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外へと踏み出す、今日一日の第一歩。

空海は、『性霊集』の中で「心暗きときは、即ち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば、途に触れて皆宝なり。」と言っていました。

「空海「性霊集」抄―ビギナーズ日本の思想」空海(著)加藤精一(訳)(角川ソフィア文庫)

「空海「性霊集」抄―ビギナーズ日本の思想」空海(著)加藤精一(訳)(角川ソフィア文庫)

いまでいうところのプラス思考のススメです。

世界が灰色に見えたりバラ色に見えたりする、というレトリックがありますが、実際のところ現実認識の彩りも自分次第ということになります。

空海といえば、繰り返しの妙を随所に伝えたことで有名ですが、その効果は口に出して読むことでわかります。

たとえば、「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」という文句には、心を揺り動かす響きがあるように思えます。

あたりまえのことをあたりまえにすることはきわめて美徳なことです。

そんなことがあたりまえに考えられてきた時代をなぜ笑うことができようか、否。

やるまえに否定し、行うことも否決する。

それが本当に賢いことであろうか、否。

できる結果より、努める姿勢のなかで日常が培われていきます。

いつからそれが過去の遺物のようになってしまったのであろうか。

捨てて棄ててステテ捨て切る世の中であれば、最後に捨てるのは自分自身だという覚悟が必要だと言っています。

その覚悟がないまま、楽へ向こうとする世界。

いつのまにかそれは地獄へと続く階段になっているのかもしれませんねぇ^^;

人が人として生まれることはそれだけで幸福だという想いは、永遠の真理であるはずなのに、なにかをなすべき時にしか見出されない思考は、さながら永久につづく堕落へのシナリオの一部にしかみえて仕方がありません。

そう言えば、『法句経』六十番で「眠れない者には 夜はとても長い 疲れきった者には 道はとても長い 愚かな者には 一生はとても長く 人生の正法をついに知ることはない」とも書いてあったしなぁ。

「ブッダの真理のことば・感興のことば」中村元(訳)(岩波文庫)

「ブッダの真理のことば・感興のことば」中村元(訳)(岩波文庫)

だから、理解し易いように、身近な言葉に置き換えてみることが、良いかもしれませんね。

無防備な楽観主義はリスキーですが、無駄に悲観主義でいても始まりません。

ネガティブな事態に直面しても、それは自分にとって今必要なことだから身に降りかかっているのだ、と捉えれば覚悟ができてくるのではないでしょうか?

覚悟は、英語で言えば、”be prepared”、つまり準備ができるという意味です。

例えば「不安」はそのままではどうしようもありませんが(だからますます不安になる)、具体的に何がどうなればどうなるのかを身近な言葉に置き換えることで、準備が進むと思います。

そこで、フランスの喜劇作家であるマリヴォーの言葉が思い起こされます。

「自分が愛らしいことを少しばかり忘れたら、ほんとに愛らしくなる女が世の中に多い。」

男性も女性も、傲慢な態度は大きく魅力を損なうものです。

なるようにしかならないが、なりたいようにはなれないからもどかしくもあります。

だから、ならないとおもってもなるものはなるし、なれないことをすればならずものになってしまう。

「なるようにしかならない」は「ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)」というふうにも言えます。

私自身も、日常業務の中で、「どのように足掻いても、なるようにしかならない」場面に何度か直面しました。

しかし、大局的に「どっしりと構える」のと、「どうせ○○だからと、投げやりになる」のでは根本的に違います。

「正しいこと(社会通念上)」については、「待てば海路の日和あり(待っていれば、海の静かないい日和がやってくること)」との諺のごとくゆったりと待ちたいものです。

ただ、なかなか自分のなりたいようにはなれないですね。

でもそこが面白い。

誰が何と言おうと自分の好きな事や物を突き通す人はカッコイイと思っています。

例えそれが周りから見てダサいなんて言われても、ね!

突き通す事は本当に素晴らしい事です。

音楽にしても人種にしても何にしても境界線なんて無いのだから・・・・・・

なるほど!

であれば、毎日、お気に入りの靴で、しっかり踏みしめて、歩き出したいですね(^^)

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