さて、感情の泥沼に肩まで浸かった私は周りに気づかれるほど、その泥にのまれていた。 何もできない、手につかない、うっすらとした希死念慮を感じながら1日を過ごし、そして勤務の日は出社して働いていた。むしろ働いている方が楽なくらいであった。 ひとりでいると泥沼に溺れるため、せっせと人と会うもこれまでどうやって友達と会話していたのか思い出せなかった。何もないふりで精一杯であった。 ちょくちょく実家に帰っては、Netflixでひたすらドラマを一気見していた。頭の中をドラマの物語でい
きょうだいと喧嘩した翌日「悲しいと思わなければいいんだ。」と小学校の廊下で思ったことをよく覚えている。小6よりも前だけど、それがいつかは記憶にない。 鈍化するとどうなるのか。 まず自分の感情が分からないので、何がしたいのかが分からない。そのため、周りの評価軸で物事を決めしまう。自分の答えではなく、正解を求めて完璧主義となり自分で自分を追い詰めて辛くなる。反転して何もしなくなる。 感情が分からないので落ち込んでる自分に気づくのに3日かかる。そこから記憶を遡って落ち込んでいる
先日、友人に好き勝手に話していた。 わたしもカウンセリングを受けてみようか。どれを受けたらいいのか。 小学生の頃にきょうだいと喧嘩し「悲しいと思わなければいいんだ。」と思い、感性を断ち切ってから感情の認知が遅いのである。覚えてるだけでも、中高生の頃で3日くらいかかった。当然、人間関係も上手くいかなかった。自分の言葉がないからだ。 大学生の頃からせっせと自分の感性を汲み取ろうと練習し始め、やっと最近になって「ゆっくりだけど、自分の感性を掴めてる感覚」を持てるようになってきた
初めての投稿。 アカウントは3年前からあったけど、ずっと書けなかった。何から書けばいいのか分からなかったからだ。 自分を振り返るツールにnoteを使おうと思う。書き言葉は話し言葉とは違った印象を与えるし、自分の頭も整う気がするからだ。 先日、旧Twitterで『いいかげんに生きづらさを終わらせたい』という電子漫画を買った。父親からのDV、男性からの性的被害を受けてきた作者がトラウマ治療を受けた体験記が描かれている。 読みながら「わたしはこのままでいいのだろうか。」と疑問