【日常茶飯事】夏を感じるモノゴトは、不思議と涼を届けてくれる。
季節の交代を感じる今日この頃です(^^)
アービン・ベーリンが言ってましたね。
「The song is ended but the melody lingers on.(歌は終わった。だけどメロディーは心に響き続ける。)」
人との会話の後等、心に残るのは、話したことの内容よりも、心が通じ合っていたという実感とか、同じ空気を共有していたよなぁ、とか、そんな、姿かたちのあいまいなものだったりするのかなぁ~なんて思います。
みなさんは、どんな風に感じますか?
多くの人の心に残る必要はないけど、大切な人の心には残りたいものです。
言葉は身の丈を超えないといいます。
どんなに深くもの事を考えようとしても、自分自身が身丈を伸ばしていないと、言葉だけが空回りをして全くそこに感受性が表れてこないんですよねぇ(^^;
本人の身丈が深まっていれば、感受性も深まってくるんでしょうけどね。
難しい言葉じゃなくてもいいんですよね(^^)
例えば、ブログに言葉で表現するということは、ともすると背伸びしがちです。
そんな記事も多かったなって反省(^^;
だから、絞り込んだ知識を、自分の身の丈にあった表現に加工して、いつでも自分の引き出しから出せるようにしておくことも大事ですね。
自分の表現ならば、ひねりのきいた問題が出されても、自分なりに、その表現を変化させることができます。
ですから、自分の身の丈を超えた言葉や表現や考えは遣わないように気をつけようと思う今日この頃です。
歌でも、言葉でも、何でも・・・
誰かの心に響いたのなら・・・
一人でもそう思ってもらえたのなら、嬉しいよね(^^)
そのためにも、感受性に敏感になろう♪
四季に敏感になろう♪
【今日の短歌】
「雪のうへに空がうつりてうす青しわがかなしみぞしづかに燃ゆなる」
(前田夕暮『生くる日に』より)
「どこにでもある不安なりペンに書く文字をゆがめてブルーブラック」
「ポンと手を打つ一瞬に潰されし〈わたくし〉が見ゆ 笑つてしまふ」
(久我田鶴子『雀の帷子』より)
「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」
「一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき」
「やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく」
「冬怒涛汲まれてしずかなる水におのが胸もとうつされてゆく」
「母が弾くピアノの鍵をぬすみきて沼にうつされいしわれなりき」
(寺山修司『空には本』より)