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スイカゲームはなぜ面白いのか?

スイカゲームはなぜ面白いのか、その仕組みについて解説してみようと思います。
※前提として「面白い」について語ることは、どのような視点で何をもって面白いとするのか難しい話なのであくまでこの記事では私が定義する主観で解説するので予めご了承ください。と一応前フリ。

まず、ユーザーとしてのUX(感情体験)のリストアップから始めてみます。
「ゲームをプレイしていて、こういう体験をして、こういう感情になるよねーっ」てのを共通認識としてピックアップしてから、体験ごとに面白さを解析し説明してみようと思います。

プレイ体験 ▶︎ 体験の要素分解 ▶︎ 面白さの解説

の順で解説を進めていく。

では、スイカゲームにおけるプレイ中の感情を揺さぶる「プレイ体験」をピックアップしてみよう。

面白さのピックアップ

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  1. スイカができた時

  2. フルーツが合体して1ランク上のフルーツになる時

  3. フルーツが転がって動いて時間差で合体した時

  4. 連鎖して受け皿の領域が確保されたとき

  5. 落下させるフルーツが合体の期待があると思った時

  6. ハイスコアを更新した時

  7. ランキングが上がった時

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ざっくりピックアップしてみました!大体こんなところでしょうか。
(まだ、ありそうですが)

ちなみに後半の6、7の面白さについてはスイカゲームのコアゲーム以外の競争の面白さなので今回は除外しようと思います。

他のゲームでもよく採用されることのある面白さを作る付加価値みたいなもので、競争としての勝ちたい、過去の自分、世界中の人より上回りたいという優越意識、勝つという成功体験を味わうことで快感を感じる要素。
また、人は人から認められたい本能があり人に勝つことで興奮、満足感が得られるため楽しいと感じる。

除外するといいながら説明してしまいましたがランキングの面白さ、について現場からは以上です。

それでは上記のように、一歩踏み込んだその「面白さ」の理由をなるべく深掘って語っていければと思います。

とその前に
この記事における「面白さの定義」をしておきます。

人は「成長を実感できた」時に面白いと感じる

としたいと思います。

定義もそれぞれあるかも知れませんが、定義しないとなぜそれが面白いといえるのかを説明できないので上記を「面白さ」とこの記事では定義します。
ちなみに私はゲームの面白さとは「成長の実感」で概ね説明が付くことが多いため、仮説として合点が行くものと考えています。

そして、なぜそうなのかはスイカゲームの面白さを分解してみた後に、まとめのフェーズで記載しようと思います。


では、本題のスイカゲーム自体の面白さについて分析していく。
前述した5つの面白いと思う体験に対して要素ごとになぜそれが面白いのかを解説していくことでスイカゲームの全体として面白さを解説していく。

1:スイカができた時

絶妙に難しいスイカを作るという大目標(この記事のために頑張って作った!)

わかりやすい面白さ。達成感、ってやつですね。
誰しもが体験として持っている達成という快感については説明不要ですが、「スイカゲーム」というタイトル名にもあるようにスイカゴール設定である、というわかりやすさと、スイカ作りを達成するための程よい難易度の高さ。

この明確な目標(報酬意識)難易度(ギャップ)を感じ
試行錯誤、時間をかけた末の成果という「成長を実感」出来るように目標と結果をコントラストを付けて明示されるから明確に認識し、面白いと感じることが出来るわけです。

目標の明示化は目標勾配効果過去記事にも記載)によって、フルーツが大きくなる、成長するという明確な可視化によってゴールに近づくことが分かることでモチベ、興奮度が増すという役割も目標は担っている。

未来への期待を感じた時に人は駆動するように出来ているのでゴール目標としてのスイカの役割はとても面白さに大きく貢献していると考えられます。


2:フルーツが合体して1ランク上のフルーツになる時

がっちゃんこして次のフルーツにシンカの時

この合体する瞬間、ちょっと脳汁出てる感じありますよねー。
もちろん、小さなフルーツの合体ではほどほどに
大きなフルーツほど、やった!感がありますよね。

これは、ゲームデザイン的に
フルーツが1つ上のフルーツに成長した実感と
視覚的にサイズアップし違うフルーツへ変化したことが明確に分かり
ゴール目標への接近が出来た
ことで嬉しいと感じるところ、大きなサイズのほうがゴール目標に近いのでより嬉しい。

小さな成功だが人は「変化した」ことの誤差が実感として分かるならば、快感を感じるように出来ており面白さに繋がっているのです。


3:フルーツが転がって動いて時間差で合体した時

ころころと転がって合体する期待の楽しみ

時間差でもう少し!もう少し!くっついたーっていう嬉しさありますよね!
ゴルフのパットの「入れ〜っ」てのにも似ているあの感じ?

