【日常茶飯事】今日はお休み、お出かけ日和!
わからないという前に、
「何がわからないか」
「どうしてわからないのか」
と、考えられるようになればいいと思います。
「わからない」という言葉を止めて、自分ができるメニュー、やりたいメニューをきちんと書き出すという、最低限度のこともしないで、「わからない」はないんじゃないか?
ある意味、知的怠慢ではないか?と感じます。
やりたいことがわからないの一言ですませて、何もしようとしないは、自分を大切にしていないし、自分にやさしくないのではないかって気がします。
「やりたいことはなんだろうか?」と漠然と考えただけで、すぐに「わからない」と言ってしまうのも、同様だと思います。
「わからない」と言い切ってしまう前に、わかっていることや、わからない理由を考えて書き出すぐらいの、具体的な努力をしたほうがいいと思います。
「星なのか東京なのかわからない深夜の窓に遠くを見れば」
(法橋ひらく『それはとても速くて永い』より)
「きみが好き きみのこころは好きじゃない うそ こころについてはわからない」
(橋爪志保『地上絵』より)
「世界ばかりが輝いてゐてこの傷が痛いかどうかすらわからない」
(山田航『さよならバグ・チルドレン』より)
例えば、できるかできないかは関係なく、やりたいことを何でも書き出してみる。
その中で、どうにかして、やる方法はないかやれるように考えいみれば、一つぐらいは、できることがあるのと思うんですけどね。
たとえば、自分にできることや、得意なことなどを書き出してみる。
その中で、「楽しもう」と心がければ、少しは、楽しめるようになることもあると思います。
やらなくてはならないことでも楽しむ努力をし、それをやることが好きになれば、「やりたいこと」に変わるかもしれないし(^^)
やりたいことが「わからない」と安易に結論を出さずに、やりたいことを見つける工夫や、努力を続けることが大事なのだと思います。
いつもの電車も、明るく感じる♪みたいに、五感を大切に、ね!
「この夜更(よふけ)さくらさくらを歌ひなばいかなる腕にわれ抱(いだ)かれむ」
(水原紫苑『びあんか』より)