【つなげる読書】ひろげる読書
今日も 世界はひろがっていく。
世界は、見つけられるのを待っている。
世界は私に、甘くて、辛い。
なんにもない時代だったけど、感動だけはたしかにあった。
なんでもある時代だけど、感動を忘れていた。
多面的な視野で臨むうちに、自然と何かが沸き上がってくる瞬間がある。
世界観を広げる読書。
読んだ本を、横断的に編集することを、意識してみる。
「創造しようとするならば、直感に従いなさい」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
「常に猛烈なシロウトとして、危険を冒し、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ」(岡本太郎)
「なぜ古典を読むのか」(河出文庫)イタロ・カルヴィーノ(著)須賀敦子(訳)
「古典は、読んだとき、それについて自分がそれまでに抱いていたイメージとあまりにかけ離れているので、びっくりする、そんな書物である。
古典を読むときは、できるだけその本について書かれた文献目録や脚注、解釈を読まないで、原点を直接読むべきである」(『なぜ古典を読むのか』須賀敦子訳)
「日本語の古典」(岩波新書)山口仲美(著)
古典文学の魅力は原文を読んで初めてわかる。
あらすじを知るだけでなく、言葉や表現そのものを味わうことの楽しさを知る。
源氏物語に造語がたくさん出て来るのを知っているか?
「虫愛(め)づる姫君」が漢語をしゃべっているのを知っているか?
『蘭学事始』は『蘭東事始』と言う方がよいということを知っていたか?
硬直した古典観をひょいと飛び越えれば、楽しくてためになる言葉の世界が展開してゆく。
古典を読むメリットとして下記2点。
①物事を相対的に捉える目が養われる
②創造性をはぐぐむための養分が蓄えられる
一国の文化は一国の言葉によって持ち運ばれている。
どんなに優れた訳本でも、伝えきれない妙味がある。
日本の文化を知るには、やはり、日本語の原典を読むのが一番。
日本語の古来の特徴と習慣を知らなければ、日本の文学の魅力が理解できない。
訳本は、便利なスケッチ。
言葉は、橋だ。
スケッチを見て満足しない読者は、自分の力で橋を掛け、川を渡り、対岸へ一度行ってみるが一番良い。
人が
「考える」
のは、
「答え」
を得たいから。
人は、わからないことの答えを、知りたいと思って、追い求める。
そこに、
「優しさ」
や
「懐かしさ」
とか。
そして、
「喜び」
や
「楽しさ」
が生まれる。
おぜん立てされた
「答え」
よりも大切で、人生を、
「生きる価値」
があるものにするための大事ものが、
「考える」
という行為の中にある。
好きなことを追求し続けることで、舞い降りる直感。
単純に思えた
「社会」
は、それぞれが
「好奇心」
をもとに、かけがえのない
「個」
として存在する。
その集合体を
「社会」
という。
そして、その
「好奇心」
が思わぬ変革の火種となる。
そして、論理を超えた
「直感」
から生まれる
「創造性」
を、掴みに行く。
■つなげる読書・ひろげる読書
▶パングロス風パラダイム批判は、このように合理性帰属の準拠点を考えた時、「他でもありえた可能性」を不可視化することへの問題提起であったといえる。
「実況中継・社会学 等価機能主義から学ぶ社会分析」北田暁大(著)
▶自分のイメージが他人の中で絶えず訂正され、他人のイメージも自分の中で絶えず訂正されて行く、そういう柔軟な環境が生きることをとても楽にしてくれる。
「訂正する力」(朝日新書)東浩紀(著)
▶人生のある期間でしか読めない本というものがあるとすれば、その一冊になると思う。その秘密は、十代のすべての感情が詰まっていること。
「ライ麦畑でつかまえて」(白水Uブックス)J.D.サリンジャー(著)野崎孝(訳)