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【宿題帳(自習用)】情報の力を獲得するために心と情報との付き合い方を再考してみる(その1)

言語の意味には、デノテーションと並んでコノテーションが存在し、一体となって言語の意味を成しています。

デノテーションは、中心的意味、客観的意味、指示的意味、外延、外示と訳されています。

一方、コノテーションは、周辺的意味、情意的意味、含蓄的意味、内包、共示よ呼ばれています。

意味の中核を成すデノテーションに対し、文化、社会または個人によって異なる補足的価値をコノテーションと私たちは了解しています。

しかし、現在まで、その用法も概念も、人によって様々です。

デノテーションとコノテーションという概念は、もともとスコラ倫理学(※1)の用語であり、言語学は、それを、その現代的用法から取り入れました。

※1:
スコラはラテン語で学校の意味であるが、スコラ学はとくに中世の大学で行われた諸学問に共通する方法を示すものである。
学問の主題領域の体系的な区分、個々の主題をめぐる相異なる諸見解の対置、合理的な論証による問題の解決、論駁や再解釈による対立意見の解消などが特徴である。

倫理学での出発点はJ・S・ミルです。

J・S・ミルにおけるデノテーションとは、ある概念を属性とするような対象物の総体、つまり、外延であり、コノテーションとは、その概念に属する特徴の総体、すなわち内包ということになります。

例えば、「椅子」では、椅子の性質をもつ家具の集合体がデノテーションであり、それぞれの椅子を構成する性質の集合(腰掛けるものである・背凭れがある・脚がある等)がコノテーションとなります。

また、「薔薇」という記号が、バラ科の植物一般を示すものとして用いられるとき、その意味は、デノテーションされていますが、その記号によって、例えば「愛」や「情熱」などの象徴的意味が付随して理解される場合には、その意味は、コノテーションとして示されます。

さて、情報という言葉程、常日頃使われているにも関わらず、そのコノテーションが曖昧なものはなく、例えば、以下の通りです。

①ニュースや書籍等に依って得られる知識の同義語として使用

②工学的にはエネルギーや物質とは区別された或る統計的な量として定義

③コンピュータが普及した現代ではバイナリ化された記号・音声・映像データという意味を担う

そして、一般的に情報は、ある条件下において、下記の様に理解されていますが、

1)知識の同義語と見なされる際、言語とオーバーラップさせて理解されることが多い。

2)ビットを単位とする情報量と見なされる時、人間から独立で格別な存在と解されることが多い。

この情報と言語との等置、情報の独立自存という二つのドグマを回避した地点に、新しい情報概念を打ち立てることを目指した本書において情報とは、「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」と定義しています。

「こころの情報学」(ちくま新書)西垣通(著)

すなわち、心(あるいは心的システム(※2))を持つ生物がいなければ、情報は存在しないという生命情報の立場に立っています。

※2:
心的システムは、「思考」を構成素とするオートポイエティック・システムです。
ここで思考とは、イメージや概念を表わす記号、特に言葉によって織りなされる自己表現コミュニケーションとされています。
思考の一連の流れが記述されると、社会的に通用する社会情報になります。
なお、ヒトの心は、心的システムが意味論(セマンティックス)を処理するのが前提となっていて、むしろ、そういう存在であるヒトが他の動物にはない統辞論(シンタックス)―機械情報といってもいい―を求める等と西垣通氏は同著で述べています。

つまり、ヒトや動物がいないと情報も存在しないという立場です。

これに対するのは、記号の意味が捨象された機械情報の世界であり、記号の伝達と効率のみの世界となります。

コンピュータ同士の情報の遣り取りや、意味が固定化された社会の情報を指しています。

端的にいえば、情報とは、生命の意味付与作用にほかなりません。

したがって、生命を抜きにして情報を論じることは意味を成さないことになります。

つまり、情報とは、生命と共に誕生したのだとの事実認識を持つ必要があるということです。

このテーゼは、私たちにとって、これからデジタル社会を進めていく上で、情報について考える際のスタート地点になるはずです。

そう考えられる理由は、以下の通りです。

①情報が単なる言語的意味の領域に留まらず、価値や情動の領域にまで拡張される拠点を与えられる。

②何らかの生命相互のコミュニケーションを離れては、情報が端的に無意味となり、没概念となり了わる。

情報という視点から人の心を理解していくには、本来、別次元である情報学、動物行動学、人工知能、現象学、言語学、社会学のキーワード(例えば、アフォーダンス(※3)、フレーム問題(※4)、オートポイエーシス(※5)等)を、パズルのように組合せ、総合的に考えていくことが重要だと考えられます。

