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【ネタバレあり】鵼の碑 読書感想文
本投稿は、2023年9月14日刊行の小説「鵼の碑」のネタバレを含みます。
未読の方はご注意ください。
また、執筆者当人の主観が多分に含まれます。
鵼など居ないのだ
これが本書の全て だと思う。
あらまし
殺人の記憶を持つ娘に惑わされる作家。
消えた三つの他殺体を追う刑事。
妖光に翻弄される学僧。
失踪者を追い求める探偵。
死者の声を聞くために訪れた女。
そして見え隠れする公安の影。
発掘された古文書の鑑定に駆り出された古書肆は、
縺れ合いキメラの如き様相を示す「化け物の幽霊」を祓えるか。
(本書あらすじより抜粋)
読み心地
百鬼夜行シリーズお得意の、各所に点在していたはずの物語が二転三転
のうちに一つの穴にまとまって落ちていく心地よさが、本書でも楽しめる。
今作は特に物語別に明確に区分された「章題」があり、また別の章で
語られた出来事や名詞が頻繫に出てくるため、それぞれの物語の繋がりが
見えやすくなっている。
(後述するが、これは恐らく意図されたものだと思う)
感想
「鵼」
猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾を持ち鵺鳥(トラツグミ)の声で鳴くとされていることで有名な妖怪であり、「平家物語」にその退治の様子が
描かれている。
要約すると、
当時の天皇が病に伏せた際、その原因と思われる空の黒煙と不気味な鳴き声
を祓うべく、源頼政が弓を穿ちて怪物を調伏し、天皇は復調するに至った。
といったところだ。
本書ではこう語る。
「鵼など居なかったのではないか」と
「平家物語」に記されている「鵼」の特徴は「鵺のような不気味な声」
のみで、その外見は語られない。
その上、源義家が「弓を鳴らして怪事を止ませた」エピソードに倣って
源頼政に同様の依頼が来るのである。
(弓を鳴らして邪気を祓う、「鳴弦の儀」というものがある)
つまりは、天皇が病に伏せた折、源頼政が「鳴弦の儀」を依頼され、
「鵺のような音を鳴らして」これを執り行ったところ、天皇の気が復調したというお話で、「化け物の姿はどこにもない」のだと、そう言うのである。
二匹の「鵼」
具体的な名称は控えるが、本作中で登場人物達が「鵼」のような怪物と
見据える「あるもの」が登場する。
「あるもの」は、さながら「鵼」の如く漠然とした不安感や恐怖心を
登場人物達に与える。
そしてこれは、読者の心にも、同様に「鵼」を産むのである。
本作が章立てで整理されていることも拍車をかけ、読者の中の「鵼」は
読み進めていくほどに肥大化していく。
「鵼」を落とす
そうして肥大化していった登場人物達と読者の中の「鵼」は
シリーズ恒例の「憑き物落とし」にて、見事落とされることになる。
「鵼など居ないのだ」
前述した「平家物語」中の「鵼」の不在と同時に、皆の心の中に巣食う
「鵼」の存在もまた、否定される。
登場人物達は、「鵼」の不在に安堵し、読者もまた同様に、「鵼」の不在を
安堵する。
本作品の面白さ
あらゆる媒体において、「登場人物」と「我々」を完全にリンクさせることは、非常に困難だと私は思う。
例えば、主人公が極悪人に憤りを感じるシーンがあったとして、
我々は主人公と同じように憤りを感じることが出来るだろうか。
本作品は、この点に妙があり、登場人物達の不安は我々の不安に、
登場人物達の安堵は我々の安堵に、リンクするのである。
三匹目の「鵼」
一方、我々読者の心の中には、三匹目の鵼が居る。
言語化すると陳腐ではあるが、「百鬼夜行シリーズへの期待」のような
ものだ。
本作は、これまでの百鬼夜行シリーズのエピソード群とは明確に異なる点が多いエピソードとなっていると思う。
特に、「鵼など居ないのだ」と語る「憑き物落とし」は、物語に劇的な
クライマックスを求めていた者にとっては、到底承服しかねるであろう。
源頼政が如くの「化け物退治」を中禅寺秋彦に期待していたところに、
「化け物なんて居ないよ」と軽くあしらわれるのだ。
ただ、本作品は我々の中にある「百鬼夜行シリーズとはこういうものだ」と
いう「三匹目の鵼」すらもまやかしであると伝えているのだと思う。
「君達の頭の中にある本作品群のイメェジは、本作品群のほんの一部
でしかないのだ」と。
本書により、私の「三匹目の鵼」は、落ちた。
次作として告知されている、「幽谷響の家」を、よりフラットな視座で
楽しめるのではないか、と思う。
一方、万人の「三匹目の鵼」を落としきれないのではないかとも、私は
思っている。
というのも、これが前作「邪魅の雫」から数年後に刊行された作品である
ならまだしも、17年もの時を経ているのである。
17年という歳月をかけて肥大化した「三匹目の鵼」の中には、広く知られる「鵼」が如く、姿形を得て「妖怪」と化してしまったものもあるのではない
だろうか。
となれば、「鵼など居ないのだ」と語られても承服しかねるであろう。
だって、そこに居るのだから。