他者の記憶としてナクバに向き合う――アダニーヤ・シブリー『とるに足りない細部』を読み解く
一か月前、アダニーヤ・シブリーの『とるに足りない細部』の日本語訳が発売された。アダニーヤ・シブリーはパレスチナ出身の作家で、去年の10月7日のガザ蜂起の後、ドイツで同小説の授賞式が無期限延期されたことで注目を集めた。そのあたりの経緯は、彼女が書いた「かつて怪物はとても親切だった」というエッセイや、彼女の知り合いである村田沙耶香が書いた「いかり」というエッセイに詳しく書かれており、「文藝」2024年夏季号に掲載されているので、ぜひ読んでいただきたい(アダニーヤ・シブリーのエッセイは以下のサイトからも読める)。
本稿では、そこには深入りせず、この小説の主題となっているベドウィンのナクバについて考えていきたい。この小説には、既存のパレスチナ文学と比べて特異な点が二つある。一つ目は、ベドウィンに焦点が当てられているということ、二つ目は他者の経験としてナクバが書かれているということである。
この小説の第一部では、イスラエル軍の部隊がベドウィンの少女を集団でレイプし殺害した事件が、加害者側の視点から語られる。これは1949年8月に実際に起きた事件であり、2003年にイスラエルのハアレツ紙が報じたことで、事件の詳細が明らかになった(ハアレツの記事はこちら、また文末の補足2も参照のこと)。第二部では、この事件をイスラエル人の書いた記事で知った西岸地区のパレスチナ人が、小説の第一部と同様に加害者の視点のみで書かれた記事からわかる事実とは別のものを探すために、イスラエルへ入国し、事件の現場に向かう。ここで注目すべきは、アダニーヤ・シブリーが、この事件を被害者の少女の視点から書き直さなかった点である。
この小説では、加害者であるイスラエル兵の視点と、自身の誕生日のちょうど20年前にこの事件が起きたということでしか接点のない現代のパレスチナ人の視点から、物語が語られる。そして、どちらの語りにおいても、イスラエルの兵士にレイプされ殺されたベドウィンの少女の声の不在が際立っている。例えば、ガッサーン・カナファーニーの「ラムレの証言」のように、当事者の視点から生々しく民族浄化の現場を描くこともできただろう。しかし、そうしなかったのは、単にアダニーヤ・シブリーがナクバを体験した世代ではないからなのだろうか。それとももっと深い意味があるのだろうか。本稿ではこの点を考えていこう。
パレスチナの遊牧民
アラブ世界には町や農村に住む人の他に、砂漠で遊牧を行う人たちがおり、ベドウィンと呼ばれている。イスラエル建国前、パレスチナには9万2000人ほどのベドウィンが住んでいたが、ユダヤ軍による民族浄化作戦により、イスラエル建国後には1万1000人に減少した。特に、1948年の冬にネゲブ砂漠で行われた民族浄化作戦では、ネゲブ砂漠に暮らしていたベドウィンの90%近くがヨルダンやガザに追放された。また、北部のガリラヤでは11月2日に、ベドウィンの男性14人が射殺される「アル・マワースィーの虐殺」が起きている(英語ウィキはこちら)。
イスラエル国籍を得たベドウィンは、イスラエルの人口の2割を占める「アラブ系イスラエル人」の一部としてカウントされるが、その他のパレスチナ人やドゥルーズ派アラブ人とは今でも帰属意識や文化・伝統が異なる。現在、イスラエル国内には30万人のベドウィンがおり、半分が都市部に定住し、半分が今でも砂漠の未承認集落で電気も水もない生活を送っている。イスラエル当局は、ベドウィンの市民に建築許可を出さないことで、ベドウィンへの弾圧を強めている。許可がないという口実で地元住民の家を破壊し追放する手口は、イスラエル軍が占領する東エルサレムで行う住民の追放と同じである。一方で、ベドウィンの中にはイスラエル社会に溶け込むために兵役に参加するものもおり、アラビア語が話せることから多くが占領地域に投入されている。
Write Back
1945年の段階でパレスチナには120万人ほどのパレスチナ人がいた。そのマジョリティはパレスチナ内外に住む大地主に雇われた小作農であった。彼らは小麦やオリーブを育てながら、その地に根ざした生活をしていた。しかし、「土地なき民に、民なき土地を」というスローガンが示すように、シオニズムにおいて、パレスチナは無人の土地だとされていた。人がいるとしても、そこにいるのは遊牧民のベドウィンであり、その地に根ざした定住民ではないという理由で、そこは根無し草の遊牧民しかいない無人で不毛の地だとみなされたのである。
シオニズムはヨーロッパの植民地主義の延長線上にある。遊牧民を文明の外側にいる野蛮人と位置づけて非人間化することは、ヨーロッパ諸国が侵略や植民地支配を正当化するために使い古してきた典型的な手法である。この小説の第一部に、ベドウィンの集団を射殺し、少女を連れ帰ってきたことを祝って、イスラエル人の兵士たちが祝いの食事を行うシーンがある。その時、将校が兵士たちを前にして、彼らを鼓舞するために発した言葉には、ヨーロッパの植民地主義を反復したシオニズムの価値観が良く表れている。
