「変わってるね」と言われる
僕はよく「変わってるね」と言われます。
変わってない人にも言われますが変わってる人にも言われます(苦笑)
割と昔から言われるのですがどうしてなのか、未だによく分かりません。
自覚している「変わってる」かもしれない要素を挙げると
「普通の人と一緒は嫌だ」「物事を客観的・多角的・反対に考える」(=そういう意味では捻くれ者かも?)「行動に理由づけしたい」「物忘れは多い」「いつでもユーモアを加えたい」
あたりでしょうか。このあたりは自覚しています。でもこれって多くの人が考えていることだと思うのですが…
普通の人と一緒は嫌だ
人は人生の安定を選ぶと、誰かのために働いて対価を得るってライフスタイルを選択すると思いますが、まず働かされるのは嫌です。やりたいことを、自分のスキルで、ちゃんと必要とされて、対価を得たい。こういう思いはずっとあります。やりたいこと以外はやりたくないんですよね、苦痛過ぎて、生きている意味すら考えてしまいます。
誰でも替えがきくようなことは基本的にやりたくないです。これって誰でも思ってることですよね?
ひねくれている
まず、テレビや新聞などマスコミが報じることは事実がねじ曲がっていたり、偏っていますよね?
そりゃスポンサーにお金貰って成り立ってる商売ですから、スポンサーに都合の良い報道をするのは当たり前です。
誰かの話もその人の主観に偏ってるので、ついつい信じ込まずに逆説を考えたり、別の視点を考えてしまうんですよね。「そうだね、すごいね〜」とか言えたら良いんでしょうが…
行動に理由をつけたい
「何でそうしたの?」「どうしてそうなった?」科学とは疑問から発展していきますよね。僕はずっと文系のくせに物事の理由がいつも気になるんですよね。
「感情的になった」に納得いかないというか…あ、これモテないタイプですね(苦笑)
感情的な感覚的な意見を左に受け流せるウツワがあれば良いのですが、理由が無いと納得できないんですね〜これ変わってるのかも?w
自分を正当化することが前提に批判意見を聞いてしまうのかも…反省しなくては。
物忘れが多い
けっこう忘れっぽいんです。ラーメン屋にベースを置き忘れて3日後にいざ「楽器がない!」(何本か用途に応じて持っているのですが、その時必要なベースが無かった)となって、必死で行動を遡って、ラーメン屋に行きつきました。
ラーメン屋さんはちゃんと楽器を保護(なんて言うの?)してくれていました。
けっこうウッカリさんなのでなるべくメモしたり気をつけてます…これも変わってますかね?
いつでもユーモアを加えたい
僕はたぶん小中学生くらいの頃から、コミュニケーションにはユーモアが必然だと思い込んでいて、何かとボケる癖があります。ボケってツッコミがあって初めて成立するので、僕の分かりづらいボケが通じずに「この人頭お花畑なのかな?」と思われたことは多々あると思われます。
会話している相手が笑うと嬉しくなりませんか?
仲良くなれませんか?
ずっとそう信じていて、ボケたり寒いギャグ言ったり、昔からしてしまうんですよね。
これって変わってますか?
書いていて思いましたが、僕は変わってるのかもしれません。たぶん自己正当化、場を和ませたいとか、なんでも疑ってかかるとことか、話している人を楽しませたいとか、普通にしていれば流れてしまうことに変化を求めているんでしょうね。
クリエイター冥利に尽きますね。大人になるまでこんな仕事をすると思いませんでしたが、どうやらこの性格がこの職業に向いていたみたいです(笑)
どうか今後とも「変わっている」林勇太郎を、よろしくお願いします!変化もたらします!笑
あとこの写真可愛くないですか?笑