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【白雨随感禄】どうやって人とつながっていったらいいんだろう?
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■Q1「何かやってみたいことがあるとき、どんなことを、どういう風にやればいい?」
A①まずは分かんないです。何したらいいんだ、なんていうのを分かっていることは、もう簡単なんです。
A②何をしたらいいか分からなかったときに、実はすべてがはじまってたと思う。
A③何かあると思ってやってたときよりも、何もないと思ってやってたときの方が、出発点になるんじゃないかな。
A④クリエイティブは無力感からスタートするんじゃないかな。
■Q2「どうやって人とつながっていったらいいんだろう?」
A①ぼくはね、自分からつながりにいくことが、本当にない人間なんですよ。
A②何もしたくないくらい、ものぐさな人間なんですけど、それはちょっと…って手が出るときがある。そういうのだけ、つまんでるんです。つまり、口説く側ではなく、口説かれる側に最初にいて、っていう状況があると、つながりができちゃう。
A③本当にやりたいときは、今度は口説く側に回るんです。口説く側に回ったときは自分の責任で動くんです。でも、そんなことなかなか出てこないんですよ。自分が口説いて、責任持って、最後まで見届けます、っていう仕事なんて、そんなにたくさんないんですよ。
■糸井重里の仕事論
「やりたいことがある人が、「口説く側」に立つしかない。
企画を思いついて実現したい人、つくったものを買ってほしい人、好きな人といっしょになりたい人、みんな動機や目的のある人なんです。
それを実現するのには相手を口説かなきゃならない。
そういうしくみになっています。
たいへんですよ、「口説く側」に立つというのは。
でも、そのめんどくさい側に立たないと、ただ待ってるだけの人生になっちゃうんですよね。」(糸井重里が『今日のダーリン』の中で)
「ワクワクすることが見つからない人には、ひとつだけアドバイスがある。
「絶対にやりたくないことからは逃げる」と心に決めること。
これは逆説でもあって、「絶対に」が付かない程度の、文句を言いながらやれることなら、逃げずにやり遂げろということ。
そうしているうちにワクワクが見つかるから。」(AERA 2014年6月9日号より抜粋)
■口説く側ではなく口説かれる側に
異論反論色々あると思うけど、人と繋がって、群がっていれば、何かできると思ってる人が、増えていないだろうか。
日本人は、群れるのが大好きな民族だから、危ない傾向だと言えないだろうか。
「興味のあるものはこれだあああ!」
と、
①はっきり打ち出して
②追いかけてたら
どこかで、誰かが見ていてくれて、いつかきっと、声をかけてくれる。
そういうときだけ、自分の存在価値を認識できて、何かができていると感じられるのかもしれない。
確かに、信じて待ち続けるのは、孤独で、苦しい期間だと思う。
でも、安易に、にぎわいの中に身をゆだねてしまうと・・・
その群れの雰囲気に飲み込まれて、何もできなくなってしまう可能性も高い。
「口説かれるくらいのつながり方」
でなければ、
「居場所が見つからない」
とも言えるのかもしれないが、
「母語が通じ、自分が安らぐことのできる祖国が健在であることは、何とありがたいことか。
国というのは時にろくでもないものだが、それが崩壊した時の居場所のない怖ろしさを、私たちは幸いにして知らない。」(茂木健一郎居場所(7))
その点は、海外で暮らしてみると、実感として理解できる。
自分の居場所がある。
そう感じられるのは、日本語が通じて、
「ゆる~い会話」
のある場所だと、そう感じる。
■参考図書:「非属の才能」光文社新書)山田玲司(著)
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[ 内容 ]
「非属の才能」の持ち主たちが教えてくれた、群れなくても幸せに生きることのできる方法。
[ 目次 ]
第1章 誰のなかにも「プチ佳祐」がいる
第2章 ブルース・リーになる試験はない
第3章 定置網にかかった人生でいいのか?
