【宿題帳(自習用)】中心と周縁
中心と周縁をめぐる人類学的考察を知っているだろうか?
これは、最初に、社会学者であるシルズが1961年の論文「中心と周縁」で明らかにしたと言われるが、体系化したのは、アメリカのビクター・ターナーや、特に日本の文化人類学者・山口昌男である。
「文化と両義性」(岩波現代文庫)山口昌男(著)
「文化の詩学〈1〉」(岩波現代文庫)山口昌男(著)
「文化の詩学〈2〉」(岩波現代文庫)山口昌男(著)
中心というのは、制度やパラダイムやエピステーメー(フーコーの用語でいえば、意識しにくい文化的な枠組み)の中心をいい、周縁というのは中心から最も離れたところを指す。
一つのパラダイムができると、通常科学として、長らく通用するのだが、そうしたパラダイムや制度の中心にいると、それが行き詰まった時に立ち行かなくなる。
つまり、文化のダイナミックな変化、文化変動は、文化の中心部分と周縁部分の二つの綱引きによって、力学的に変化するというものである。
なお、パラダイムは、トマス・クーン「科学革命の構造」の用語で、科学は、段階的に変化するのではなく、通常科学から革命を経て不連続的に起きると考えるものである。
「科学革命の構造 新版」トマス・S・クーン(著)イアン・ハッキング(解説)青木薫(訳)
例えば、
天動説から地動説への変化、
燃焼に関するフロギストン(燃素)説から酸化説への変化、
など。
ただ、クーンは、その後、「解釈的基底」(hermeneutic basis)と呼びかえ、更に、紛らわしいと、「学問領域のマトリックス」(disciplinary matrix)という用語を提案した。
でも、パラダイムをパラダイムと呼ぶパラダイムができてしまっていて、広く「思考の枠組み」という意味で使われることになった。
科学は、連続的に進歩すると考えるのを「ホイッグ史観(※1)」というが、
※1:
ホイッグ史観とは、歴史を「進歩を担った殊勲者」対「進歩に抵抗した頑迷な人びと」に分け、両陣営の戦いと前者の勝利として歴史を物語的に記述する歴史観である。
「成功している我々」や「繁栄している現体制」を歴史的必然、絶対的な運命に導かれるものとして、そこに至る進歩的、進化的、合理的、直線的、連続的な過程として読み替えてしまう、いわば勝利者による正統史観というべきもの。
啓蒙主義や社会進化論とも関係が深い。
ホイッグ史観によってイギリス史をとらえると、イギリスの現代の進歩をもたらした功労者はホイッグ・プロテスタントであり、それに逆らった者がトーリ党・カトリックである。
前者の代表がウィリアム3世やエリザベス、後者はジェームズ2世やジョージ3世などによって構成される。
断続的な科学革命によってパラダイムは転換し、その前後では、使用される色々な概念は、「通約不可能」であって、相互翻訳は不確定に留まるとした。
あらゆる科学的理論は、仮説である。
目の前の現象を説明するために、とりあえず作ったお話なのだ。
だから、アインシュタインは、科学者の栄光とは、「彼の立てた仮説が、あとに出されたさらに包括的な仮説の中に、限定的事例に打倒する理論として引き続き居残れること」にある、と語った。
先に述べたように、カール・ポパーは、科学的精神というものが、自説を傍証する事例ではなく、自説を反証する事例を優先的に探索するような知性のあり方のことである、と書いている。
科学というのは、反証可能性(falsifiabirity) がある。
つまり、一つの反例を挙げれば、その理論が崩れる、そうした反例を挙げることが可能性としてあるものが科学的だという。(※2)
※2:
科学と非科学を区別するただ一つの基準というのは、今のところなさそうである。
いくつかの基準を組み合わせて、科学かどうかを区別しているため、人によって意見がわかれることもある。
そんな中、科学者に広く受け入れられている基準として、カール・ポパーの反証可能性がある。
反証可能性とは、ある仮説が実験や観察によって、反証される可能性があるかどうかである。
つまり、反証する方法がない仮説は、科学ではないとしている。
例えば、ある仮説が正しいかどうかを検証するために1万回の実験を行い、そのすべてが仮説通りの結果が得られたとしても、1万1回目以降も同様の結果が得られるとは限らない。
1回でも仮説とは違う結果が得られれば、その仮説は反証されることになる。
つまり、反証する可能性が残されているので科学であるといえる。
反証することが出来ない仮説のひとつとして死後の世界がある。
現時点では実験によって検証することが出来ず、将来においてもその方法を見出すことは出来そうにない。
さらに理論的な基礎もないので、演繹的に導き出すことも出来ない。
カール・ポパーの反証可能性に従えば、死後の世界を論ずることは科学ではないといえる。
