【書きたいテーマを探してみよう(読書編)】うちの積読を紹介する
それは、いつ買われたのか自分も知らない。
明るく煩いインクの匂いのする世界で、ひと束の紙が印刷されて整えられていき、一冊の物が生まれた。
彼らはもちろん人間ではない。
また、動物でもない。
だが、その角ばった装幀の中には多様な血が隠されているのだ。
その物体、それは買った人に、読まれなかった本の物語である。
(声:城達也)
■うちの積読
▶文学編(国別)
日本文学:武者小路実篤『愛と死』(新潮文庫)
日本の小説:N/A
アメリカ文学:N/A
イギリス文学:ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(新潮文庫)
ドイツ文学:ゴットホルト・レッシング『賢人ナータン』(岩波文庫)
フランス文学:ジョルジュ・シムノン『青の寝室』(河出書房新社)
ロシア文学:ウラジーミル・ソローキン『ロマン』(全二巻、国書刊行会)
その他の国の文学:イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』(ちくま文庫)
▶エンタメ編(ジャンル別)
ミステリ:貴志祐介『青の炎』(角川文庫)
歴史小説・時代小説:山本周五郎『ながい坂』(上下、新潮文庫)
児童文学:アレックス・シアラー『チョコレート・アンダーグラウンド』(集英社)
SF小説:P・K・ディック『スキャナー・ダークリー』(ハヤカワ文庫SF)
戯曲:アーサー・ミラー『セールスマンの死』(ハヤカワ演劇文庫)
■「積読」をする人向けのPDCAサイクル
・未読の本から1冊ずつ眠っていた場所と状況を記録
・その本を購入した動機を思い出し、記録する
・既読本の中に類似書は無いか、傾向の歯止めをする
・読破計画を立てる
■発見(気づき)
みなさんは、本や資料を読むとき、どんなスタイルで読んでいますか?
幅広い知識を身に付けるためには、あらゆるジャンルの本に、一通り眼を通すことも必要であり、一見、何ら脈絡の無いようなカテゴリーの本を同時に読んだり、時として、ある分野の専門知識を徹底して、身に付けたいと願う時には、1ページに2時間をかけて読むときもあります。
熟読のメリットは、書いた人のレベルまで深く読み込むことで、知識を深めるだけでなく、ものの見方や、考え方まで習得できる点にあります。
いくつかのジャンルで熟読をしていくと、ジャンルは違っても、ものの見方や考え方に、共通した原理原則が見えてきます。
濫読のメリットは、幅広い知識を身に付けるために必要ですが、知識は、知識であって、すぐに、実践では役に立たない場合が、多いものです。
しかし、多くの分野の知識を習得しておくことは、新しい分野の仕事にかかるとき、糸口への対応が、素早くできる利点があります。
また、時間の無い場合は、斜め読みをして、ポイントだけデータベースとして、脳みそに擦り込んでおくことも必要ですね。
いずれにしても、本は、私たちが限られた時間のなかで、経験のできないステージを安価なコストで提供してくれる点にあります。
■問題提起
ただし、これだけ多くの本が毎日出版される現代にあっては、良書と悪書や愚書の区別が難しくなって、きています。
でも、読書というものを、あまり窮屈に考えないほうがよいのではないでしょうか?
前述の文章と矛盾する様ですが、読んだからには、何か、そこから教訓を学び取らなくてはならないとか。
だからまた、大きな教訓が得られるような
「良書」
だけを選んで読もうと心がけるのは、これは、大へん結構なことです。
しかし、じつは、あまりそう窮屈に考えず楽しむための読書のあり方もあります。
そう考えたのでは、読書というものが、ぎすぎすした、何か気重なものになってしまいます。
重苦しく、楽しくないものになってしまいます。
読書は、ほんとうは楽しいものですよ(^^)
気の向いたときに、読みたい本を読む。
それでいいと思います。
世間には、よく、良書だけ読もうというようなことを考えて、そのうちに、すっかり気重になってしまい、結局、本には手をださなくなるというふうな人もいます。
実際には、読んでみないことには、それが、良書かどうかも、本当はわからないわけです。
読もうか読むまいか、と迷っていないで、迷っているひまに読みはじめたらいいのかも。
でも、せっかく期待して読んだのに、こちらの求めているものが、その本からは得られなかったというようなことも、それは全然ないわけではないのですが(^^;
でも、また、求めてはいなかったが、やはりそれも知っておいたほうがいいと思われるようなことの一つや二つは、きっとそこから得られると思います。
やはり、あの本も読んでおいてよかった、と後でしみじみ思うようなこともありますから(^^)
それでよいのではないでしょうか?
