです。
それに比べ、
「巨像」
は、山と見紛うほどの巨躯を持ち、火球や光線を飛ばす魔法じみた攻撃をする等、圧倒的に不利な状況で戦わなければならない点が、ゲーマー魂を燃やしてくれました。
また、
「巨像」
には、弱点があるものの、その弱点以外への攻撃は、殆どダメージが通らないハード・モード系ゲームです。
加えて、弱点の多くは、
「巨像」
の頭頂部等、通常では、到達できない場所にある点が、初見での難易度を、更に、上昇させています。
しかし、
「巨像」
の身体には、
「凹凸」
や
「毛」
等、ワンダがよじ登ることができる部分が存在する他。
「周辺の地形」
や
「巨像の行動パターン」
を利用することで、弱点まで到達できる場合があります。
そのため、本作の戦闘には、
「巨像の特徴や行動を分析し、弱点までよじ登る方法を見つけ出す」
という謎解きのようなプロセスが含まれる点も特徴的です。
このゲームデザインにより、本作が
「アクションパズル」
の側面を持っており、加えて、本作の象徴ともいえるのが
「握力ゲージ」
であり、
「握力ゲージ」
は、
「巨像」
に掴まっていると、徐々に消費され、ゼロになると振り落とされてしまいます(^^;
単に、
「巨像の身体」
をよじ登るのではなく、
「握力ゲージ」
が切れないように、上手く管理することも、このゲームの醍醐味でしたね(^^)/
■無駄を削ぎ落したゲームデザイン
本作は、徹底的に無駄を削ぎ落したゲームデザインが印象的です。
広大なフィールドを駆け巡り、16体の巨像の撃破することが目的となるのですが、じつは、巨像以外の敵は、一切存在しません。
また、一部のムービーを除き、NPCキャラクターも登場しないんですよね。
このような舞台設定は、ワンダの戦いが、孤独なものであることを、殊更に、印象付けてきます。
さらに、UIも、極力、簡素にまとめられており、体力や握力は、シンプルなグラフィックのみで表現され、数値などは一切表示されません。
一見、不便なようにも思えるのですが、プレイしてみると、本作には、これ以外の情報が必要ないのだと理解できて面白いです。
むしろ、画面から余計な情報が消えるため、より、プレイヤーの没入感が高まっているといえるだろうと、そんな印象でした。
それに加えて、BGMの使い方も印象的です。
本作では、フィールド探索時に、一切、BGMが流れないのですが、風の音や愛馬の蹄が、大地を蹴る音ばかりが聞こえるため、薄曇りの天候も相まって、寂しげな雰囲気を醸し出しています。
しかし、巨像との戦闘が始まると、これが一変し、厳かなBGMが再生されて、戦闘前の緊張感を高めてくれます。
巨像の強大さを印象付けるために、あえて探索時のBGMを使用しないという工夫。
それは、単純ながら効果が絶大でしたね。
さらに、ワンダが、巨像の弱点へ到達した際には、希望に満ちたBGMが流れる等、プレイヤーの心情と、ダイレクトに繋がる音楽的演出も見事というほかない作り込みでした。
徹底的に、無駄を削ぎ落し、巨像と戦うという、目的だけを与えられたゲームシステムは、この作品を、単なるアクションゲームに止めない一因であると、評価されていましたね。
■ゲームに潜む「無駄」の位置づけ
実は、本作、Play Station 2のソフトでありながら
「シームレスに繋がる一枚のフィールド」
を実現した稀有な作品だったんです。
これは、昨今流行りの
「オープンワールドゲーム」
でも見られるマップ構成だのですが、視認できる場所の殆どへ、ロード画面を挟まずに、移動できるのは、当時としては。画期的でしたね。
フィールドは、起伏に富み、あえて巨像と関係のない場所を探索するのも、面白かったのを、記憶しています。
本作は、基本的に、
「無駄を削ぎ落す」
方向に、舵を取っているようにも思えるのですが、興味深いのは、
・この様なフィールドの要素
・お世辞にも操作性が良いとは言い難いワンダの愛馬である「アグロ」
等、一見、無駄にも思えるこれらの要素を、何故残したのか?
■真にプレイヤーに体感して欲しかった「せつなさ」とは?
ワンダの少女に対する
「思いの強さ」
や
「禁忌を犯す背徳感や孤独感」
といった感情ではないかと言われており、そんな
「せつなさ」
を、
「ゲーム体験」
として昇華するためには、ワンダとプレイヤーの心情をシンクロさせる必要があります。
それは、本作が切り捨てなかった前述の
「無駄の要素」
が、実は、
「プレイヤーの想像力」
を掻き立てくれていて、ワンダが抱えた
「せつなさ」
を共有させるための
「余白」
だったと考えることも可能だと、多くのプレイたーの方々が感じていたそうです。
これらの
「余白」
言い換えるなと、
・率重視
・合理化
・目的地までの最短重視
等、確かに大事なことだけど、そればっかりも、なんだか疲れちゃいません?
■まとめ
リアルでも、ゲームでも、たまには、目的地を忘れて、横道に入ってみたり、知らない場所にたどり着いて、広い光景を感じてみたり。
あわただしい日々にこそ、そんな
「余白」
が必要だと思い、このゲームの
「無駄」
が存在し、
「便利さ」
だけじゃない、
「道はどこかでつながっているものだよ」
的なおおらかさ、こだわりやロマンを詰め込んでくれたからこそ、本作をプレイした一人ひとりに、
「物語」
が生まれ、決して忘れられない
「体験」
を提供していたのでしょうね(^^♪
少しでも興味が湧いた人は、是非、攻略情報などを見ずにプレイしてみてほしいです。
きっと、あなたに、とっても忘れられない体験になることでしょう(^^)
▶上田文人作品集~ICO/ワンダと巨像/人喰いの大鷲トリコ~ - Mandolin Orchestra
1.Dreams Of Trico (人喰いの大鷲トリコ)
2.Castle in the mist (ICO)
3.The Opened Way (ワンダと巨像)
4.ICO~You Were There~ (ICO)