【勝つ=成長する?勝ち負けの捉え方】勝ち負けの淡くなりゆくわが生かな~
大谷二刀流勝利でWBC伝説が始まりましたね。
今回の大会では、メジャーリーガーのスター選手も続々と出場を表明しています。
各国にメジャーリーガーが分散されており、野球ファンには、たまらない熾烈、且つ史上最強の闘いになりそうで、楽しみですね(^^)/
球技の楽しさを説明するのは難しいのですが。
球技は、ほとんどチームスポーツだし、会話や人の関係性が必要になってきます。
自分ひとりの能力では勝てなく、仲間とのコミニケーション、信頼性などがあってこそ勝てるものなので、自分的には、そこが面白いと思っています。
能力が高い選手を見るのは楽しいですが、高度なチームプレイを見るのも楽しいですね(^^)/
これらの要素があるから面白いんだと思います。
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そうそう、子供のころは、毎日の様に、小さな勝ち負けを繰り返していませんでしたか?
特に、男の子は(^^)
例えば・・・・・・
・ブランコ靴飛ばし(何故かムキになってやってしまうのは何故?(@@))
・じゃんけんグリコ(神社の階段(100段以上)が主戦場)
・缶蹴り(1回鬼になると沼る^^;)
・ケイドロ(町内全域で展開(民家の庭先に逃げ込んで親父に怒られた(爆)))
・ドッジボール(超至近距離でのボールでの殴り合い(爆))
・草野球(町民グラウンドの場所取りからスタート)
等々。
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悪ガキだったから、もちろん喧嘩だってする(爆)
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小学校高学年になってくると、個人からクラスや町内等へと、戦いの舞台が変わり。
剣道の団体戦の参加に始まって。
小学校や町内会の運動会の競技だった騎馬戦や対抗リレーに選抜されたり。
町内・市内のソフトボール大会での大人のガチンコ勝負に巻き込まれたりと(^^;
なんだか負けが許されない雰囲気が感じられて。
勝つか負けるかの世界へ踏み出して行った時でしたね。
小6の時、市内のリレー・カーニバルの4×100mリレーに参加することになり、戦いの規模が学校 VS. 学校になって、放課後の練習も厳しめでしたね(^^;
バトン練習が退屈で、走るのは好きだったから。
早く走らせろと、心の中で叫んでました(爆)
基本、イノシシタイプの走り方(猪突猛進:直線でしか強さを発揮できないタイプ(^^;)なのと、スタートが早くなくて、カーブが得意ではなかったから、必然的に、第二走者に決定。
そんな状況だから、ますます、負けられない状況へ^^;
でも、アンカーがむちゃくちゃ早くて、第一走者は、スタートのタイミングが抜群に上手かったから、なんとか優勝できたのは、良い思い出です(^^)
【4×100mレーの走順の決め方】
第一走者:唯一スタートがある。
第二・三・四走者は、バトンを受け取る前に助走が取れる。
トップスピードに乗るまでに時間がかかるランナー(後半追い込み型)は、第一走者以外にする。
第二・四走者:ほぼ直線を走る。
第三走者:コーナー(カーブ)を走る。
カーブでスピードに乗れる選手を第三走者にする。
上記のような選手の得意・不得意を考慮に入れて走る順番を決めていましたね。
【参考資料】
4×100mリレーなのに走順で走る距離が変わる理由
【これがリレー!】 アメリカ vs カナダ 壮絶なデットヒート【世界陸上オレゴン 男子4×100mリレー決勝】
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そんな他愛のない勝ち負けから、結構、シビアな勝ち負けを繰り返しながら。
時代や個人差は有ると思うけど。
子供は、人と競い合って生きてゆく訓練をしていたのかもしれませんね(^^)
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そんな感じだったので、自然と、中学・高校では、体育会系の中で球技系の部活動に参加!
え!?
何故、剣道部に入らなかったのか?って(^^)
進学した中学校に剣道部が無かったので。
何の迷いもなく、大好きな野球部へ(爆)
中・高校生になって・・・・・・
全てが、初めてのスタート。
みなさんは、はじめてしたことって今でも覚えていますか?