脳汁出ている瞬間が自身でも自覚できてそうなこの瞬間。

スイカゲームは、物理演算の摩擦自体はあまり強くないため、ゲームプレイ中、積み上がったフルーツたちがずっと微妙に動いていたり、時間差で合体が起こったりします。
これも面白さに一役買っている1つの要因です。

いつまでも積み上がったフルーツの状態が変わる不確実性は、本来はユーザーが次のフルーツを落とせず待ちのストレスを感じたりすることが懸念されるわけですが
ゲームをもう少し厳格にして摩擦を強めてフルーツを落としたあとに、状態を早めに停止させターンを確定し、ユーザーもテンポよく次のフルーツを落とす動作を行えるようにするのが良い方法ともなり得たわけです。が

しかし、スイカゲームはそこを厳密にしないこと、動き続けることを許容することで面白さを際立てることに成功しています。

・体感としてその動いている状態を待つこと自体が「くっつけ!」と期待をする時間が見ていて楽しい!
・永遠に動くわけではなく(所詮、円のコリジョンの集合体なので)一定時間経てば状態が膠着したのが分かる、のでテンポを阻害しない

また1つ1つのドロップの重要性が高すぎず、フルーツ全体が静止していない状態を気にせずプレイを続行出来るゆるさがある。

ということで、摩擦が強くないことが不確実性を生み面白さを際立たせているポイントになっているわけです。

しかしここで疑問になるのは

ではなぜ、不確実性は面白さになるのか?

先に結論を書くと

期待する結果の快感が前払いされるから
です。

ソシャゲのガチャでも言われている快感の前払いの話。
ガチャで確率で報酬を得られると分かって、期待しているときにも快感は前払いされているというもの。

そう、わたしたちは報酬を得られたときだけではなく、報酬を得られるかも知れないと期待したときにも快感を感じている。

スイカゲームの話に戻ると、物理演算によって常に状態変化が起こっている状態は不確実な状態。
その固定化されないランダムな状態が常に「もう少しでくっつくかも知れない!」という期待を煽り、常に快感を感じている状態が続いていると考えられるわけです。

摩擦の弱さを説明したのは、この変化する状態が続くことが快感の前払いを継続させる機能として働いているため中毒性が高い1つの要因になってるということに繋がってくるのです。

微妙に動き続けるフルーツたち

落としたフルーツが転がって合体したり、全体の動きによって埋もれているフルーツが合体したり、ランダムな状態が継続することで期待をする脳が快感を感じ続けている状態になっているのです。


4:連鎖して受け皿の領域が確保されたとき

領域確保の安堵感とやった感

3の延長線上にある楽しさですが分けて記載しました。

フルーツが複数合体すると安全エリアとされる落とすための領域が広がり
安全領域が増えた!
とき嬉しいですよねー。

フルーツが積み上がってゲームオーバーになるという損失を回避(領域回復)出来たことの嬉しさです。
人は得ることよりも損失を回避したい生き物なので、若干、これを面白さと捉えるかは難しいですが
行動として回避したい欲求が達成されたという点においてゲームでは嬉しいが面白さとなっていると考えられるわけです。


5:落下させるフルーツが合体の期待があると思った時

落としたら合体できるよーっていう状態

単純に落とすフルーツと同じ種類のフルーツが盤面にあり、合体出来ると確信できるときにも面白いと感じる。期待感感じますよね?

前述してきた内容ですでに解説済みな感じもしますが、これを最後に説明したかった理由があります。

この合体が目に見えている状態は期待値のギャップが少なく(確実に合体される)不確実性がほぼないため期待値の前払いとしての快感で面白いと感じるのではなさそうな気がしますよね。

ではなぜ、この状態において期待値が持続できているのでしょうか。

合体が確実に可能だろうという状態でフルーツを落とした時に
期待値通り結果は
フルーツ同士が合体しサイズが大きくなり、フルーツの見た目が変わる
というアクションが発生するだけですが

そのアクションによって盤面が変化、芋づる式にフルーツの合成が起こる可能性を期待出来る副次的な連鎖反応が紐づいていること。
上述してきた、2,3,4の現象が1つの合体を通じて動きが起こり、他のフルーツたちの動き、そしれ連鎖を誘発する。
だから面白い。

と単純な理由ではあるのですが改めてここで述べておく。

単体合体の期待は確実に起こるが
その後のアクションについて不確定な要素があるため、これもまた「何かが起こるもしれない」という不確実な期待値によって快感が前払いされているというわけ。
なので、フルーツを落とすこと自体に毎回期待感があり、面白いが続く要因となっている。

何がいいたいかまとめると…

人は、目標を達成したときや成功を感じた時に「面白い」と感じるだけではなく、未来への期待に対して突き動かされているのだ。

その未来への期待のギャップが大きいほど人は快感を前払いされ、行動の原動力となる。

そして期待からくるサプライズを「報酬予測誤差」という。
これは報酬と予測された報酬との間の誤差を表す指標。

スイカゲームでは毎回フルーツを落とすたびに、誘発する動きによって連鎖が起こって良い結果がもたらされるのではないか、という報酬予測に対して得られる報酬の不確実性が高いため、そのギャップが快感を感じやすい仕組みになっていると考えられる。

単純なフルーツ同士の合体で得られる嬉しさ自体は小さいが、起こりうる誘発される動きや連鎖に対するギャップの大きさが面白さを作り、フルーツを落とすたびに期待されるという頻度もあって、プレイ意欲の持続がもたらされている。