この発言から読み取れるのは、この地を荒地にしたまま放置したアラブ人やベドウィンとは違って、イスラエル人は文明的で先進的だから、そこを開発し、豊かにできるという発想である。こういった植民地主義的発想がパレスチナに対する入植型植民地主義を正当化した。
この時、パレスチナは入植者によってあまりにも一方的に語られる。例えば、ベドウィンの住むネゲブ砂漠は、無人の地として印象的に描写される。しかし、砂漠が無人なのは、先述の通りイスラエルが民族浄化作戦を行ったからに他ならない。また、イスラエル人の兵士の視点から語り手が事件を語っている以上、親族を殺され、連行され、レイプされ、自身の墓穴を掘らされた上に射殺されたとき、少女がどのような恐怖を抱いたのかも、決して明らかにはされない。少女は兵士たちに向かって言葉を発するが、誰にも理解されることはない。
ここで、物語の書き手には、ベドウィンの少女の視点から事件を書き直すという選択肢もあったはずである。文学において、植民地主義の支配者によって一方的に表象されてきた現地人が、自分たちの言葉で自分自身を表象するということはしばしば行われてきた。例えば、カミュの『異邦人』では、殺されたアラブ人の名前が最後まで登場せず、ムルソーはアラブ人の殺害ではなく母の死を悼まなかったによって裁かれるが、これに対してカメル・ダーウドの『ムルソー再捜査』は、殺されたアラブ人の弟を語り手に据えて、殺されたアラブ人の側から物語を書き直した。あるいは、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』において、支配者の視点から語られる植民地主義を、支配される側の視点から書き直したのが、アチェベの『崩れゆく絆』であった。
ポストコロニアリズムの入門書にThe Empire Writes Backという有名な本があるが、スターウォーズの「帝国の逆襲 The Empire Strikes Back」をもじったこの表現は、「支配者の物語を書き直す」「支配者の物語に対して筆で逆襲する」ということを示している。去年の12月にイスラエル軍の空爆によって殺害されたリフアト・アルアライールは、Gaza Writes Backという短編小説集を編纂しているが、これはまさしく、あらゆる形でパレスチナ人を非人間化する世界に対する、筆による逆襲でもある。
しかし、『とるに足りない細部』は加害者の視点で語られた事件を被害者の視点から書き直すということを行わなかった。この小説の2部は、Write Backという形をとらなかったのである。それはなぜだろうか?
これを考えるために、ここで、パレスチナ文学がナクバをどう書いてきたかを振り返ってみよう。
農民の物語としてのパレスチナ
イスラエルの建国により、パレスチナ人達は祖国を失った。ユダヤ人民兵は建国に先立って、半年にわたり、パレスチナ人の村や都市を破壊して住民を追放し、一部では民間人の虐殺を行った。生き残った者たちは、そのほとんどがヨルダン川西岸地区やガザ地区、周辺のアラブ諸国に難民として逃げ落ちた。イスラエルとなった土地に残ったパレスチナ人はわずかだった。
祖国を失い難民となったパレスチナ人達がアイデンティティの拠り所としたのは、パレスチナの田舎の農村の風景であり、小作農のパレスチナ人達の生活であった。難民となった者の多くが農民であったことや、農民という存在が難民と奪われたパレスチナの大地のつながりを強調する上でわかりやすかったことが理由かもしれない。しかし、耕作された肥沃な大地との繋がりというのは定住民の発想であり、遊牧民の発想ではない。つまり、パレスチナのナショナル・アイデンティティに農民のパレスチナ人達の文化・経験・記憶が採用されたことで、ベドウィンは周縁化されたのではないだろうか。
文学において、パレスチナの物語の中心を占めるのは農民であった。パレスチナを代表する詩人であるマフムード・ダルウィーシュは、「もしオリーブが、植えた者の手を知っていたなら、その油は涙に変わっただろう」という冒頭の一文で有名な「忍耐」という詩で、このように言っている。
この詩は、大地・農民・パレスチナが不可分であることをうたい上げると同時に、農民がその大地から強制的に根こそぎにされたことを示している。しかし、このような形で農民がパレスチナの象徴とされるとき、ベドウィンの姿は不可視化されている。私の知る限り、ダルウィーシュの詩でベドウィンに言及した詩は存在しない。
ガッサーン・カナファーニーの「太陽の男たち」の冒頭では、農民であったアブー・カイスがイラクのバスラで大地に横になり、その土の匂いや湿気を女性に例えながら、失われたパレスチナの大地への憧憬を語る。一方で、パレスチナ人の男たちがパレスチナに背を向けながら砂漠で窒息死した時、灼熱の砂漠とパレスチナは対置されている。ネゲブ砂漠で遊牧するベドウィンにとって、砂漠は自分たちの生活の場である。しかし、「太陽の男たち」のような作品の中では、パレスチナの対極にあるものとして、あるいは故国喪失の象徴として砂漠が登場するのである。同様に、先日亡くなったエリヤ―ス・ホーリーの『太陽の門』はガリラヤ地方からレバノン南部に追放されたパレスチナ人達の記憶を編み上げたパレスチナの「叙事詩」として有名だが、一方でそこで語られる記憶はすべて農民のものである。