科学は、帰納的ではなくて、演繹的だという考えにもなっていくのだが、何でも説明できてしまい、反例を出しようがないものは、科学ではないということになる。
占星術や精神分析理論は、反証不可能であるから非科学(pseudoscience)であり、マルクスの歴史理論も、当初は、反証可能性を備えており、実際に反証されたのだが、その後継者達によって、結局反証できなくなってしまったと批判している。
フロイト理論も、似たようなものかもしれない。
日本人の多くにとって宗教と科学は、矛盾するものだと思えるが、欧米の科学者は、そんな風には思わないらしい。
処女懐胎とか多くの奇蹟などが出てくる聖書をトンデモ本だと誰も思わないのである。
ケプラーの法則を発見したドイツのヨハネス・ケプラーは、天文学と占星術の双方をこなしていた。
ハレー彗星を発見したイギリスの天文学者E・ハレーは、地球空洞説(hollow Earth theory)を唱えたことがある。
空洞の中には、三つの内球があり、発光する大気に満たされている。
北極のオーロラは、そのガスが地上に漏れ出したものだという。
この空洞説は、その後も、20世紀初めまで、何度か現れ、北極には、巨大な穴があって、地底世界に続いていると唱えられた。
冷凍マンモスも、その証拠だというのだが、飛行機の北極探検で、そんな穴はないと分かると、さすがに提唱者は消えた。
「奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究」(ヤカワ文庫)ガードナー,マーティン(著)市場泰男(訳)
「奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか」(ヤカワ文庫)ガードナー,マーティン(著)市場泰男(訳)
ジュール・ヴェルヌの「地底探検」は、アイルランドの死火山の噴火口から地底世界に侵入し、恐竜や原始的な生活を送る人類と遭遇するというSFだが、ハレーなどの説をうまく取り入れたものだった。
「地底旅行」(岩波少年文庫)ヴェルヌ,ジュール(著)平岡敦(訳)
ロバート・アーリックは、以下の本を出ているが、次のどれも、トンデモ科学のように感じられる。
「トンデモ科学の見破りかた―もしかしたら本当かもしれない9つの奇説」アーリック,ロバート(著)垂水雄二/阪本芳久(訳)
◎銃を普及させれば犯罪率は低下する?
◎エイズの原因がHIVというのは嘘?
◎放射線も微量なら浴びたほうがいい?
◎太陽系には遠くにもう一つ太陽がある?
◎石油や天然ガスは生物起源ではない?
◎未来へも過去へも時間旅行は可能?
◎光より速い粒子「タキオン」は存在する?
◎「宇宙の始まりはビッグバン」は間違い?
「怪しい科学の見抜きかた―嘘か本当か気になって仕方ない8つの仮説」ロバート アーリック(著)阪本芳久/垂水雄二(訳)
◎ゲイは遺伝か?
◎インテリジェント・デザイン説は科学か?
◎人間は昔よりバカになっている?
◎念力でモノを動かせるか?
◎地球温暖化は本当に心配すべきなのか?
◎宇宙には複雑な生物はまれか?
◎ニセ薬で病気は治せる?
◎コレステロールは気にする必要ない?
アーリックは、トンデモ度を分けている。
トンデモ度ゼロは、そうであってもおかしくない。
トンデモ度一は、おそらく真実ではないだろうが、誰にもわからない。
トンデモ度二は、真実でない可能性はきわめて高い。
トンデモ度三は、ほぼ確実に真実でない。
前著においては、9テーマのうち、トンデモ度三は、3テーマ。
そして、ゼロも3テーマである。
ちなみに「タキオン存在説」も、トンデモ度ゼロだそうだ。
つまり、トンデモ科学か否かは、未来の判断に任せるしかないのである。
立派な科学でも、トンデモ科学になることもある。
車いすの天才物理学者スティーブン・ホーキング博士は、強い重力で、何でも吸収してしまう天体ブラックホールについて、光さえ抜け出せないと考えられていたのを、1970年代に提唱した理論の中で、「ブラックホールは少しずつ光を放射しながら、最後には蒸発して消えてしまう」と主張し、物理学界に大きな衝撃を与えた。
博士は、同時に、光は、ブラックホールから漏れ出すものの、吸収された物質の姿や性質などの「情報」は破壊され、2度と外部に出ることはないとも予言した。
だが、この予言は、「情報が完全に消滅することは無い」とする物理法則(量子論)と矛盾するため、ブラックホールを巡る「情報のパラドックス」と呼ばれ、論争の的になっていた。
1997年には、ブラックホールの「裸の特異点」の存在をめぐって、研究仲間のプレスキル・米カリフォルニア工科大教授らとの賭けに負け、博士が「裸」を覆うTシャツを贈ることになった。
2004年には、プレスキル教授に「ブラックホールからはいろんな情報を取り出せる」という意味を込めて百科事典を贈ったという。
「ブラックホール-宇宙最大の謎はどこまで解明されたか」(中公新書)二間瀬敏史(著)
さて、科学革命はどこで起こるか?