また、物理演算という不確実性(予想外)がこの「報酬予測誤差」の大きさを強化する要因となっていて、他の落ちものパズルのように想像できる範囲外のランダム性が報酬予測のギャップを生むことも手伝いスイカゲームの強みとなっていると考えられる。

【考察】ぷよぷよとテトリスとの違い
ぷよぷよにおいても連鎖という概念で同様に不確実な期待値としての快感が得られるのも同様のメカニズムを持っている。
だが、ぷよぷよは物理演算でなくスイカゲームのようにアナログ的な曖昧さのないルールなので不確実性は熟練者であるほど薄れる
その代わり、自分自身が成長することの実感を味わうことが出来るので面白さの軸がトレードオフとして実現しているでは、と考えている。

また、テトリスについて考えてみると
連鎖がないテトリスはこの手の前払いの快感は少ないゲームだと言える、ただ、テトリス棒がきたときの快感は同様にテトリスで消したときの達成を期待する快感として説明出来るだろう。
テトリス棒キターーってときに強い脳汁出るのはテトリミノの順番のランダム性が生む誤差とテトリス達成報酬の前払いが快感の理由なのだろう。


まとめ

「スイカゲーム」は落ちものパズルとマージゲームの良さを損なうことなく合体させた中毒性のあるゲーム

面白さを分解して説明してきたことで、シンプルなゲームながら面白さが凝縮された期待値を継続させ快感を持続的に感じさせ続ける中毒的ゲームであることがわかった。
このゲームを支える土台としてのルールや仕組みも洗練されたものになっており、この土台なくして面白さは実現できないが、またこのあたりのゲームの構造についても別で記事にしたいと思います。

結局のところ

面白さの定義「成長を実感すること」とは何だったのか?

上記で分解して解説したとおり「成長の実感」について
スイカゲームでは効率的に快感体験が持続され、かつ「報酬予測誤差」の大きさを新鮮に保たれることを実現していることで、行動を促し、小さな達成感を持続させ、スイカという目標達成を目指すという

「面白さ」が凝縮され隙のないゲームとしてシンプルでかつ、非常に完成度の高いゲームとなっていると感じた。
故に自分が成長を実感出来ていると感じさせてくれる装置なのだ。

ただ、なぜ成長の実感が面白いと人は感じるのか?は説明しきれてないと思うので仮説と共に解説する。

結論的に「なぜ?なぜ?」で追求していくと、それ以上説明できない理由となるのは人間の生存本能に行き着く。
人類進化の過程において、快感と感じることはすなわち人を行動を促すために脳から分泌される報酬物質によって引き起こされる。
なぜ、行動を促したいかというと、”報酬を期待できる状態にある時”に脳はやる気を出して結果獲得に導く必要があるためだ。

であるから本文中でも記述したように、報酬を得たときよりも報酬を期待できる状態のときに快感を感じるように出来ているのである。

行動をする(報酬が期待できる)
   ↓
快感を得る(不確実な報酬)

大きな報酬が期待できるかも知れないとして、行動のために脳は人を突き動かし、得られた報酬によっても快感を得る。
本文で書いたように、確実性の高い報酬ではこれが強化されない、なぜならそこに誤差が生じないためだ。
脳が行動を仕向けなくても楽に獲得できるものに対して脳が体力などのリソースを無駄にしないと判断するためなのだろう。

では、結果的にこの脳のメカニズムによって何が得られるのか?
の本質に迫るとするなら、報酬を獲得することというのは生存本能として食料の獲得であったり、生殖行動の達成であったりするわけだが、人間として知恵を得るという行動も生存戦略としては有利に働く。

行動し、不確実でサプライズな報酬を得ることで人間自身が知恵をつけ成長することで生存確率が上がる、快楽に突き動かされて得られたその先に自身の成長があったとき、生存本能としての優越感や自己肯定などに繋がっていくためではないかと考えている。

行動する(報酬が期待できる)
   ↓
快感を得る(不確実な報酬)
   
自己成長(生存強化)

成長を実感することは
新しい情報によって生存に有利な状態へ成長出来ること

その成長の体験は実際に生存に有利かどうかは関係なく
疑似体験としても獲得できてしまうのがゲームの存在であり
ゲームによって期待を感じさせることで脳はハックされ快感と面白さを体験できるのである。

結論
成長(生存)を実感(疑似)することが
面白いと定義した理由だ。

以上
めちゃくちゃ長くなってしまいましたが
人間の生存本能から考察される、面白さの仕組みと
スイカゲームがどのように面白さを実現しているのかについて説明してみました。

スイカゲームの場合
今になってなぜこんなにヒットしたのか?のほうが興味が大きいですが
面白さの観点からも良く出来たゲームであることは裏付けとしてあり
この記事でゲームの面白さについて伝われば幸いです。

今後もゲームに関する深掘りを記事にしていきたいと思うので
良ければいいねやフォローいただけると嬉しいです。

ここまで長文読んでいただきありがとうございました!


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