岡本太郎さんについて
本日投稿した別の記事で岡本太郎さんについて少しふれましたので、こちらで説明を加えたく、再度投稿しました。
私は、岡本太郎さんと同じ日本人であることに感謝をしているくらい彼が好きです。
もちろん作品も素晴らしいのですが、作品自体がものすごく好きでその信者というわけではなく、考え方や生き方「やりくち」みたいな所に特に関心があります。
岡本太郎さんといえば
芸術は爆発だ!
が有名ですが、そもそもメディア露出をはじめたのは活動としては晩期(明治の終わりにうまれているのでTV活用は必然的にそうなる)
当時最新のメディアを上手く利用し、芸術家として自己プロデュースして、ある種少し壊れた感じを演出していたと思う。
裏方のアーティストが作品ではなく自分自身が日の当たるところに出て目立ち、発言力を得るにはそれが一番の得策だ。
(そのやりくちはダリに通じる)
長くなり過ぎるので彼の来歴はあえて詳しくは載せないが軽くふれる。
彼は作家の母と売れっ子漫画家の父のもと育った。家はかなりの金持ち。一人っ子であったが根っからアーティストの両親は子供より創作に命をかけていた。作品に母親からの愛を受けたかったコンプレックスを随所に感じる。
戦前にフランスに留学、専攻は芸術ではなく民族学。そして、フランスで世界芸術の洗礼をうけ、ピカソの作品に触れる。(フランス語ぺらぺら、フランスのメディアにも取り上げられている)大戦中は中国に派遣されていた。
帰国後彼は歴史や民族学の観点で日本中を取材して書物を多く書いている。それの内容が凄い。昭和という時代で日本人は多くの歴史を失っている。(風景や伝統継承)その失った部分を傍のカメラと共に素晴らしいく感受的文章で綴っている。令和の世ではあの旅はもう絶対できない。
描く(絵)ことと書く(文章)ことの境界線がない
彼はこの2つを同じだと言う。この考えは衝撃的だった。たしかに同じ「かく」だが明確に違う。これらを一体化しているアーティストは彼以外にまだ知らない。文章からもアートが漂ってくる。(気楽に書いている本も多いが)
私の彼との出会いは4年程前、縄文土器に興味を持ったのがきっかけだ。 それまでは頭が爆破している太陽の塔のおじさんだと思っていた。
私自身の歴史好きアート好きが転じて日本にある最も日本らしい古来の芸術とは何かを考えた時、石器や縄文土器が浮かんだ。
まだ北方系のモンゴロイドが稲作を引き連れて日本列島に到着する以前の話。
これを考古学ではなく芸術として捉えた一番最初の人は間違いなく岡本太郎だ。それに行き着き、どんどん調べているうちにのめり込んだ。
私が言うのはおこがましいが、ようするに気が合った。
そして、南青山のアトリエ跡、川崎の岡本太郎美術館に足を運び、関連書籍を図書館で読み漁った。その時、結果的に自分が感じたことを短くまとめてメモしておいたのが下記の文章だ。
2018 11月
岡本太郎さんについて 語る
彼を調べていくうちに破壊が創造の起源でありまた創造こそが真の破壊なのだと私は痛感した。
肉声、映像がが残る近世に生きた人物、しかも先進国において彼ほど肉と野生を求め純粋に生きた人間をわたしは知らない。
生と死が常に隣り合う先の果てしない究極の緊迫感とストレス、私達が想像もできないほど昔に人間が富も権利も差別も権力も存在しない自由で非力な動物だった時代に何万年もかけて成し遂げた環境との共存とこの星との同化、、、
文字にも言葉にも物にさえ残っていないことだって数えきれない程たくさんあるだろう。
完全に消え去ったはずの痕跡もない見えざるものを心眼で見抜き、近代世界が築き上た今人々を住まわせている不安定な価値観、
それを無と返すような超古代におけるプリミティブな美の感覚を持ち、全くの逆転的思想で現代と結びつける。
夥しい死の中の申し訳程度の生であったり、見すぼらしく歴史的に軽視され記述さえされていない美であったり、権利者による歴史の主観的な展開、輸入による型にはまった工芸品や支配階級の絢爛豪華な品々に文化は覆い隠され、それこそが現代にのこる遺産の全てだと思い込んでいる一定の価値観しか持ち得ない現代人に警鐘を鳴らしている。本能的でなおかつ誰もしていないという意味では未来的価値観を打ち出し、私達現代人がどのような世界を今後創造するべきかというテーマに対してヒントを与えてくれている。
そう、それは決して言葉では説明ができない答えの道標にしかならない。
それを私達に体感させる為だったのか定かではないが、 彼は自身の数奇な運命によって経済的な強さを持ちえ、メッセージを容易に発信できる立場を利用してより多くの人に認知させ、たくさんの作品と共に想いを後の世に託した。
彼はこのようなことを言うのである。
「俺の作品に柵や額は要らない。朽ちるのであれば構わない。次の岡本太郎がそれ(想い)をまたつくればいいのだから。」
あり続けることではなく、再生し続けることこそ永遠。
消えぬ魂こそが彼が最後に生み出した傑作なのかもしれない。
以上
追記すると
岡本太郎さんには戸籍上の実子も妻もいない。ただ、生涯つれそった養女、岡本敏子さんがいる。太郎さんの死後の彼女の活動によって岡本太郎がここにいるのは間違いない。彼女の文才と愛が、より禍々しく彼を映し出していることは岡本太郎さんを語る上で忘れてはならないことだと思います。