はじめて丸坊主(@@):小6冬
はじめてレギュラー:中3春(センター/背番号8)・高2秋(セカンド/背番号4)
はじめてキャプテン:中3
はじめて対外試合(初打席):中3春/打順1番・高2秋/打順1番
はじめて完封負け_| ̄|○
はじめて完封勝利
はじめてコールド負け_| ̄|○
はじめてコールド勝ち
はじめて出来た友達
はじめて交わした約束
はじめて触れた優しさ
はじめて知った痛み
はじめて流した涙
等々。
キマグレン「リメンバー」
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色んな初めてを繰り返しながらすごした学校生活の中心は。
勝ち負けを意識せざるを得ない緊張感のあった体育会系での部活動でしたね(^^)
あの背番号をつけてみたい。
レギュラーになりたい。
レギュラーから外されたくない。
何とか、このプレーができるようになりたい。
大会で納得できる結果を出したい。
そういった強い想いを胸に秘めて。
日々全力で練習に取り組んできたのは、全て、試合に勝つため。
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でも、日々の努力がそのまま成果に結び付くわけじゃない。
当たり前だと思っていることも。
失ってしまうと、はじめて、その大切さに気がつく。
中学・高校での生活は、当たり前のことなんて何一つ無いことを知った時期でもありました。
amazarashi「ジュブナイル」
《君が君を嫌いな理由を 背負った君のまま 成し遂げなくちゃ駄目だ/僕は讃える君等のジュブナイル 向こう見ずだっていい/物語は始まったばかりだ》
私たちは、変化を当たり前と考えなければなりません。
しかし、実際に、私たちが考える当たり前は、変化を前提としているのではなく、昨日までそうだったことを前提にしています。
だからこそ、当たり前という思考の前提条件を疑わなければならないのだと、今は、そう考えています。
なぜなら、昨日までとちがう状況になるのが変化だから(^^)
ってことを知るのは、かなり後。
社会人になってからなんだけどねぇ^^;
「勝つこと」以上に「勝つためにどのような準備をしてきたのか?」ということが大切だってことです。
amazarashi「未来になれなかったあの夜に」
《なじられたなら怒ってもいいよ 一人で泣けば誰にもバレないよ/そんな夜達に「ほら見たろ?」って 無駄じゃなかったと抱きしめたいよ》
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【アニメ&漫画】
今になって思えば。
この時。
最近放送されたTVアニメ「ブルーロック」18話の絵心甚八の以下の言葉の意味に気がついていたら・・・・・・
もっと、違った景色が見れたかもしれないなと。
そんな事を、ふっと思ってみたりしました(^^)
「敗北ってのは勝負の世界に必ず発生する、ただの現象だ。」(絵心)
「たとえ世界一のストライカーでも、全戦全勝なんてのはあり得ない。」(絵心)
「大事なのは、敗北に何を学ぶかだ。」(絵心)
「今までの努力を無駄にしないためにも、諦めないのが正解だと己を錯覚させる。」(絵心)
「それを俺は”夢のドーピング”と呼ぶ」(絵心)
「叶えるためにあったはずの夢が、いつの間にか追うことが目的にすり替わる。」(絵心)
「そうやって己をごまかし続ける夢の亡霊になったゴミに」(絵心)
「俺は1ミリも興味はない」(絵心)
「夢は叶えるために生きなきゃ意味がない」(絵心)
「だからこそ、敗北は夢の岐路だ。」(絵心)
「必要なのはこの瞬間に、己の非力を痛感できる強さ。」(絵心)
「絶望する才能だ」(絵心)
「絶望してもなお戦わんとする人間に、夢を叶える力は宿る。」(絵心)
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ここで思い出したこと。
みなさんは、目標を掲げた人が、諦めるまでに挑戦した平均挑戦回数が、何回だったか知っていますか?