せっかちにならないことですね。
そして、あまり欲張らないことです。
よく言われるように、目先きで欲張ると、かえって損をしますからね(^^)
■教訓
本は、わたしたちの友だちになれる対象のひとつです。
でも、気のおけない友だちになる可能性もあります。
また、ときとして、かなり手きびしい批判を加えてくれる友でもあります。
現実の生活において、廻りの人達に求めて求め得ないものがあるからこそ、わたしたちは友だちを拵らえます。
いろいろなことで、話しあいや相談に出かけていきます。
そして、そこで満たされないものを、反対に近くの人に期待したりします。
つまり、日常生活において、ひとりの人間にすべてを期待することができないように、一冊の本にすべてを要求するのは、はじめからムリな話なんですよね(^^;
書物には、それぞれの持ち味がありることを、まず、知っておくべきですね。
一冊の或る本が、ほかの友人には求め得ない、ひとりのよい友の役割を果たしてくれたら、それで充分とすべきではないでしょうか?
わたしたちが現実の日常生活において、なん十人、なん百人の複数の人間とのつきあいのなかで、辛うじて自分の要求を満たし、また、それらの人びととのつきあいのなかで、揉みつ揉まれつ自分の“人間”を成長させていっているように、数多くの本に接することで、自分の要求がかなえられるのだと思えれば、本を手にとって、読んでみる価値もあると思います(^^)
また、そのことで、自分の人間的成長が得られるのではないかと思います。
読書とは、そうしたものだと思うのですよね。
けれど、また、友だちをたくさん拵らえるといっても、その友だちがいつも似たりよったりの人たちばかりだと、かずは多くても、これはお互いのあいだに進歩がありません。
成長がとまってしまいます。
いつも相手のいうことにバツを合わせて、ひとをそらさないような“つきあい上手”“お上手もの”なんかも、かずある友だちの中には一人や二人はいるものです、そんな連中のいうことを真に受けて、いい気になっていたら、それこそおしまいです。
だから、友だちの選びは大事なんでしょうね(^^;
それと同じ意味で、本の選びがやはり大事です(^^♪
■結論
本は、選んで、読むようにしたいものです。
いつも、自分の気もちに、ぴったりするような読み物にだけ接していたのでは成長はありませんよね。
わたしたちの心の片隅にひそんでる、卑俗な根性に媚びたような、たちのよくない読み物もけっして少なくないのですから・・・
本を選んで読むということは、さっきから繰り返えして言っているように、肩の凝るような固苦しい意味ではないのです。
いつも同じ人とばかり話していないで、たまにはグループ以外の毛色の変った人とも話しあってみることが、生活に幅を増し加わえ、生活に新らしみを添えるように、新らしい本の選択によって、やはり読書の範囲をひろげていく必要があるだろうというまでのことなのです。
そのほうが読書にハリが出てくるし、生活が楽しいものになるから。
そのための現実的な対策としては、やはり、まともな本を選んで、それを数多く読むようにする、精読する読み方が良いのかもしれません。
多読と精読は、矛盾しませんしね。
■コメント
一冊の本を、いくら時間をかけて読んでも、ズレた読み方をしていたのでは、結果は、
「雑読」
「濫読
ですし、
「多読」
でも、読み方がまともでなければ、というわけです。
けれど、どちらかといえば、
「多読」
のほうが、良書・悪書を見分ける目もできるようです。
したがって、自分なりの
「かんどころをつかんだ本の読み方」
「まともな本の読み方」
を早く身につけるようになるらしいのですよ。
自分の読書の傾向をつかんで、違ったかたちの友が増えていければいいですね(^^♪
■参考記事
「読む」
ということに関することで、
「音読」
とか
「多読」
「精読」
などのように、下に
「読(どく)」
がつく熟語があることに気がつきました(^^)
これも、いろんな読む状態を表わしていますよね。
これも調べてみると、次のようなものがありました。
愛読/(暗号)解読/一読/閲読/会(かい)読/回読/解読/訓読/講読/購読/誤読/再読/細読/査読/色(しき)読/自読/熟読/誦(しょう)読/触読/心読/真読/晴耕雨読/速読/卒読/素読/体読/代読/耽読/直読/通読/積読(積ん読)/点読/転読/顛(てん)読/難読/拝読/背(はい)読/白読/判読/範読/繙(はん)読/必読/披読/復読/併読/奉読/捧(ほう)読/味読/黙読/訳読/濫読(乱読)/略読/流(りゅう)読/輪読/連読/朗読/和読
まったくねえ、いろんな読む状態というか、読み方があるものですよね。
人間は、言葉をもつようになり、それを表わす文字をつくり出してきた証拠のような気もしてきます。
言葉は、違いを表すものなんだろうなあ。
文字を持たない文化というか、民族もあるようですが、それは、例外といってもいいのかもしれませんね。
文字で文章を綴り、それを本、といっても、最初は、石とか板などに、一字一字書いていたのですが。
紙や印刷術を発明して、大量に本をつくれるようになったから、そこに書く言葉の表現方法も、いろいろ考えられて、言葉が生まれてきたんだろうけど。
実は、わたしたち、その言葉の中に、生まれてきたとも言えますよね。
本がなければ、文化・文明は維持できないし、発展もない、と言えるかもしれません。
人は、
「文字を読む動物、本を読む(読書をする)動物」
つまり、
「読書する生き物」
と言えるかもしれませんね(^^)
■参考図書
「積ん読の本」石井千湖(著)