見出し画像

花澤哲文『西村賢太とは誰か』(2024年12月)② 

 随分悩みはしたものの、結局東京まで出張って行ったのには訳があった。
二回・・」もブースをお訪ねしたのには、訳があった。

 まず、私はこちら👇をお読みして、「行かなければ」と腹を決めたのだったが、、、

全体を凝縮した・・・・・・・かのような」この部分↓↓↓

”捨て身”になれたのは、間違いなく孤独であったからだ。

花澤哲文「おわりに」(『西村賢太とは誰か』)

 これまさしく、少し前に月刊『Hanada』2025年2月号に書いたことではないか!と思ったのだ。

 私と花澤さんは、あっち側とこっち側から同時に、同じ人物を見ていたのだなぁ、と思った。

 それは当然、ご本全体を読めば「あれは実はこうだったんですよ」だの、僭越ながら「いやいや、それは多分、こうですよ、きっと」という箇所も、ある(別に私の方が正しいとか、そういうことではない)。

 しかし、私が西村賢太のコアだと思っている部分については、全く同じ見方をなさっていたのだ。

 それを、お目にかかって直接、お伝えしたかったのである。

 で、ブースを二度、訪れたのは、単に私が足りないせいである。
 一度目では、せいぜい名乗って挨拶するのに精一杯で、まったくこの件には触れられず仕舞いだったからである。

 ギッチリ詰めて座っている左右のブースの方々の邪魔をしているんじゃないか、などと思えばとても悠長に話してなどいられずそそくさと辞して、でもって、踵を返したその瞬間から、お決まりの自己嫌悪である。

 人込みで脳中に溢れる罵倒。
「東京くんだりまで大枚叩いて来て、これかよ、え? 一体月に幾ら稼いでんだよ、テメェはよ」
「・・・」
「だからお前は、詰めが甘えんだよ。言いてえことの一つも言えねえで、馬鹿だろ、お前」
「・・・」
 嗚呼嗚呼あぁーッ!!!!!

 ああ、何故手紙を書いてこなかった。手紙だったら渡すだけでよかったではないか。
 そうだ、これから書こう。あそこのコンビニにレターセット、あるかしら。
 だがしかし、1時間ぐらいののちに(どうせ私のことだ、モタモタしてそれくらい、かかる)、一体どう言ってお渡しするのか、それを。
 それはそれでおかしいだろう。頭がおかしいと思われるだろう。
 頭がおかしいと思われに、ここまで来たのか・・・

 …で、引き返して、お伝えしたという訳である。

「あの、何度もすみません。あの、私、月刊『Hanada』の7月号に西村賢太について書かせてもらってるんですけど…」
「はい、読ませてもらいました」え?
 なんだ、知ってくだすっていたのか・・・ありがとうございます!
「あの、それでまた声掛けて頂いて今度、今月20日発売の来年2月号の記事も、こないだ提出したんですけど…」
(云々かんぬん、以下略)

 疲れました。が、お伝え出来てよかった。
 文学フリマで販売してくださって、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集