答えは、0.8回です。
この数値の根拠は、「思考は現実化する」の著者ナポレオン・ヒルが、3万人を対象にして行った実験結果です。
0.8回というのは、殆どの人が、1回も挑戦しないでやめてしまったという事実を示しています。
言い換えると、「やってみたい気持ちはあるんだけど、どうせできないし、やらなかったら挫折もしないからね」といって挑戦していない事実。
逆に、一度でも挑戦したことがある人は、いろんなことに挑戦しているはずですよね。
なぜなら、これまでにいろんなことに挑戦し、失敗もたくさんしていると推測できます。
それと同時に、成功体験も多いからです。
自分は、3日坊主で何も続かないんですという人でも、この平均挑戦回数が0.8回ということを考えると、3日坊主でも上出来だと思いませんか?
そもそも挑戦したことがすごいし。
それが、3日も続いたこともすごいことだと思います。
実は、挑戦を諦めた時、人は充足感を得ます。
これを、諦めによる欲求充足と言います。
どういうことかというと。
人は、何かに挑戦しようと決めた時に充足感を感じます。
それと同じか、もしくは、それ以上に充足感を感じるのは、諦めた時なんですね。
「これでもうしなくてよくなった!」という開放感があるために、この様に感じてしまいます。
この諦めによる欲求充足というのは非常に危なくて(^^;
例えば、みなさんも経験があると思うけど、物事を、3日でも続けて「辛い」「大変だ」と思っている時。
「やめた!」となれば、かなり気持ちが楽になりますよね。
同時に、「諦めるってこんなに気持ちいいんだ」ということを潜在的に知ってしまい。
何かやるたびに諦め癖がついてしまうのです。
ここで諦め癖がついてしまうと。
どうせ自分は諦めるからと思って、挑戦すらしなくなっていくのです。
これは非常に危険であり、正に、前述の「夢のドーピング」に陥ってしまう瞬間です(^^;
これを経験してしまうと、環境が、仕事が、恋人が、時間が、等々、沢山の言い訳を身に纏ってしまい、大きな目標に向かう小さな目標さえも挑戦しなくなる可能性が高くなります(^^;
この危険性を、社会人になって、早めに知る機会が有った事は、それ以降の私の人生を有意義にしてくれたと思います。
欲しいのは、経験のバリエーションで、その中に、当然、数々の「失敗」も含まれるからです。
じゃあ、こんな時はどうしたらいいか?
必要なマインドとしては、少しばかりの「勇気」と「行動力」です。
そう言えるのは、時間は有限で、無駄には費やしたくないもの事実だから、自分から行動することが、目的地に最短で辿り着く一番の近道は、この「行動力」です。
そして、以下の様なアプローチが効果的であると、身をもって経験できたことは、今でも大きな財産となっています。
要は、根強いマインドブロックを壊すことは、中々に困難な事だけど、こんな時、諦めてしまう可能性も考慮して、スモールステップで目標設定をすることが、一番の有効策だと考えています。
また、仮に続けられない日があったとしても自分を責めないこと。
そんな時は「人間だもの」と、ダメな自分を受け入れることです。
つまり、「人間だから駄目なこともあるよね。でも、今日はダメだったけど、もう一度明日挑戦してみよう」と思うことが大切だと考えます。
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【初期詩集】
そう言えば、リルケの「初期詩集」に、以下の詩があります。
「リルケ詩集」(岩波文庫)リルケ(著)高安国世(訳)
「人生を理解しようとはしないがいい
そのときそれは祝祭のようになる
日々をただ過ぎゆくにまかせるがいい
ちょうど子どもが歩いて行く時
風が吹いてくるたびごとに
たくさんの花びらをもらうように」
気負わず。
慎ましく。
澄んだ流れの中で。
流れ去る時間の中で。
ときどき手のひらに触れる花びらや。
そのささやかな日々で出会う親和や違いを、大切に、大切に扱う。
虚心坦懐。
ありのままの世界を意味付けすることはせず。
限りあるこの世の時間へのささやかな愛情を持ちなさいと。
この詩集は、言っているようです。
そうそう、ひとつ大切なことを、お伝えしておきますね(^^)
言葉には、たぶん、形と色と重さがあり、感触があり、味があると思います。
だから外国語で書かれた詩の翻訳は、翻訳されたというだけで、もはや変質しています^^;
