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粥と山下公園


今日は横浜中華街へ。

横浜は日本における洋風ファッションの出発地の一つだ。
目的地を意識して今日はラルフローレンのカシミヤのネクタイを締め、身も引き締めて出発。
きっかけは、先日職場の先輩からおすすめして頂いたお店が中華街にあった為である。

目的は粥。

はじめて食べる中華風の粥である。

粥は幼いころ体調を崩した時喜びもせずに食べた記憶。これに引っ張られて、大人になってから好んで食べることはなかった。
人に勧められなければ粥を目的に今日横浜にくることはなかっただろう。 

謝甜記というお粥の名店で、昼時を外した14時でも満席であった。


風情ある店内、忙しさもあってか店員さんの案内はちょっぴり怖かった。
悩まずメニューの一番上にあった貝柱粥を頼んだ。

日本で粥といえば限界まで柔らかく炊いた無味のお米というイメージだが、中華の粥はかなりの時間米を煮ているようで米の原型は全くない。オーダーして程なくとろとろの真っ白なスープが運ばれてきたので一瞬戸惑って周りを見渡してしまった。
味はついているが、足りなければ別添えのネギ入り醤油をかけて下さいとのこと


とりあえずレンゲで一口。
熱い!危うくむせるとこだった。
コロナ対策の為終始換気をしているようで、少し肌寒い店内で熱いお粥がよく映えた。
上品なお粥であった。
とりの出汁と貝の出汁を合わせて米を煮ているようだ。味も舌触りも非常に滑らかですぐに次の一口に進んでしまう。
余計な調味料を感じない。油も最小限。米から滲んだナチュラルな甘みと出汁の旨味が柔らかく馴染んで、まるで微笑みのように穏やかな美味さ。
化学調味料の出汁の味に慣れた舌がこの繊細な美味しさをキャッチするのに数秒かかった。でしゃばるような味は一切なく
控えめで滑らかで純粋に美味しい粥。

そんなことを考えながら完食すると
芥川龍之介の芋粥を思い出した。
熱望するものを手に入れてしまった空虚さをこの満腹に感じた。
これに勝る粥に出会う日がくるだろうか。

横浜はまだ数えるほどしかきたことがない。
ふらふら写真を撮りながら山下公園にたどり着いた。
横浜は掘れば掘るだけ近代日本の華やかな記憶がでてくる街だ。しかし、この山下公園の下には悲しみの思い出も眠っている。
山下公園は関東大震災の残骸で埋め立てられた日本初の臨海公園だ。
白いベンチに腰掛けて海を眺めながら100年前のこの場所を想像した。



残骸埋め立てで脱線すると

第二次世界大戦の残骸で銀座は川を失っている。
新橋、数寄屋橋、鍛冶屋橋、京橋など地名としてしか残らない銀座の橋の名は埋め立てられた戦前の川の名残りだ。
河辺に多いはずの柳の木が今も銀座にあるのは元々自生していた柳のクローンを植え替えたものだという。
石川啄木が銀座の朝日新聞社に勤めていたゆかりで寄贈されたその柳のクローンが盛岡城跡公園にひっそりとあることを知っている人は少ないことだろう。

山下公園をあとにして
ゆっくり一駅歩いて日本大通り駅から日があるうちに家路についた。 


横浜は日本初とか最古の洋風なんちゃらだらけ!
深掘りするのは時間がかかりそうだ、、

うまれてはじめてお粥で熱くなった。
そんな1日。



おわり

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