クーンは、「変革者はふつう非常に若いか、危機に陥っている分野に新しく登場した新人であって、古いパラダイムで決定される世界観やルールの中に他の人たちほど深く埋没されていない」と書いている。
つまり、周縁から起きるのである。
例えば、明治維新というのは、江戸やその周辺の人々によって行われたのではない。
「薩長土肥」という江戸から遠く離れて暮らしている人々によって遂行されたのである。
学問も多くの場合、中心にいると全体がぼけてしまってわからなくなことがある。
中心には、制度やパラダイムやエピステーメーを破壊する力が失われている。
新しいものは、その中から生まれるのではない。
「トリックスター」などの「文化英雄」が周縁からやってきて、中心を破壊し、創造する。
「トリックスター」(晶文全書)ポール・ラディン/カール・ケレーニイ/カール・グスタフ・ユング(著)山口昌男(監修、読み手)皆河宗一/高橋英夫/河合隼雄(訳)
トリックスターは、周縁から現れる。
そして、中心の秩序を破壊して、新しいものを想像していく。
坂本龍馬などは、トリックスターの典型である。
トリックスター(“trickster”で“-tar”ではないが、これは“spinster,gangster”と同じ「人」の意味)というのは、神話や民話に登場する、いたずら者のことをいう。
道化の神話的形象といえるが、これは例えば、西アフリカにおけるいたずら者の神や、アフリカ全土で語られる野兎や蜘蛛、亀といった動物であったりする。
北米インディアンの神話においても、コヨーテやワタリガラスなどの動物になったり、人間の姿をとったりしている。
彼らには共通して、機知、機転、狡猾さ、気まぐれ、悪ふざけなどの性格がみられる。
また、この世に混乱と破壊を引き起こすと同時に、しばしば混乱のなかから未知の文化要素を生み出し、破壊のあとにふたたび新しい秩序をもたらすという文化英雄的役割も果たしている。
ヨーロッパ絵画も日本の浮世絵やアフリカの彫刻など周縁を取り込むことで新しいものを生み出している。
音楽でも、以前、エンヤを代表とするケルト音楽が人気であるが、そのちょっと前は、中南米で、その前はアフリカだった。
スペインの歴史家・コラールは、「ヨーロッパの略奪-現代の歴史的解明-」の中で、ヨーロッパ文明は、自身の本質である技術文明を他文化に略奪されてしまったのだと言う。
「ヨーロッパの略奪-現代の歴史的解明-」ディエス・デル・コラール(著)小島威彦(訳)
ヨーロッパが略奪したのではなく、その逆なのだ。
スペインは、ある時代、西ヨーロッパをリードして政治的、経済的、軍事的、文化的「中心」として君臨していた。
その後、没落して周縁=辺境になってしまったが、西ヨーロッパも、20世紀には、中心の座から降りてしまった。
情報を発信するという立場は、逆に考えれば、情報が奪われるということでもある。
同じような目で、東の中心で「中華思想」をもっていた中国にも当てはまることだ。
中心は、文化の構造が硬直化して、さまざまなレベルで生産力を失って停滞していく。
そして、周縁が、もっと卑近な話をすれば、21世紀の日本経済は、既に、東大―大蔵省―官僚などの中心では救えなくなっている。
更に、中心商店街の衰退と郊外店の振興を考えればよく分かるだろう。
ラブホテルが林立するのも周縁の地域である。
非日常的空間で、匿名性に満ち、心理的にも解放感を醸す場所になっているのである。
中心というのは、垂直思考で周縁というのは、水平思考と言い換えることもできる。
周縁の思考、すなわち「ポストコロニアル」の思想(直訳すれば「ポスト植民地主義」であり、西洋を中心とするかつての帝国主義、植民地主義に対する反省的な態度を意味する。 ポストコロニアリズムは、狭い意味での政治、経済、歴史のみならず、文化的な次元とも深く関わっている。)を、セレンディピティと言うこともできる。
言語の面でも同じことがいえる。
中心 周縁
大人の言葉 子どもの言葉
日常語 詩的言語
共通語(標準語) 方言
男性語 女性語
中心にあるものは、既にできあがっている秩序ということになり、逸脱できない。
保守的で安定するとマンネリズムという沈滞に陥ってしまう。
周縁にあるものは不安定で、まだ新しいものが生まれる可能性がある。
周縁が言葉や文化を活性化して、中心になっていくことがあるが、それが安定して沈滞すると、また、周縁を取り込む必要が生まれてくる。
言語の場合は、揺れが生じて、中心が揺るがされ、そのうち、交替していくことが多い。
また、子どもの言葉に新鮮さを感じるのは、中心的な規範・基準などから離れた言い方で、これを意識して行えば詩の言葉になる。
何が正統で、何が異端か分からない「ポストモダン」な状況が続いているが、「パラダイム・ロスト」の時代を迎えていることになるのだろう。
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