そのため、詩を読む時、原語のまま読むのでなければ、自分にあった翻訳者と出会うことが重要だと思うから、好きな翻訳家の詩集を探してみるのも、楽しいかもしれませんよ(^^♪
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【おとなの詩文庫】
わかっちゃいるけど(^^;
ただ、大人になるほど、わかりやすい正解を求めて、こっちはよくて、こっちはよくないって、二元論で安易に判断。
みたいな考え方をしてしまいがちです(^^;
本当はそうじゃないんですよね。
「ぼくは ぼく」谷川俊太郎(著)
この詩集に収録している初めの詩「生まれたよ ぼく」。
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい
そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい
この詩集は、何かを否定することもなく、かといって何かを全肯定するわけでもありません。
でも、だからこそ、「ぼくはぼく」、「わたしはわたし」でいるだけで、いいんだと思わせてくれます。
「いる」
ぼくはしてる
なにかをしてる
でもそれよりまえにぼくはいる
ここにいる
ねむっていてもぼくはいる
ぼんやりしててもぼくはいる
なにもしてなくたってぼくはいる どこかに
きはたってるだけでなにもしてない
さかなはおよいでるだけでなにもしてない
こどもはあそんでるだけでなにもしてない
でもみんないきて「いる」
だれかがどこかにいるのっていいね
たとえとおくにはなれていても
いるんだ いてくれるんだ
とおもうだけでたのしくなる
私たちは、無意識のうちに、直ぐ、誰かや、何かと比べてしまいます。
たとえ状況がそんなに悪くない時でも。
比べてしまって、落ち込んでしまう時。
この詩は、そんな胸のつかえを取ってくれて、優しく抱きしめてくれます(^^♪
何かしなきゃ、何かしなきゃと焦る前に!
今、ただここにいることを慈しみ、楽しんでみる。
そんな当たり前の喜びを思い出させてくれる詩集です(^^♪
「かけっこ」
いっとうの あじが バナナなら
びりの あじは にんじんか
ところで ぼくは にんじん だいすき
なまで ぼりぼり かじっちゃう
いっとうの きもちが はれならば
びりの きもちは くもりぞら
ところで ぼくは くもりが だいすき
まぶしいと みえない ものが よく みえる
どっちがいいじゃなくて。
どっちもいい。
そう思えるようになって。
はじめて。
それぞれの本当の素晴らしさに気付くことができるんでしょうね(^^)
雨は雨。
曇りは曇り。
晴れは晴れ。
ぼくはぼくで。
わたしはわたし。
きみはきみだし。
あなたはあなた。
みんな違うから面白いし。
そこにいるだけで意味がある。
比較ではなく。
尊重することで、それぞれの素晴らしさを見出して行く。
そんな日々を過ごしていきたいものですね(^^♪
そしたら。
どんな日だって。
どんな相手だって。
愛せそうな気がしませんか?(^^♪
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人は、誰もが自分の中に、それぞれの始まりと終わりを持っていると思います。
シンプルで当たり前のことを私たちは、ときどき忘れてしまうけれど。
私たちは、ときどき思い出さなくちゃいけないんじゃないかなって。
どんな想いにもまっすぐ向き合うことが難しくなってきた時。
今を見つめるということの大切さとともに、はじめましての頃を思い出して。
しっかりと命の時間の長さだけ前を向いて、これからも歩いてゆけたらと思っています(^^)
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【たぶん、これも短歌の様なもの?】
最後に、高校での卒業式を終えて、最後になる校庭を歩いて正門に向かう途中。
ふと立ち止まり、3年間を過ごした校舎を見た時。
感じた思いを短歌にしてみました(^^)
たぶん、こんな感じだったかな?
「校庭に 置き去りにした 果たせぬ夢 意味を説きつつ(今この時が) Rready(明日への)Set(用意)Go!」
Note:
アメリカでは、「Ready Set Go」が一般的です。
イギリスでは、「Ready Steady Go」を使用します。
L'Arc~en~Ciel「READY STEADY GO」