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花澤哲文『西村賢太とは誰か』(2024年12月)②
実は、知る人ぞ知る小林麻衣子さんが遠方より文学フリマの私のブースにおいでくださいました。二回立ち寄ってくださり、短時間ですがお話をさせていただきました。そのことなどをnoteに発表されています。
— 🌸🌻🌷🌹🌼 (@sakuraclover_) December 3, 2024
花澤哲文『西村賢太とは誰か』(2024年12月)|Bat #note #文学フリマ https://t.co/ekf8lHbCM2
随分悩みはしたものの、結局東京まで出張って行ったのには訳があった。
「二回」もブースをお訪ねしたのには、訳があった。
まず、私はこちら👇をお読みして、「行かなければ」と腹を決めたのだったが、、、
『西村賢太とは誰か』の「おわりに」には、本冊子の全体を凝縮したかのような“思い”が込められています。西村さんだけでなく、「私」に多少なりとも興味を持ってくださる方が万が一いたとすれば、ある意味では、一番興味深い部分かも知れません。#文学フリマ東京 #文学フリマ東京39 #文学フリマ pic.twitter.com/jpFW737yuK
— 🌸🌻🌷🌹🌼 (@sakuraclover_) November 29, 2024
「全体を凝縮したかのような」この部分↓↓↓
”捨て身”になれたのは、間違いなく孤独であったからだ。
これ正しく、少し前に月刊『Hanada』2025年2月号に書いたことではないか!と思ったのだ。
私と花澤さんは、あっち側とこっち側から同時に、同じ人物を見ていたのだなぁ、と思った。
それは当然、ご本全体を読めば「あれは実はこうだったんですよ」だの、僭越ながら「いやいや、それは多分、こうですよ、きっと」という箇所も、ある(別に私の方が正しいとか、そういうことではない)。
しかし、私が西村賢太のコアだと思っている部分については、全く同じ見方をなさっていたのだ。
それを、お目にかかって直接、お伝えしたかったのである。
で、ブースを二度、訪れたのは、単に私が足りないせいである。
一度目では、せいぜい名乗って挨拶するのに精一杯で、まったくこの件には触れられず仕舞いだったからである。
ギッチリ詰めて座っている左右のブースの方々の邪魔をしているんじゃないか、などと思えばとても悠長に話してなどいられずそそくさと辞して、でもって、踵を返したその瞬間から、お決まりの自己嫌悪である。
人込みで脳中に溢れる罵倒。
「東京くんだりまで大枚叩いて来て、これかよ、え? 一体月に幾ら稼いでんだよ、テメェはよ」
「・・・」
「だからお前は、詰めが甘えんだよ。言いてえことの一つも言えねえで、馬鹿だろ、お前」
「・・・」
嗚呼嗚呼あぁーッ!!!!!
ああ、何故手紙を書いてこなかった。手紙だったら渡すだけでよかったではないか。
そうだ、これから書こう。あそこのコンビニにレターセット、あるかしら。
だがしかし、1時間ぐらいの後に(どうせ私のことだ、モタモタしてそれくらい、かかる)、一体どう言ってお渡しするのか、それを。
それはそれでおかしいだろう。頭がおかしいと思われるだろう。
頭がおかしいと思われに、ここまで来たのか・・・
…で、引き返して、お伝えしたという訳である。
「あの、何度もすみません。あの、私、月刊『Hanada』の7月号に西村賢太について書かせてもらってるんですけど…」
「はい、読ませてもらいました」え?
なんだ、知ってくだすっていたのか・・・ありがとうございます!
「あの、それでまた声掛けて頂いて今度、今月20日発売の来年2月号の記事も、こないだ提出したんですけど…」
(云々かんぬん、以下略)
疲れました。が、お伝え出来てよかった。
文学フリマで販売してくださって、ありがとうございました。