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【書評】『暗殺(柴田哲孝)』 

内容は安倍首相が街頭演説中に凶弾に倒れられたテロについての物語となり、本書は一応はフィクションであると強調されている。しかしながら、著者の意図としてはあくまでノンフィクションであり、かの事件の真相について、本書で世に問おうとしていると思われる。

本書は読み手をだいぶ選んでいる。本書には日本の政治に関わる権力闘争の知識が求められる。また、本書での記述は、どこが政治的意図を持った情報操作で、どこまでが本当に公然の秘密であったかは、初心者にはまったく判らない。

そのため、変に情報のスピンに加担したくはないので、本書の引用は避けさせてもらう。

ただ、読後の感想としては、あくまでも個人的な見解だが、この著者は訴訟リスクを負う覚悟を持っているのだろうなということだ。本書で架空の人物として登場する実際の関係者や組織と思われる方々にとって、この本によって名を上げる者は一人もおらず、全員がlose-loseの関係になっているようにしか読めないのだ。

仮に自分がこの中の登場人物やその組織に属する関係者であり、訴訟を起こそうと憤慨したとしよう。その場合、本書のどの箇所が自分と推察され、どの記述が事実と異なり、それがどのように自分の名誉を棄損するのかを挙証する必要がある。本書で記載された内容の性質上、著者側(多分、支援者もいると思われる)からすれば、むしろ訴訟を起こされて公の場で語る機会を得たいのではと、むしろ邪推してしまう。

本書を陰謀論として片付けるのも手段の一つだ。ただ、その一言で片付けるのは待ったをかけたい。陰謀論として有名だったネタが、事実であったということは、最近の潮流としてはままある。最近の事例をあげれば、エプスタイン事件がある。ペドフィリアの巣窟と云われていた島があるとの噂であったが、実際に事件化し、首謀者と思わしき人物が謎の死をとげ、背筋が凍る事態が起こっている。。。。

最後に、本書の内容はあくまでフィクションであることを強調しておきたい。


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