ここで生まれる疑念は、パレスチナ文学において、パレスチナ人の記憶は農民や都市住民に偏っており、かつ農民の経験や記憶が標準化されているのではないかということである。このように考えた時、『とるに足らない細部』は、既存のパレスチナ文学が無自覚に行ってきた農民の記憶・経験の標準化に挑戦する小説でもあるだろう。
ベドウィンの経験はパレスチナ人達の集団記憶の中でも不可視化されており、イスラエル人だけでなくパレスチナ人の主人公にとっても、ベドウィンの少女は他者の物語だったのである。
そう考えた時、筆者がイスラエルの兵士と現代のパレスチナ人女性の視点からベドウィンの少女のレイプ・殺人事件を語ったことは、サバルタンの立場にあるベドウィンの少女の声を捏造せず、その聞こえなさを前景化するという、倫理的な態度だったと言えるかもしれない。
他者の記憶としてのナクバ
パレスチナ人がナクバの記憶を語るとき、あるいは再現するとき、ナクバの記憶は1人称で語られるだろう。ナクバとは自分の共有する記憶であり、痛みであるということに疑いがもたれることはない。しかし、この小説が明らかにするのは、3人称としてのナクバが存在するということである。例えば、パレスチナ人の帰還権を象徴する「帰還の鍵」は、ユダヤ人たちによる民族浄化作戦により、家を離れざるをえなかったパレスチナ人達が、またすぐに家に戻ってくるために、肌身離さず持っていた我が家の鍵である。しかし、鍵というのは定住民のものであり、テント生活のベドウィンには無縁のものだろう。「帰還の鍵」そのものが悪いわけではない。ただ、「帰還の鍵」が象徴しえないナクバの経験もあるのではないか。
この小説で主人公が試みるのは、大きな物語としてのナクバがかき消していた物語をたどる旅である。語り手は、これが必ずしも成功するわけではないとわかっている。この小説の第二部には、ベドウィンの少女への共感以上に、隔たりが強調される。しかし、それでもなお、「とるに足りない細部」に注目するという彼女なりの方法で、語り手はベドウィンの少女に接近するのである。
2024年10月2日
ريحان السوغامي
読書メモ
補足1:物語の舞台はどこか
第二部の語り手の移動を地図に落としこむと以下のようになる。
この地図は旧二リム村跡地で終わっているが、語り手はそのあとネゲブ砂漠にあるベドウィンの未承認村を訪れている。
ラーマッラーからテルアビブには443号線が走っているが、語り手はその道を使わずに遠回りをしている。まず、443号線をテルアビブとは反対方向に走り、50号線を南下してエルサレム北部に出る。そこから1号線を西進している。つまり、一本南の幹線道路を走っている。
語り手は、車窓の景色と地図を比較しながら、破壊されて残っていないパレスチナの村々の痕跡を探す。どこかの本で、テルアビブとエルサレムの間のパレスチナ人の村の破壊が、最も苛烈だったと読んだ覚えがあるが思い出せないので、見つけ次第、追記する。
最初に訪れたのはテルアビブ南部のヤッファにあるイスラエル国防軍歴史博物館である。
博物館の次に訪れたのが、二リム村である。この村は10月7日にハマースをはじめとするガザの抵抗勢力の襲撃を受けた。
事件の現場である旧二リム村の跡地はホーリートというキブツにある。作中でも言及がある通り、ラファハは目と鼻の先である。
補足2 : イラン・パペによる事件の記述
補足3:夷狄を待ちながら
クッツェーのデビュー作に『夷狄を待ちながら Waiting for Barbarians』という作品があるが、『とるに足りない細部』を読んだとき、この作品との類似性が真っ先に思い浮かんだ。クッツェーは、固有名詞を排した空想の世界において、文明を自任し、帝国の外縁に住む「蛮族」に対して攻撃をする帝国こそが、実は野蛮なのだということを描いた。9.11.以降はアメリカの「対テロ」戦争と重ねられて読まれたことだろう。
主人公は辺境にある開拓者の街のトップを務める民政官で、街の先から地平線まで広がる砂漠には遊牧民である「蛮族」が暮らしている。ある日、「蛮族」が帝国への攻撃を企てているという疑惑から、帝国は中央から大佐を派遣する。大佐は「蛮族」を捕まえ、残虐な拷問や遠征を行い、その後、民政官は拷問で足と目が不自由になった「蛮族」の少女を保護する。この作品において、民政官は帝国の暴力に疑問を抱き、「蛮族」に共感を持つが、一方で「蛮族」の言葉を理解できるわけでもなく(字義どおりにバルバロイなのだ)、少女とも埋まらない距離感がある。その点が、『とるに足りない細部』の語り手とベドウィンの少女に対する距離感に似ている。