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【LAWドキュメント72時間】有為転変する経済や社会に考え方を柔軟に変えていくしかないのか?


■学問で判っていること

「学問は未来に対して無力です。せいぜい「過去のことを必死になって説明する」ことができるだけです。それが人間の頭脳の限界なのでしょう。」


■過去のすべてが肯定される瞬間

数多くの人に感動を与えたこの講演には3つのテーマがあった。

・Connecting the Dots

・Love and Loss

・Death

このうち

「Connecting the Dots」

で語られる

“Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.”

過去を振り返って未来につなげることについて、人生は偶然の積み重ねにすぎず、普段の過去と現在は、バラバラの状態であり、

「Connecting the Dots」

を感じられる瞬間こそが、人生の至福の時。


■未来が現在・過去を評価する

[テキスト1]
「危険社会 新しい近代への道」(叢書・ウニベルシタス)ウルリヒ・ベック(著)東廉/伊藤美登里(訳)

「時」と「リスク」の問題として、社会学では、ベックが、本書において、チェルノブイリ原発事故の年に、こう指摘していた。

「リスクの意識の根源は現在にあるのではなく、未来にある。

リスク社会において、過去は現在に対する決定力を失う。決定権を持つのは未来である。」

要は、未来が決定権を持っているからこそ

「想定外」

が繰り返される。

[テキスト2]
「ツナミの小形而上学」ジャン‐ピエール・デュピュイ(著)嶋崎正樹(訳)

科学哲学者のジャン-ピエール・デュピュイは、現在進行中の人類の危機は、計算可能な

「リスク」

ではなく、未来に起こるものとして書き込まれた

「破局」

であると説き、本書の中で、

「時間はループの形状をなし、その中で過去と未来がお互いを決定し合う。

未来は過去と同様に固定されたものと考える。」(P14)

と、奇妙な時間軸を提示示している。


■未来のことは分からない

その善悪であればなおさら判らない。

人生はじめ経済や社会のこれまで

「(過去・現在)の評価」

は、

「これから起きること(未来)」

によって、常に、編集し直され、

「再現性の低い偶然」

が、未来を変えていく。

▶歴史の行く末は予測不能

「歴史主義の貧困」カール・ポパー(著)岩坂彰(訳)黒田東彦(解説)

①人間の歴史の道筋は、人間の知識の成長に大きく影響される。

②合理的または科学的方法により、私たちの科学的知識が将来どのように成長するかを予測することはできない。

③したがって、人間の歴史の将来の道筋を予測することはできない。

④このことは、理論物理学に対する歴史の社会科学である理論歴史学が成立不可能であることを意味する。

歴史の発展に関して、歴史的予測の基盤となりうる科学的理論というものはありえない。

⑤それゆえ、歴史主義の方法の根本目的は、誤って構想されている。歴史主義は破綻する。

つまり、本書に依れば、前述の通り、人の知識の成長を予測することができないから、物理学の公式を解くように、未来は、予測できないという。

なお、ポパーは、世界を、以下の3つに分けており、

世界1:物理的な世界(自然)

世界2:心や意識の世界

世界3:世界2の知識が生み出した世界

前述の科学的理論は、世界1を世界3の言葉で記述したものと言える。

▶未来予測に価値はない

「幻想の未来/文化への不満」(光文社古典新訳文庫)ジークムント・フロイト(著)中山元(訳)

フロイトは、以下3つの理由から、

「未来予測に価値はない」

と説く。

①人間の営みをそのすべての広がりにおいて展望することのできる人はごくわずかだということにある。

多くの人にとっては、一つあるいはごく少数の分野だけに考察を限らざるをえないのである。

さらに過去と現在についての知識が限られていると、未来についての判断も不確実なものと成らざるをえない。

②未来についての判断において、個人の主観的な期待がはたす役割を評価するのは困難である。

このような個人的な期待は、その人に固有な経験の純粋に個人的な側面や、人生に対する多かれ少なかれ希望的な見方によって決まるものである。

気質とか、人生における成功や失敗などによって、それぞれの人ごとに決まっているものなのだ。

③人間は一般に時間をただ素朴に生きているだけであって、その内容を正しく評価することができないという注目すべき事実がある。

未来について判断するためには、現在と距離をとり、現在を過去にしなければならないのである。


■ロジックだけじゃ未来は見えない

そして、予測は、願望にすぎない。

今日、

「真実」

であることは、明日も、

「真実」

だろうと考えてしまうものです。

私たちの脳が、

「数列」

みたいな

「規則性」

を望んでいるだけで、現実は、そうは簡単に、いかないものです。

「非連続な変化」

である

「パラダイム・シフト」

が、未来を、あっさりと決めてしまうことが多いのも事実。

だから、過去の出来事に対して、

「後付けの論理的解釈」(追認のバイアス)

を、幾らつけても、

「未来」

は、そう易々と姿を見せてはくれません。

「人生はさかのぼって理解されるものだ。だが、人生は時間を下って生きなければならない。」(キルケゴール)

