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【メモ(memo)】やっぱり捨てたほうがいい罪悪感

ワークライフバランスを、どう実現していくか。

ワークライフバランスに向けて、一人一人がやるべきことは、個々に違うので、それについて、私が、何をするべき、とか、時間の配分は、どうのこうの、なんていうお話を、ここでしません。

ただ、バランスを取るために、自分が、もっと楽になれる考え方や、気持ちの持ち方について、お話します。

このあたりは、女性でも、男性でも、本来なら、あまり違いはないはず。

ところが、面白いことに、女性と男性で、ちょっと反応が違うところがあります。

その一番の違いとは、女性向けでは、大きなトピックで、

「罪悪感を捨てる」

というルール。

多くの女性は、「罪悪感」疾患とでもいえるくらい、たくさんの罪悪感を持ち合わせていて、そのために、悩んだり、しんどい思いをしていたりしませんか。

女性の方々は、このルールを学んで、罪悪感を、捨ててもいいんだ、と思えるだけでも、気持ちが軽くなったり、周りも罪悪感を持っていることを知るだけで、私だけじゃないのね、と少し安心したりします。

ところが、やはり、男性の多いところでは、罪悪感のお話になると、本当に「?」が頭上に浮き上がっているのが見えるようです。

男性には、女性が、

「罪悪感」

を持つことのメカニズムが、よく理解できないのだそうです。

彼らにとっては、罪悪感は、

「よくある感情」

ではないから。

女性は、例えば、仕事をしていれば、夫や子供に対して、罪悪感を持ったり、また、自分が幸せだと、自分だけがそうなっていいのかしら、と罪悪感に襲われたりします。

他にも、完璧でないこと、何かができないこと、何かをやってしまうこと、自分の言った言葉や、自分の行動、とにかく何でも、

「自分が悪い」

と責め、罪悪感を持ち続けます。

女性の場合は、大抵、

「そうそう、私も共感する」

と思うのに、男性には、ちっとも、これが、共感できるものではないそうです。

なんで、そんなことに罪悪感を持つ必要があるのか?、というのが彼らの弁。

女性の場合は、「必要性」から罪悪感を持っているわけではありません。

ただ、そういう習性を持っているから、罪悪感を感じてしまうだけです。

また、女性は、周りを優先する献身的なところもあって、そして、そうあるべき、という思い込みも手伝って、それに見合わない自分を発見すると、罪悪感になるのです。

罪悪感の一番困ったところは、罪悪感そのものに、何かを変えたり、物事を良くしたりするパワーが全くないこと。

逆に、罪悪感を持てば、心は、何か自分を罰するべき、というように作用して、それが自己批判だったり、自信喪失だったり、気分が落ち込むことだったり、というようにマイナスの影響しか与えません。

そのために、悪循環を生み、良い方向へ持っていることが、大変になってしまうのです。

あなたも、何かについて、罪悪感を感じていますか?

自分を責めていませんか?

罪悪感、捨てられるものなら、とっくに捨てている、できないから仕方ないじゃない、とあきらめていますか?

その気持ちになるのも、無理のないことかもしれません。

長い間培った習性は、確かに、すぐには変えられないかも。

でも、だからと言って、ほうっておいても、何も変わらないし、できないから仕方ないじゃない、で終わらせていいのか、と考えれば、それは違いますよね。

罪悪感を持ち続けるか、そうでないか、その選択で、大きく違ってくるのは、自分自身、自分の人生、そして周りの幸せです。

だから、あきらめずに、罪悪感を捨てるほうへ、気持ちを向けましょう。

男性に、理解してもらえない感情なら、余計に、無駄ともいえますし、彼らも、

「そんなことに罪悪感を感じなくてもいい」

と言うはずです。

【今日の短歌】

「存分に愉しみしゆゑ割れるのを待たずに捨てる緑のグラス」
(内藤明『薄明の窓』より)

「クロアゲハ横切る木の下闇の道 許せなくてもよいのだ、きつと」
(西橋美保『うはの空』より)

「飲食(おんじき)の最後にぬぐう白き布汚されてなお白鮮(あたら)しき」
(錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』より)

「海を過去、空をその他とおもひつつ海上飛べる鷗見てをり」
(原賀瓔子『星飼びと』より)

「スジャータのミルクしたたる午(ひる)を生き僕らはやがて樹下のねむりへ」
(小佐野彈『メタリック』より)

「一匹の孤狼であれば聴こえぬか風よ悲傷のマンドリンはや」
(福島泰樹『柘榴盃の歌』より)

「不義にして富むニッポンの俺である阿阿志夜胡志夜(ああしやこしや)こは嘲笑ふぞ」
(島田修三『晴朗悲歌集』より)

【参考記事】


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