平和ってなんだろう
はじめに
ここ数年ずっと頭の中から消えない問題があります。
世界各国で起こる争いや不平等についてです。
自分は仕事もせずに、学ぶ自由を享受し、十分に食べるものがあり、暖かい布団で眠る。
世界では、家から外に出たら命の保証はなく、明日何が起こるかわからない、食べ物も満足に食べられず、子供が働かざるを得ない。
この圧倒的な事実に、生意気にも苦しみを感じ、締め付けられる気持ちがどうしても芽生える。(HSPに特徴的だそう)
なんとわがままなんだろう、と思うのです。
これが自己満足であることはわかっている。
それでも考えずにはいられなくて、堂々巡りをする。
まとまらないのは承知の上でここに書き記しておこうと思う。
「世界がもし100人の村だったら」を読んで
中学生の時に読んで、衝撃的でずっと頭を離れなかった。
自分はどれだけ恵まれていたんだろう。
女性として産まれるだけでその先の人生がなかったものにされること、みんなが文字を読めるわけでないこと、世界の半数が何かにおびえながら生きているということ。
その時から心のどこかで、世界で起こる悲しい出来事をこの目で見ていかなければならないと少なからず感じたときだったと思う。
小さなころからニュースが好きな子供だった。
あくまで受け身だけれど、事実を見ることが自分にとって重要で、どこか知った気になっていた。
考えていること
時々考えるのは、人間ひとりひとりの単位でみると、それを叶える方法はそれぞれであれ「幸せに暮らしたい」という基本的な願いは皆変わらないのではないかと思うのです。
それでも、最低限の生活が満たされないこと、さらなる幸せを間違った形で叶えようとする欲と、その陰で踏み台にされ、恐怖に対抗しようとするとき、争いという手段に出ざるを得なくなる。
みんな目指すものは同じでも、みんなが望まない方向に進んでしまう。
人間の作り出したもので、人間が傷つけあう。
もちろんこれが理想論で、実際には数えきれないほどの理由ががんじがらめになって、大きな力をもってしてでも今現在解決できない。
こういった自分ではどうにもできない大きすぎる悲しみに対峙する心の容量をまだ持ち合わせていません。今後も、きっとそうなんだと思う。
そのやり場のない気持ちをどうしていいか分からずに、高ぶってそれが涙になったり、体に力が入ったり、不安定になることがあります。
情けないですね、本当に。自己満足の塊だと思います。
最近読んだ本
図書館で中高生向けの展示の中で見つけた本です。
題名の通り、内戦下のシリアで猫のサンクチュアリを作った男性のお話です。
内戦が長期化するシリアで、たくさんの人と動物たちに目を向け、生と死の間近で、自身を顧みず救い続ける。
自分の故郷がどんどん崩れていく。家族をやっとの思いで隣国へ避難させ、自分はそこに残る決意をした。
この本の中の世界が、自分はきちんと感じ取れているだろうか。
何の偏見や誤認もなく、事実を理解できているのだろうか。
自分には分かりっこないことを頭で理解しつつも、ついそう考えてしまうのです。
いま自分がすべきと思うこと
この行き場のない感情をどこに使うかをずっと考えています。
無駄にはしたくないと思うんです。
安全な国で、何の制約もなく、やるべきこともできていない人間ですが。
今の自分にできることは、
現状を知ろうとすること
ニュースにできる限り触れること
これまでの歴史や背景を知ること
現在どのようなことが行われているかを学ぶこと
解決に向けてどのようなことが行われているか
でも自身がそれだけ触れても、それはもう起こり、過ぎていった歴史の一部になってしまっているという点が苦しい部分でもあります。
それでも、今自身の学びたい分野であり、この先もずっと考え続けたいことであることはきっと揺るがない。
どうしたらいいんだろう。
結局いつもこう考えてその時間を終えるのです。
ずっと考え込むことができてしまうから、自分で区切りをつけないといけないのは弱点でもあり、大切にしたい部分でもあるかもしれません。
ちょっと何をどう書けばいいのか混乱してきたのでここまでにしようと思います。
本当にまとまりのないものになってしまいました。
でもまた違う形でなにか表現できたらいいな。
記事の写真は、うちの愛犬です。
バスくん。なかなか破天荒な犬なので、どこかで紹介できたらと思います。
🚌
08SEP21
悲しいほどに安全な部屋にて
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?