メモの魔力と田んぼの風呂釜 【備忘録】
先日、「メモの魔力」という本を読んだので備忘録的に書いていきます。
メモの魔力
・実際のメモの仕方のHowtoというより、「なぜ」メモをとるのか
・メモをとるとどう思考が深まるか、メモの本当の効用とはなにか
について書いてありました。
特に印象に残ったのが、物事を「抽象化」するということ。
これをポイントにしてメモを取るということです。
これが鍛えられるツールとしてのメモであり、気付きを抽象化までもっていく。それを役立てることで人生が変わるという話でした。
抽象化
ここで、抽象化についてざっくり説明していきます。
どんな思考、どんな行動にせよ、まず解釈を含めない事実としての現象があるということ。(ここでは「ファクト」と読んでいる)
そして、その事実をもとにどんな解釈を自分で得たか、その事実を抽象化すると、世界で通用する真理につながるということ。
ここで言う「抽象」とは「具体」の対義語。いくつかの物に共通する真理を抜き出して抽出したもののこと。
具体例を出してみます。
Q,「りんご」「すいか」「メロン」「ぶどう」となると共通項はなんでしょう?
そう「くだもの」です。これも抽象。
Q,ではこれに「ボール」を付け加えてみるとどうでしょう?
「丸いもの」となります。
このように具体物から共通する真理を抜き出すことで、その時だけでなく他の場面でも応用できる知恵となります。
また、これは人間の「物を理解する力」を支える基盤にもなっています。
色々、学ぶことの多い本であったのですが、やはり僕には「抽象化」することの内容が面白かったです。なんとなく知っていたことでも改めて確認できると得した気分になりますね。幸せ。
さて、ここからは実践編になります。
田んぼの風呂釜
そして、いつもの散歩をしながらそれを思い出していたところ、あ、これだ!と思いついてしまった。(ここからが実践partです)
田舎道を車で走ったり、散歩していると田んぼがあります。よくよく観察してみると、小屋だったり物をおいてある場所がある。昔から気になっていたんですよね〜。
なんで田んぼに風呂釜?
これをメモの力によってなんとか抽象化して役立ててやろうと目論んだわけです。
Q,どうやって手に入れるのか
不思議ですよね。だって、風呂釜なんて一生にいくつも買わないじゃないですか。それが3つも4つもあったりする。自分で使っていたものをためていくのか、はたまたそれ専門の中古販売業者から購入しているのか。近所にお願いするのか、引っ越しや建て替えにいつも目を光らせているのかとか。
Q,本当に風呂釜か
そして、そもそもあれは使用済みの風呂釜と思い込んでいるだけで実はそれ専用の器具であるかもしれないということ。もしそうだとするならば、そんなニッチな商売が成立するのであろうか。昔、なぜ竿竹屋は潰れないのかという本があったが、そんな話なのか?
Q,なぜ、風呂釜なのか
他のものではいけないのか、それがベストなのか。しかも、全国で共通するものなのか、場所だけで一般的であるならば、それは特産品なのか。いや結構いろんな場所でみてきたから違う気もする。特産品として調べてみるか、しかし風呂釜を特産としているところなんかあるのか?金属加工が有名なところ……。新潟か!燕三条とかか?そこの田んぼでは恐ろしい量の風呂釜があるのか?初代田んぼ用風呂釜?わからん。そこから周りの人があ、良いぞとわれこそはと風呂釜を使い始めたとか。日本田んぼ風呂釜運用記?
Q,風呂釜をどうやって使うのか
うーん、水を貯めるという機能がまず想定される。そうか、田んぼでは水道を引いていないから……。しかしそんな貯めた水いる?汚なない?手とか洗うとかではないな、僕やったら嫌やし。ボウフラわかへん?大体水路ひいてるもんなぁ。農機具を洗うっていうのは一つ妥当かもしれない。物をしまっておくということもあるか?肥料とか?でも大体水入っているもんな、防火用?田んぼというより、畑だったらどうだ?確かに水やりとしては必要かもしれん。田んぼと思い込んでいただけなのかも。そこもチェックやな、自分がバイアスかかりやすいなぁと気がついたりする。
Q,そもそも実用ではない
実用ではなく、余暇としてではどう?ちょっとした憩いとして魚を泳がせておく、仕事の合間の涼をとる。優雅に。うーん、熱くて魚が死ぬかもしれんし、違うか。→そんなところがあるかは実際に見たらわかるかな。チェックしたらいいな。
と全く調べずに、今もっているものだけでなんとか問題を解決しようという試みは非常に楽しい。幸せ。
大体ネットで調べたらわかってしまう世の中で、あえて「今」ある力で進めていく。これは楽しい。
ある程度考えて、どうしても知りたかったら調べたら良い。楽しみはちゃんと味わうべきだ。曖昧なままな方が面白いこともある。
さて、なぜ田んぼに風呂釜があるのかという気付きから、実際に抽象化しようとこころみたのだけれど、何かを抽象化するところまでは至っていない。しかし、その工程として「自分の思考の過程」を知れたことは収穫だ。そしてなにより思考すること自体が楽しい。おそらく、その得られた気付きを抽象化して、たとえば「なにかに生かす」とか「ビジネスアイディア」に変換するというようなことにつながればより身をむすぶのでしょう。目的が大事ということなのかな。
いつかこれが世の役に立つネタになればいいけど。
まとめ
①気付き→
②フォーカス→
③現象のみを記述(ファクト)→
④何に気づいたのか
④−1その気付きを抽象化して、真理とすると……?
④−2その気付きに至ったプロセスで自分を知る。→
⑤その気付きをもとに行動する。
というような過程なのかなと。
なにかよくわからないけれど、暇なおっさんの楽しみ方が増えたなという話。
ちなみに、今日の散歩では田んぼで農作業をしようとやってきたおじさんと鉢合わせました。ドキドキして風呂釜について聞くことができませんでした。あ〜。
次は聞いてみたいと思います。楽しみはとっておくのも大事。
それでは、また明日!
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