『ななつのくにのものがたり』を観るために、あなたの14分を私にください
そういう話です。
『ななつのくにのものがたり』はRPGツクールで作られた短編アドベンチャーゲームです。製作者はポーン氏。ステッパーズ・ストップにて数多くのゲームを発表されていらっしゃいます。
フリーゲームフリークにとっては『雪道』や『灼熱姫』の製作者の方だというと馴染み深いかもしれません。近年では『シェフィ』や『Blade Rondo』などのアナログゲームのクリエイターとしてもご活躍されています。
そんな氏の作品が、この正月休みに、ぽんと作品を発表されまして。それがこの『ななつのくにのものがたり』というわけですね。
前述した通りツクール製のアドベンチャーゲームなんですが、ダウンロードは必要ない――というより、ダウンロードできません。
なぜなら、ツクールはツクールでも『RPGツクール SUPER DANTE』――スーパーファミコンで発売された、家庭機用のRPGツクールだからです。
当然、インターネットを通してダウンロードしたり、プレイすることはできません。
ポーン氏自身がプレイされた動画が、YouTube上にアップロードされています。それを見るのです。
https://youtu.be/pZtY_43VRrw?si=GaMVmWPjXvwB9EmC
動画時間14分ほどの、短い動画です。隙間時間に見られます。お昼休みとかでも見られるでしょう。
ですが、このミニマムな時間であるにも関わらず、視聴を終えた後には壮大な映画を一本見た後のような満足感と、何とも言えない寂寥感を抱えることになります。
私も、正月休みということで布団に寝っ転がりながら見始めたのですが、途中から居住まいを正し――エンディングを迎えるころには、なにかとんでもないものを観てしまったという感想を抱くこととなりました。
そういうわけだから、この感想を共有したくてこの記事を書きました。
あなたの14分を私にください。そして、この物語を見届けて欲しい。
それだけが、私の願いです。
🌵以下ネタバレ注意!!🌵
そういうわけでもう感想を吐き出さずにはいられないんですが、ゲームのつくりの都合上、何を言ってもネタバレになってしまいます。
なので、ここから先は絶対に、『ななつのくにのものがたり』を視聴した上で読んでください。いいですね? 観ましたか?
🐈………
🐈……
🐈…
やっぱり一番にこの作品の凄まじい点を挙げるとすると、非常にミニマムなつくりであるにも関わらず、壮大な世界の拡がりを味わい、そして、その終焉のカタストロフを感じることができる、ということになりますでしょうか。
製作ツールがPCではなく家庭用のスーパーファミコンで遊べる『RPGツクール SUPER DANTE』であるということも理由の一つなのかもしれませんが、とにかくつくりは非常にミニマムです。
マップの数も人数も非常に少なくなっています。『ななつのくにのものがたり』なんて壮大なタイトルからは考えられないほどの小ささに驚くはずです。
動画を観始めて最初の「ここは ななつのくにのひとつ、ひのくにだ!」というセリフを見た時には、おそらくほとんどの視聴者が「ああなるほど、最初は火の国のお城? お屋敷? から物語がスタートするんだな」と思うはずなんですが、その後の「ここは でぐちのくに」で「……ん?🤔」となりさらに「ぼくちくのくにへ ようこそ!」で完全に察するはずです。
この最初のマップ――とても大きいとは言えない室内の1マップに、7つの国すべてが存在しているということに――!
「いや国じゃないじゃん! 部屋じゃん! もっと言えば部屋の一区画じゃん!」
というツッコミをせざるを得ないんですよね。唯一のダンジョン……というか世界の外側に位置する無限に広がる「しめじのもり」ですらとてつもなく狭い。1フロア4×4しかない。
(余談なんですけど、なんかこの……部屋の中に国がある感じって、なんか幼稚園とか小学校のころの遊びを思い出しません? おもちゃで部屋の中にエリアを区切って「ここは何とかの国で~」みたいなことをやっていたのを思い出しました。そういう点でも何かしらのノスタルジィを刺激される部分があるのだと思う)
最初はそんなツッコミを入れていたにも関わらず、コルルとリロニカがクリアをするために旅から帰ってきたときの違和感に気づいたときは、思わずはちゃめちゃに衝撃を受けてしまうんですよ。国が……国が減っている!!
なんとか縮小を止めようとするも間に合わず、終盤、どんどんと世界が狭まっていき――。
最後は、ふたりだけになってしまいます。
世界にふたりだけとなりますが、ぎりぎりで「クリア」をすることができ、ゲームは終わりを迎えます。
そして、スタッフロール。ゲーム内では姿かたちを見ることなんてついぞなかった風景が次々と映し出されます。
森と青い空。砂漠、海、樹海、沼地、荒野、そして――街。
存在しない光景を見せられ、最初は不可解に思います。「これツクールにデフォルトであるスタッフロール画面をそのまま使ったのかな?」とか「だからゲーム内容と全然関係ない公開が映ってるのかな?」とか。
ですが、やがて思い至ります。
スタッフロールの光景は、たしかにこの世界にあったのだと。
プレイヤーがゲームを開始した時点の、あの狭い世界が、すでに縮んでしまった後の世界なのだと。
もともとは広かった世界が縮んだことにより、あの――子供たちの遊び場のような――狭さになってしまったと気づいたとき、鳥肌が立ちました。
寓話的な世界観が、実はポストアポカリプスであったのだと判明した時の衝撃。
ゲーム部分はとてもミニマムなのに、広がる世界はどこまでも大きかった。そういう点でいうと、このゲームがポーン氏の作品にしては珍しく、RPGツクールで製作されているというのも、非常に納得がいく話でして。
この世界の『狭さ』を味わうためには、やはりドラクエやFFのように、プレイヤーキャラを操作して、人と会話したりオブジェクトを調べたりという操作が必須になるでしょう。(必須とまでは言わなくても、めちゃくちゃ効果的な手法にはなる)
ステッパーズ・ストップのゲームはどれもかなりソリッドであるというイメージがあったのですが、この作品も例にもれず――あらゆる要素が削り取られ、極小の世界を歩かせた結果、逆に大きな世界の存在をプレイヤーに認識させているのだと、そう感じました。