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『芋粥』芥川龍之介 「これ分かるよね」と、人生経験豊富に

○はじめに

このnoteは、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語る設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『芋粥』芥川龍之介

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【芥川龍之介を語る上でのポイント】

①『芥川』と呼ぶ

②芥川賞と直木賞の違いを語る

③完璧な文章だと賞賛する

の3点です。

①に関して、通の人がモノの名称を省略するのはどの分野でも適用されます。文学でもしかり。「芥川」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関しては、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学に贈られる賞です。それ以上は僕もわかりません。調べてください。

③に関しては、芥川はその性格上完璧を求めるが故に、短文が多いです。僕個人短くて凝ってる文章が好きなので、まさに芥川の文章は僕の理想です。


○以下会話

■短くて完璧な文章

「そういえば今年も芥川賞決まったね。芥川の作品でおすすめか。そうだな色々あるけど『芋粥』かな。短いから読みやすいよ。

芥川龍之介はたくさん作品残しているけど、ほとんどが短編なんだよ。芥川は完璧主義者で、自分が世に出す作品は全て完璧なものじゃないと許せなかったんだよ。長文だと全ての言葉に高いクオリティを保つのが難しいから、ほとんどが短文でまとめていて、綺麗に完結に表現しているんだよね。

■芋粥を食べる願望

『芋粥』は芥川が24歳の時に書いた作品で、テーマは「願望」なんだよね。理想、欲望、願い。何かを望む気持ちの正体を探る小説なんだよね。

主人公は、平安時代に摂政の藤原氏に仕えたおじさん。この主人公が、ほんとしょうもない人なんだよ。いつも鼻水垂らして鼻が赤くて小さくてガリガリでみすぼらしくて、同僚に馬鹿にされても怖くて何も言い返せないどうしようもないおじさん。家族もお金もない、いじめられっ子の40歳なんだ。子供が犬をいじめているのを勇気出して注意したら、「うっせーくそじじい」って言われる弱々のおじさん。

そんなおじさんは文中でも名前は表記されてなくて、ただ「五位」とだけ書かれてるんだ。五位は役人の一番低い位のこと。

そんな毎日冷たい目を向けられてる五位が、今まで生きてこれたのは、一つの願望があったからなんだよ。それは「芋粥をお腹いっぱい食べたい」という願望。芋粥と言うのは、おかゆにさつま芋が入ってる甘い食べ物で、当時甘いものは貴重品だったから芋粥も高級品だったんだ。その芋粥を腹いっぱいに食べられたらなんて幸せ何だろうって思い浮かべて生きてきたんだよ。

実は五位は一度、芋粥を食べたことがあったんだ。それは仕えている藤原氏のお客さんに振舞われた余りを一口だけ食べた時なんだ。その美味しさが忘れられなくて、いつか腹いっぱいに食べたいって心の中で願い続けていたの。芋粥を腹いっぱいに食べること、それが五位の生きる希望で不遇な境遇を乗り越えて来た心のよりどころだったんだよね。

そんな願望を持っていたある日、藤原氏のお客さんにまた芋粥が振舞われて、その残りを食べる機会があったんだよ。五位は嬉しくてそわそわしてたら、その様子を同じ席にいた利仁(としひと)が見るんだよ。利仁は実在する武将で優秀で有名だったんだよ。五位が舐めるように芋粥を食べてるのを見て利仁が「おいお前はそんなに芋粥が好きか」って声をかけるんだよ。利仁は「そんなに好きなら俺様が腹いっぱいに食わせてやろう」って言うんだよ。五位はまず声をかけられてことに驚いて、でもその提案が嬉しくて、恥じらいながらも誘いを受けることにするんだよ。

■願望が叶う予兆と恐怖

そして芋粥を食べに京都から利仁の屋敷がある福井まで2日かけて歩くんだよ。屋敷に着くと、今日は遅いから明日食べさせてやるって言われ、その日は何も食べず寝るんだ。布団に入ると漠然とした不安が五位に襲ってくるんだよ。芋粥を食べたいという感情と願望を叶えたくないという矛盾した感情。そして段々とこのまま願望を叶えては駄目だっていう思いが強くなるんだよ。

そして翌朝不安を抱えながらも食卓につくんだよ。屋敷のお手伝いさんが大きな鍋で芋粥を作って、五位の前に持ってきた。五位はお茶碗を手に取りひとくち食べると、なぜかすぐお腹が一杯になっちゃったんだよ。まだ余裕はあるはずなのに、食べる気が失せちゃったんだよ。あんなに願っていたのに全然箸が進まない。

■願望が無くなった空虚感

芋粥の夢が過去のものになった五位は、幸福感に満たされておらず、逆に願望という長年の支えが無くなった空虚感に襲われてしまう。そして、芋粥を腹一杯食べたいと思ってたあの頃に戻りたくなる。芋粥を実現させた今と憧れていた昔を比較すると昔の方が幸福だったって、五位が昔を懐かしんでお話は終わり。

■皆が気づいていない繊細な感覚

芥川の人間性をリアルに描く力が伝わるよね。教科書に載ってる『羅生門』もそうだけど、芥川の作品の面白さは人間の繊細な感覚を綺麗に表現するところだよね。他の作品、例えば『鼻』もすごい面白いからぜひ読んでみてよ。

この作品のテーマは「願望」。誰しも多かれ少なかれ持っている願望をどう扱えば良いか考えさせられる作品だよね。願望は叶えることに意味があるのか、持つことに意味があるのか。五位は願望が叶ったことで活力を失ってしまうよね。もし五位の感覚を認めてしまったら、僕ら人間は何のために生きるのか分からなくなるよね。ずっと憧れ続ける人生が幸福なのか。願望とは何なのか。人間はこの願望に対してどう接して生きていくべきなのか。

■『芋粥』と『金閣寺』

『芋粥』と三島由紀夫の『金閣寺』が少しリンクしてるんだよ。『金閣寺』は、自分の頭で描いた金閣寺と実在の金閣寺に乖離があってそれに悩む話なんだ。つまり、『芋粥』は願望が実現してしまったことに対する落胆で、『金閣寺』は願望が現実と異なることに対する落胆なんだ。同じようなこと書いてるよね。人間の悩みの核心には共通するものがあるんだなって、人間が好きになるよね。

それと同時に、「俺は五位とは違うぜ」って鼻息荒くする人もきっといると思うんだ。「自分は目標を一度達成してもすぐ新しい目標を立ててアグレッシブに生きるんだ」って人は、もちろん何も間違えてなくて立派なんだ。だけど『芋粥』は意識の高さとか関係ない次元の小説なんだ。

芥川は、五位の感覚を普遍的なものとして捉えているんだよ。実際は多くの人がこの五位と同じ感覚を持っているけど、気がつかないフリをしてるんだよね。土日が好きって言いつつも、本当は金曜日が一番ウキウキしてたり、旅行そのものよりも準備の方が楽しかったり。そんな多くの人の心の底にあるけど無視している感覚を、見事にすくって表現してるんだ。是非今度感想教えて。」


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