第4章 「変わり者」が群れを動かす
第5章 非属の扉をこじ開ける方法
第6章 独創性は孤立が作る
第7章 和をもって属さず
[ 問題提起 ]
非属の才能──挑戦的かつ、そそるタイトルに惹かれて手に取ろうとしているあなた、ちょっとお待ちを。
本書はかなり、読む人を選ぶ本である。
まず、絵に描いたようなエリート人生を歩んでいる人、そして、
「オレの人生、そう悪くないよな」
と8割方満足している人には、本書は必要なし。
ここに書かれている種類の苦悩にはあまり縁がなかったろうし、あったとしても、すでに自分なりに乗り越えてしまった後だろうから、釈迦に説法だ。
また、住む土地や学歴、持ち物などにいわゆるブランド志向が強く、
「それを手に入れることも幸せのひとつじゃない?」と
思っている人には、本書はおすすめできない。
著者は、
〈自分でものごとの価値を決められないから、ブランドのタグに頼らざるを得ないのだ〉
と頭ごなしにブランドを否定しているので、その物言いにカチンと来るに決まっている。
[ 結論 ]
とするなら、本書に向く人とは?
本書ではまず、右へ倣えを強要する学校という場の理不尽さが述べられていく。
教師が生徒という群れを管理しやすいように、何かにつけ同調を求めてくるのが学校社会で、教師は毎日のように
「これが正解」
「これがふつう」
という同調を押しつけてくる。
その同調圧力を教師は本気で
“協調”
だと誤解しているために、圧力に屈しない人間は、閉塞感を抱えて孤立していくか、群れから追い出されるかしかない。
著者にとって学校はよほど居心地が悪かったのだろう、
〈傑物は、学校という群れのなかでは生まれにくい〉
とまで言い切っている。
その前提を踏まえ、歴史を変えてきたのは常に群れに安住しなかった人たちだった、非属こそが世の中を変えていく力になる、というのが著者の弁。
非属とは、
〈どこにも属せない感覚〉
を意味する。
あなたがクラスメイトや同僚からちょっと浮いているのは大いに結構。
本当の才能や独創性は、一から十まで周囲と合わせることに違和感を持つような気質から生まれてくるからだ、と著者は言う。
だが、非属の才能の持ち主としてサンプルに挙がっているのは、古今東西のビッグネームばかり、という点が引っかかる。
そこに名を連ねるイチローは、子ども時代から友だちと遊ぶより野球の練習をしていたような、無類の努力家として知られている。
iPodの生みの親スティーブ・ジョブズは、彼自身が創業したアップル社を一度追放されもした。
アップル社に舞い戻ってからの活躍はいっそう目覚ましいが、決して彼自身が進んで非属になりたがったわけではない。
言うまでもないが、彼らの今日の成功は、非属の才能以外の部分も大きいはずである。
それをひっくるめて非属の力だと説明されても、所詮結果論ではないかと言いたくもなる。
なにしろ著者自身が、学校では無能のレッテルを貼られたものの、周囲の反対をものともせずマンガを書き続けて、見事マンガ家になった人である。
恋愛マニュアルを風刺したマンガ『Bバージン』をヒットさせ、『絶望に効くクスリ』でインタビューマンガというスタイルを発明した。
そんな経験から、著者は学校や親や社会が押しつけてくる
「普通」
や
「常識」
といったムラの掟は受け流せばいい、
〈自分の中の“非属の才能”を信じること〉
が大切なのだと語るわけだが、どこか
“異端を生きて成功した人の自慢話”
のようにも響いてしまう。
第一、こうした論理展開は、諸刃の剣だ。
自分が孤立しているのは非凡さの証なのだと、あるかないかわからない才能を夢見させてしまい、かえってがんじがらめになってしまう人も出てくるだろう。
反対に、学校のような閉鎖的な空間で苦もなく協調できる自分は、そもそも突出した何かがないからだと誤解し、奥底に眠る才能を埋もれたままにしてしまう可能性もなきにしもあらずだ。
