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【メモ(memo)】もっと楽してみる

いろいろとしんどいときには、もっと、楽になることを優先してみるのも悪くありません。

ところが、楽をすることを、自制している人も多いものです。

あなたはいかがですか?

楽をすることは、悪いことですか?

この場合、楽をしてはいけない、楽をしたら、甘えていることになる、というような思い込みがジャマをしています。

もちろん、ときに楽をするよりも、大変な道を選んだほうが、自分のためになるときもあって、いつその「楽」の選択をするかというのは、微妙なときもあります。

行動に関しては、確かにそういう場合もあるでしょう。

ただ、考え方やモノの見方に関しては、もっと楽をしてもいいのでは。

例えば、そんな楽しいことは毎日ないよって声が聴こえてくるけど、毎日が、普通か悲しいことが多いと思えば、ちょっとした楽しいことも、大きな楽しいことになりそうな気がしませんか?

誰にも、自分なりの基準があって、それをベースに感じたり、考えたり、悩んだり、楽しんだりしていると思うのですが、自分の中の基準を下げれば、少し気が楽になることもあると思えませんか。

最初は、難しいかもしれないけど、完璧を求めすぎないように注意しながら、ものの見方を自分でコントロールすることで、柔軟に対応してみてはいかがでしょうか。

その日の自分が、どんな基準で考えるようにしていたのか?

省みるのも良いかなって、そう思います。

また、今の私はだめだ、だからもっとやらなくちゃ、なんていう考え方は、もっと楽なものにしたほうが結果的にプラスになるはず。

私はもっとやれる、と思うのは良いとして、でも、そこで、今の私はダメだと思っていると、それがマイナスの素。

私はダメだと思うことが、せっかく「もっとやれる」というプラスの思いを相殺してしまい、結果的にしんどくなってしまいます。

もっとできるから、少しリラックスしよう、と思ってみたり、もう少し自分を信じてみよう、やってみよう、と思うことで、マイナスの思いは追い出すことができるはず。

それでもマイナスの気持ちがよぎるなら、これもトレーニングの過程だと思って、あまり気にしないでおくこと。

それから、疲れているときに自分にムチうつこともありません。

休むことは誰もが必要とすること。

楽をすることは根本的に違います。

一生懸命働くことは尊ばれるので、楽をしたらいけない、というような刷り込みが確かに私たちにはあります。

でも、自分のココロや身体の健康を犠牲にしているのもよくないこと。

そして、それが続いたら、大変です。

楽をする、という言葉がいやなら、言い方を変えて考えましょう。

もっと楽をするの代わりに、もっと自分を大切にする、とか、自分を尊重する、とか。

自分のココロが楽になれるように、自分を大切にする考え方を身に着けよう、となればいいのです。

楽をしてはいけない、というのも、手放してみましょう。

楽しちゃいけないなんて、そもそも誰が言ったのか。

どこかで、その考え方を身に着けたのですから、別の考え方も身に着けることが可能です。

ヒトは当たり前の存在には、あっという間に慣れてしまいます。

自分自身の存在も含めて。

だからこそ、照れ臭かったり、畏れてみたり、避けてみたり、むしろ考えることすら、もしかするとしないのかもしれません。

人生は旅である。

チルチルミチルみたいに、青い鳥を置いてけぼりにして、飼い方を訪ねて探しに出かけたら、永遠に旅は続くことになってしまいます。

もしかしたら、帰るころには、鳥かごは空っぽだったってことにもなりかねません。

だったら、一緒に出かければよいのだと思いませんか。

そして、青い鳥に、「お前は、どうしたいのか?」と聞いてみたらいいのです。

だって、対象も表現も、内に持つ想いも届ける言葉も、本当に千差万別。

ひとはみな違う。

だからこそ、「お前は、どうしたいのか?」と自問自答しながらも出逢う人と人は、時に強く惹かれ合い、反発し、共鳴し合うのだから、途中の道程だけをフォーカスして、歩みを止めないで下さいね。

そして、かけがえのない存在に出逢えることで、生きるチカラをくれる筈です。

そんな目に見えない、形なき美しいものたちを、ちょっと立ち止まってでも、考えてみるために、楽に過ごす時間が必要です。

まわりがどうであれ、気にしない。

心穏やかに、楽に生きるための思考法に切り替えて、そう感じてもらえる場所に自分から変わっていく。

それは、自分は自分の人生を生きているという実感や自己効力感を得ることでもあるのです。

身体は、本来、心にとても忠実で正直なものだから、心が認識する前に、確実に、心のサインを感じて身体に反応が表れたりしていませんか。

身体的なサインを感じるということは、心の声を聞いているということと同じではないでしょうか。

身体的ななんとなく感じる違和感を無視して、自分自身よりも、他の人の常識や意見を優先してしまう状態が定着してしまうと、感覚と思考のつながりが悪く、分離してしまう可能性が高くなってくるので注意して下さいね。

エネルギーを思うように使えず停滞したり。

思うように行かなかったり。

不自然なところへ負荷がかかったり。

だからこそ、自分の心と身体の声を解放することはとても大切で、前述の通り、もっと楽してみる時間が大切になってきます。

誰もがはじめから、自分らしさとか、自分を分かってるわけじゃない。

心と身体に正直にあることで、思考や脳や自我が自分らしくなっていくのではないでしょうか。

人は、それぞれの環境下、日々、生きていく過程の中で、過去の囚われや、思考のクセ、不要な習慣を認識して、壊して、再生し、修正していくことで、少しずつでも楽に生きていけるように変わっていけるのだと、そう思います。

だから、人生に、自分に、自分の考え方に、違和感や、ズレや、気持ち悪さを感じたらチャンスです!

誰しもが。

時に葛藤や迷い。

不安や恐れに向き合い。

時に喜び。

何かを慈しみ。

誰になんと言われようとも。

譲れない大切なものとともに。

生きてきたのだと思います。

そうなっていなかったら、落ち込む前に、観察して、修正すればいいだけで、自分を否定する必要は、1ミリもありません。

自分の専門家は、自分しかいないのだから、自分に余白をつくる贅沢な時間を、適宜、提供して上げて下さいね。

そして、自分の生き方を、自分で創っていきたいですよね。

そう、まっぴらだよね。

「誰かである」なんてこと!

だから、外側に惑わされず、心の火を灯し続けていくためにも、一休み(楽すること)は、大切です。

いずれにしても、いつもがんばらなくちゃと思っているなら、たまには楽をしてみるのも、いいではありませんか。

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