の意味がなんとなく分かる。

追認バイアスとは、自分に都合のいい情報だけを集め、都合の悪い情報を排除する心理を指します。

追認バイアスに陥ると、一度下した判断への反証を無視してしまいがちになります。

心理学では、自分の経験や感情、知識によって物事を見ている

「フィルター」

「認知バイアス」

と呼び、その中に

「アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み/偏見)」

も含まれます。

すべての人が何らかのバイアスを持って生活をしています。

他のバイアスの例としては、次のようなものがあります。

確証バイアス:自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行き、そうではない情報は軽視してしまう傾向

正常性バイアス:自分にはトラブルや困難が起こらない、自分は助かると思ってしまう現象

対応バイアス:外部的な要因を無視する、自分の内面に意思決定の要因を求めるといった心理的傾向

結局のところ、人間が

「合理的な生き物」

であるとの前提条件の上でしか、所謂、

「論理的思考(ロジカル・シンキング)

「ロジカル・シンキング」照屋華子/岡田恵子(著)

は、通用しないのではないだろうか。

但し、

「論理的な分析

を、全て排除するには無理があるだろうから、ドラッカーが語った、

「ドラッカー 時代を超える言葉―洞察力を鍛える160の英知」上田惇生(著)

「デカルト以来、重点は論理的な分析に置かれてきた。

これからはこの論理的な分析と知覚的な認識の両者が必要とされる。」

の様に、論理と感性のバランスが、大事ではないかと考えれないか。


■美しいものに感動する心

時の流れから外れることができたとき、人は幸せになれる。

論理主義者やロジック愛好家は、美しいものに出会ったとき、

「これはなぜ美しいのか?」

と追求しはじめるのだろうか。

もし、そうであれば、もう、そこに、幸せは感じられない・・・


■今、この時を味わう

「人間は現在がすこぶる価値のあることを知らない。・・・ただ、なんとなく未来のよりよい日を願望し、いたずらに過去と連れ去って嬌態を演じている。」(ゲーテ)

「今が面白くない人からはお金も運も逃げていく。」(藤巻幸夫)

「時間の流れの中で、「今」に特別な意味があるらしいということは、認めざるをえません。ただ、その特別なものが何であるにせよ、それは、おそらく科学の領域外のことなのでしょう。」(アインシュタイン)

「もし私が神だったら、私は青春を人生の終わりにおいただろう。」(アナートル・フランス)

今を、大切に、ゆっくりと、今を味わう、

「心の余裕」

を持って。

そして、誰かの、

「大切な今」

を奪わないよう、相手のことを考えて、歩いて行こう。


■ユクスキュルの「環世界」

私たち人間には、

「知性の限界」

があり、

「未来を捉える」

ことなど、現時点では、不可能である。

また、ユクスキュルが

「環世界」

という概念で示したように、全ての生物は、

「知覚の枠内」

でしか、

「世界を認識」

できない。

言い換えれば、私たちが

「客観的」

だと信じているこの世界は、世界全体から

「主観的」

にある一部分を、型抜きしたものにすぎない。

だから、

「未来」

にとって、何が善で、何が悪なのかの判断は、しようとしても、結局は、

「独りよがりな思考」

しか持ちえず、老子が指摘したとおり、

「天下、皆、美の美為ることを知る。これ、悪なるのみ。

皆、善の善為ることを知る。これ、不善なるのみ。」

「美や善」

と判断しようとするから、どうしても、

「悪や不善」

を生み出してしまうのだろう。

そうであれば、未来に対して、日々語られる未来予測達で、

・見通しを立てる

・見通す

・先を見通す

・予見する

・推測する

・推定する

・予期する

現在の状況から将来に何が起こるかを推測する目標を立て、突き進む考え方は支持できない。

そうであるならば、未来洞察によって、未来は不確実性が高く非線形であるという前提のもと、近未来で起こりうる複数の可能性をシナリオとして描き出す方が、理にかなっていると考えられる。

未来洞察とは、現時点の情報を基に未来を合理的に展望し、中長期的なビジョンを策定する手法です。

未来の兆しを複数集め、それらを組み合わせることで、現状の延長線上では発想しきれない未来変化シナリオを考える。

未来洞察の手法には、次のようなものがある。

①アナリティクスとクリエイティビティを融合する。

大規模言語モデル(LLM)を用いて未来の兆しを抽出したり、社会的な潮流のデータベース化をしたりします。

また、既成概念や常識に囚われない発想で、社会の仕組みや規範から再考します。

②「成り行きの未来」と「ありたい未来」を対比する。

「成り行きの未来」は、現状に手を加えなかったときに実現が予想される未来の姿です。

望ましくない「成り行きの未来」は、意志をもって「ありたい未来」に変える必要があります。

③「未来イシュー」と「社会変化仮説」を掛け合わせる。

「未来イシュー」は、メガトレンドやテックトレンドなどの事実や仮説から予測した事象です。

「社会変化仮説」は、不確かだがありえるかもしれない将来の変化の兆しです。

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