さて、ここまで辛口に書いてしまったけれど、本書の後半、第5章以降で展開される非属のすすめは、なかなかユニークだ。
著者は、価値観も買い物も
「みんなと同じであれば安心」
という道をたどることは、〈定置網〉人生だと警告する。
それでは消費のコマとして踊らされるだけだし、心地いいように見えて、やがてローンなどに振り回され身動きが取れなくなる。
そこから抜け出すための鍵は、トライ&エラー。
やってみたいなとちょっとでも心惹かれることはどんどんやってみればいいし、いままで敬遠していたことにも触れてみることを薦めている。
ただしポイントは、失敗を恐れず、すぐに生産性や順位など結果を求めないことだそう。
お金になるかならないか、人にどう思われるかなどは二の次。
「自分はこれをやっていると楽しい」
と感じる世界こそが、これまで気づかなかった可能性かもしれないからだ。
また、非属の才能を伸ばすには、実のある引きこもりも重要らしい。
引きこもりと言えば、人と交わらずにゲームやネット社会に没頭するようなイメージがあるが、著者の提案する引きこもり方は、テレビもネットもケータイもシャットアウト。
消費社会、情報社会から徹底的に距離を置き、
〈嫌でも自分と向き合わざるを得ない状況〉
を作ることである。
そんな中で手当たり次第、最低100冊は本を読み、自分の人生のバイブルを探していく作業をせよと言う。
引きこもってする先人(書物)との一対一の対話によって、自分が本当に求めているものが見いだせると言うわけだ。
仕事も何もかも放り出して引きこもることは無理でも、仕事の後の一杯や休日レジャーを一定期間断り、代わりに本を読みふけろうくらいなら、実現可能ではないだろうか。
もっとも、ここまでの著者の主張には、いまさら感がないわけではない。
群れるな、世間に流されるな、というメッセージは、アウトロー的な生き方を選んだ成功者たちが口を酸っぱくして言ってきたことである。
読書を生きる力に、というのは教育現場のスローガンのようだ。
だが、本書の白眉は、第7章「和を持って属さず」にある。
非属の才能の持ち主は周囲から孤立しがちではあるが、みんなに必要とされ、にぎやかに人生を楽しむことは可能だと言う点が新しい。
ただし、
〈その人の「変わっている部分」がみんなに喜びを与えたり、なんらかの利益をもたらしたりすることで、みんなはその非属の変わり者を歓迎するようになる〉
ためには、ちょっとしたコツが必要になってくる。
そのための具体的なアイデアが書かれているのがこの章なのだ。
たとえば、自意識のコントロールがそのひとつ。
非属の人が他人から鬱陶しがられるとすれば、その原因は、
〈「自分」が「自分様」に肥大してしまっている〉
せいであることが多い。
自我を抑えて相手を受け入れる姿勢を見せることが、むしろ非属を否定させない手法である。
「10 年後の自分から見たら」
「死んだあとの自分から見たら」
など、視点を変えてものを見てみることもポイントになる。
俯瞰的視点や自己客観視があれば、自分という小さな世界に凝り固まらずにいられるからだ。
「自分は変わっているんです」
とむやみに主張したがる人や、自分が理解されないのは周囲が悪いのだと本気で考えているような
“オレが正しい”病、
“オレはエライ”病にかかっている人、
メジャーなものはすべからく認めないことでセンスのいいオレを気取るような人は、嫌われる変人の道をたどるだけ。
得てしてこの種の人々は、口を開けば
「てゆうか」
と自己主張を始める傾向があるが、それを禁句にするだけで、コミュニケーションの垣根はずいぶん低くなる。
非属だからこそ、はじめから受け入れてもらいにくいことを覚悟し、人にわかってもらおうとする努力を怠るな、ということだろう。
[ コメント ]
本書から拾うべきは、自分らしさにこだわりながらも、他者とつながっていくためのコミュニケーション術。
そんなハウツー本として読むと得るもの多し、だ。