見出し画像

赤こうらを使わない父の愛情と、言葉のキラーを放つ君。

「誕生日のプレゼントはパパが良い」と次男が言った。

子供の発言はいつも純粋でまっすぐだ。悶絶するほどに可愛すぎる発言にいつも癒されてきたが、今回の言葉はその比ではない。でもパパは天に昇るほどの嬉しさと同時に悲しみも味わっていた。

君のその願望は叶うことはないのだから。

赤こうらを使わない父の愛情

話はさかのぼり、僕は夏季休暇を使いゲームセンターでマリオカートを7才の長男と5才の次男と一緒にプレイしていた。次男(身長90センチくらい)はシートに座っても一生懸命足を伸ばしてギリギリアクセルに届くぐらいだ。

見かねてイスを一番近くになるまで調整してあげる。自席を離れてイスを調整していたおかげで、僕は写真撮影に間に合わなかった。パパの欄が空白となった写真に息子たちは笑う。

レースも中盤に差し掛かったタイミングで気づいたら次男が1位になっていた。画面を見上げた状態のまま器用にハンドリングしている。すごい高等テクニックだ。

その微笑ましい姿に僕はどうしても次男を勝たせてあげたくなってきた。1位にならないようにスピードを調整しながら、次男を抜き去ろうとする不届き者たち(長男含む)をアイテムで成敗していた。

2位を維持し続けた僕は終盤ずっと持っていた赤こうらを使わなかった。そして知らない内にボディガードを得ていた次男はそのまま優勝した。

相当嬉しかったのだろう、後に甥っ子たちと遊んだ時に「マリオカートで1位を取ったこと、パパからみんなに報告して」と耳打ちしてきた。恥ずかしがらずに自分で言いなさい、可愛いやつめ。

大人の配慮あるいは汚さなんて知るのは、もっとずっと後でいい。今はただ勝利の美酒(りんごジュース)に酔いなさい。

言葉のキラーを放つ君

ゲームセンターで遊んだ後たわいもない話をしていたら唐突に次男が「僕と〇〇(長男)どっちの方が好き?」と聞いてきた。

なぜそんなことを聞いてきたのか困惑しながらも「どっちも好きだから、順番はないよ」と返す。

「そっかー。」とあまり納得いってないような顔をするので、立場を置き換えて説明してみる。

僕「だってパパとママどっちが好きとか答えられないでしょ?」
長男「僕はママが好き」(間髪入れず)
次男「うーん、僕もママの方が好きかな」

いや順位ついとんかい!しかも周回遅れくらい差がついてんな。

でも考えてみれば当たり前だった。離婚して離れて暮らしているから一緒に過ごしている時間が少な過ぎるもんな。パパと変わらずに遊んでくれているだけで実は奇跡かもしれない。そんなことを考えながら悲しみに明け暮れていると、さらに次男が言った。

次男「誕生日のプレゼントはパパが良い」
次男「パパ帰ってきて」

至近距離からキラーで心臓を撃ち抜かれたみたいだ。ママが好きと言った後の不意打ちだったからこそ余計に油断していた。込み上げる涙を堪えるのにひたすら必死だった。

しかも次男の誕生日はまだまだずっと先だ。ずっと先の誕生日プレゼントに物ではないものを欲しがるなんて。どれだけ寂しい思いをさせているのだろう。罪悪感で押しつぶされそうになる。

息子たち(特に次男)は離婚ということをまだ正しく理解できていないのかもしれないし、それともママから別の説明を受けているのかもしれない。

でも、パパとママの人生は残念ながらもう二度と交わらない。なぜなら今君たちが笑えているのは、パパとママが離れて暮らしているからだ。僕が笑えているのも息子たちだけと遊んでいるからだ。この笑顔は一緒に生活していたら守れない。だから、これでいい。

子供は無条件に愛を求める。そして愛をくれる。
飾らないその言葉たちがどれだけ自分の救いになったか数え切れない。
子供たちを守っているようで、自分たちが守られている。子育てではなく、親育てという言葉が身にしみる。

マリオカートには1週する中で、途中でコースが分かれていたり、ショートカットがあったり様々な選択肢がある。それぞれの選択肢が正しかったことを祈りながら、それらを正しい道にするのは自分たちだ。

これからも走り続ける君たちの笑顔を、後方からそっと守りたいと思う。

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはお菓子に変換されます。(お菓子がないと死んでしまいます。)飽食の時代、餓死するかどうかの生殺与奪権はご覧いただいたあなたに委ねられています。