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アーカイブ・「私は貝になりたい」の頃は

今から17年前のある日
「古い理容店の資料がありますか」との電話があった
声の主は東宝映画の美術担当で、聞けば
「私は貝になりたい」を中居正広と仲間由紀恵でリメイクするとのこと
「私は…」は、戦争の非情と不条理を理容師の戦争体験を通して描いた
テレビ草創期の名作で、主演はフランキー堺
演出の岡本愛彦は鳥取県出身であった😍

映画は昭和15年から23年の高知県が舞台で
橋本忍脚本、福澤克雄監督
大きな理容店で働いていた男女が結婚し、中古の椅子を買って
小さな理容店を出すという設定で
その頃の椅子10台と資料を探しているという
当時の椅子は金属供出でフットレストが無いものが殆どで
完品はほんの少し
全国で古い理容椅子を持っている人に電話で交渉し
私の椅子も貸し出す約束をした😅
東京の理容店の建築写真集は持っているが
戦時中の田舎の理容店の資料は皆無で空白域となっている
ガスも水道もない時代、地方の理容店はどうだったのか
洗髪は服装は、化粧品は?と近い過去でも分からない事ばかり
私の店は温泉を利用していたので参考にはならない😓
隣町の老理容師に訊くと
その頃はシャンプーをしない店が多かったが
自店では井戸水を石炭ボイラーで沸かしていた
戦時中は薪になったという
服装は着物にたすき掛けで、下駄履きだったという
私の祖父の写真を見ると、スタンドカラーのシャツにズボン
祖母は割烹着なので、店によってかなり違っていたらしい
などと、資料探しに四苦八苦の毎日となった😓

大正から昭和30年頃の都会のアール・デコ様式の理容店
主人公が働いていたのはこんな店か
椅子はアールヌーボータイプで、背もたれがフラットに寝ますが
フットレストは金属供出で無い物が多い
左は明治時代、右は明治後期から大正の四つ足半寝椅子


後日、セット担当者が高知ロケの帰りに来訪されたので
古いシェービングカップ、粉石鹸容器、台皿を
他の資料と共にプレゼントした
いい映画が撮れますようにと願いを込めて…😅
とその数日後、今度はある演劇団体から
70年代の田舎の理容店の資料が欲しいとの電話が…
私は貝になってはいられない😅

明日に続きます😍

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