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アポリアと幸せ (英単語一つで人生の本質が学べる! 77)


Today's English

aporia アポリア (下に解説)

happiness 幸せ

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Content

最近、学べば学ぶほど「幸せ」が遠のいていく気がするのだ。

本を読んだり、語学を学んだり、人とのコミュニケーションを行ったりする中で、自分が経験したことのない話、知り得ない話を得ることができる。

その経験を通して、時代の最先端を築いている人々の思想から、新型コロナに関する情報、ファッションや美容に関する知識、はたまた人生で決して使うことのないであろう無用に見えるうんちくまで様々なことを学ぶのであるが、良いことばかりではない。

世界の果てしない技術進歩を肌で感じると同時に、この世の不条理にも気付くのである。例えば貧富格差が激しい南アメリカのボリビアやアフリカのアンゴラなどでは、教育が自由に受けられない他、食べることさえ、更には安心して寝ることさえままならない子どもたちがいる。

そのような貧富格差が激しい国では、自身らが生きるために野生動物の密猟が行われたり、森林伐採などで自然環境が破壊されたりしている。

このOta Yukaさんは、南アフリカの野生のサイを密猟から守っている。

もちろん犯罪行為は悪であるが、現実では、社会の片隅に追いやられ金銭や地位などの卑しい目的ではなく、ただただ生きるために犯罪行為をしてしまう…という人も存在するのである。

世の中は、「人類みな平等」と謳っているが、現実が全くそうではない。上述したように貧しい国では格差が日常的に存在するし、今苦しんでいる動物たちもいる。生まれによっておおよその将来は決まってしまうし、ペットの猫も飼い主によって幸せな一生を遂げるかどうか決まってしまう。

学ぶとは良いことばかりと思っていたが、今現段階では苦しみにもなっている。筆者が将来的に幸せを感じる瞬間、例えば愛する人と一緒の空間を共有し、椅子に腰掛けて寒い朝にコーヒーを飲むその瞬間、今苦しんでいいる人を無視して自分は無邪気に笑っていられるのかな‥と思うのである。

もちろん、その瞬間は幸せを感じるだろう。人間は都合が良いもので、そんな優雅な日には「この世の不条理」なんてものは頭の中には一編たりともない。、「アフリカの貧しい子ども」、「住処を追われる野生動物」のことは忘れ去り、ただ目の前の幸せのみを味わってしまうのが人間だろう。

ただ、その幸せがどこか本物ではない気がしてしまうのだ。

自分中心的な、利己的な幸せに感じてしまうのである。

同時にこれは正しいのかもしれない。幸せなんてものは本来自己中で利己的だ。多くの人が結婚に幸せを重ねるが、結婚していなくても幸せなんて人は無数にいる。

さて、幸せとはなんなのだろうか…。


ともかく、様々な感情が渦巻いていく。この世の不条理を知ってしまった以上、見て見ぬ振りはしたくない。だからと言って、今すぐアフリカに行き野生動物の保護活動をするという選択に踏ん切りもつかない自分に憤りを感じてもいる。結果として自分は見て見ぬ振りをしてしまっているのだ。不条理を知らない人よりもタチ悪いかもしれない。知っているのに行動に移していないのだから。こんなふうに考えていると自分に嫌気が差してくる。袋小路状態である。

何をしたら良いのだろうか。

試しに、とある動物のためのクラウドファンディングを見つけて寄付を行ってみたのだが、この寄付というのも案外難しいのである。例えば「動物 寄付」で検索してみると、数多くの施設や団体から寄付要請が来ていることが分かる。選択肢が多く、その中から選ばなければならない。つまり、命の選別に似たようなことをしなければならないのだ。全ての施設・団体に寄付していればキリがないし、自己破産してしまう。皆「動物を救いたい」という気持ちは一緒であるのに、選ばなければならない罪悪感に似たようなものが込み上げてくる。今後は、「最初に見つけた施設・団体に寄付をする」というようなルールをつけておきたい。

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寄付をしたところでこの絶望感のような感情は拭えないのだが、寄付によって救われる命はあるはずなので継続的にしていきたい。

それと、最近は学ぶことで幸せが遠のいていく気がするが、学ぶことはやめないと思う。悲しさもあるが、楽しさもあるのだから。先日の「インフォメーションコクーン」ではないが、自分にとって都合の良い情報だけでなく、蓋をしたくなるような情報を知っていきたいと思う。


最後になるが、明日になると自分のこと以外を忘れて呑気に笑っている自分がいると思うと、怖いのである!!!!!!


Review

aporia アポリア 

「答え無き問題」のことである。フランスの哲学者ジャック・デリダ( Jacques Derrida)が書いた『アポリア(Apories)』(1996)に登場する言葉で、パラドックスのように相反する論が同時に2つ存在し、どちらも正当性があるような状況を指す言葉である。例えば、以前取り上げた「祖父殺しのパラドックス」や、「無知になろうとして無知を調べてしまった瞬間、もはや無知ではなくなる」などが挙げられる。簡単に言えば、「行き詰まり」や「袋小路」である。

happiness 幸せ

一体なんなのだろうか。これもアポリアである。


See you again...

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