※3:
①ギブソンのアフォーダンス理論
1950年後半に提唱されたもので、認知心理学で「情報は環境に存在し、人や動物はそこから意味や価値を見いだす」という概念になります。
ちなみに、アフォーダンスは英語の「アフォード(afford)」が、「与える」や「提供する」という意味から、ギブソンの作った造語です。
例えば「定規」と「人」関係の場合、「人」が「定規」を使って「定規は長さを測るもの」という役割を持つようになるのではなく、「定規」にある「長さを測るもの」という性質が、「人」に「長さを測る」という行動を引き出しているということです。
この場合「定規には長さを測ることができるというアフォーダンスが存在する」と表現します。

「アフォーダンス そのルーツと最前線」( 知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承 9)河野哲也/田中彰吾(著)

②ノーマンのアフォーダンス理論
現在広く使われているアフォーダンスは「物の持つ性質が、行動のヒントや意味を伝達する」という意味であることのほうが多いでしょう。
これは、1988年にアメリカの認知科学者であるドナルド・アーサー・ノーマンが提唱したもので、人が過去の経験などをもとに行動や意味に結びつけると考えました。
例えば「定規」と「人」関係の場合、「定規」に目盛りが付いているから人は「長さを測るもの」だとわかるということです。
この場合「目盛りがある物は、長さを測ることができる」という「知覚のアフォーダンスが存在する」と表現します。

「誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論」D. A. ノーマン(著)岡本明/安村通晃/伊賀聡一郎/野島久雄(訳)

※4:
フレーム問題とは、人工知能は有限の処理能力しか持たないため、現実で起こりうる無数の出来事に対処できないという問題のことです。
例えば、人工知能を搭載したロボットに倉庫から荷物を取ってくることを命令する場合を考えます。
しかし実は荷物の上に爆弾が存在し、気づかずに荷物を持ってきたロボットは爆発してしまいました。

※5:
生命体がいかに世界を認知観察しているかという生命の本質を考察するための理論。
ギリシャ語の「自己・制作」が語源で、自分で自分を再帰的・循環的に創り出す(自己創出)という観点から見た生命体。
重要なのは、ここでいう生命体が「自律的な閉鎖系システム」であるとしている点です。

私たち人間は、どうも言葉に縛られて生きる存在なのではないだろうか、と思うことがあります。

言葉は、とても便利な道具ゆえに、逆に人間を縛る。

これは、前述の通り、デザインの領域では、(ノーマンの)アフォーダンスと呼ばれ、道具の使い方に人間が規定されていく姿を表しているのと同様です。

例えば、コップを持つ、バットを握る、ハシゴをかけて登る、これらも全てアフォーダンスの一種です。

当たり前のように見えますがが、アフォーダンスには、学習が必要です。

ハシゴを見たことがない南方の原住民は、それが何だかわからなかったそうです。

しかし、いちどでも使い方を示すと、その後は、当たり前のようにハシゴとして使い始めたとのこと。

もしかすると、人間の究極の道具である言葉も同じではないでしょうか。

言葉の使い方がわかると、当たり前のように使っているけど、現実世界(リアル)を写し取る道具として、言葉という道具が完璧なわけではありません。

だから人間は、言葉で表現できないものを絵画や音楽で認識しようとしたのかもしれません。

そして、言葉の力が強力ゆえに、言葉の隘路に気づかない可能性があります。

そこに、人間モドキが潜んでいる可能性も、たぶんにあるのではないでしょうか。

そして、自らの自分は、こういう人間だという呪縛を解くカギも。

実は、その当たりにあるように思われます。

【関連記事】
以下に↓つづく。

【参考図書】
「基礎情報学―生命から社会へ」西垣通(著)

「続 基礎情報学―「生命的組織」のために」西垣通(著)

「新 基礎情報学―機械をこえる生命」西垣通(著)

「生命と機械をつなぐ知―基礎情報学入門」西垣通(著)

「デザインマネジメント戦略―情報消費社会を勝ち抜く」佐藤典司(著)

「情報デザイン入門―インターネット時代の表現術」(平凡社新書)渡辺保史(著)

「サクセス・バリュー・ワークショップ 情報構想設計 好き!から始めるコミュニケーション・デザイン」七瀬至映(著)

「情報編集力―ネット社会を生き抜くチカラ」藤原和博(著)

「サイバード・スペースデザイン論」渡邊朗子(著)

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