no.4 生活を営む
さて、感情の泥沼に肩まで浸かった私は周りに気づかれるほど、その泥にのまれていた。
何もできない、手につかない、うっすらとした希死念慮を感じながら1日を過ごし、そして勤務の日は出社して働いていた。むしろ働いている方が楽なくらいであった。
ひとりでいると泥沼に溺れるため、せっせと人と会うもこれまでどうやって友達と会話していたのか思い出せなかった。何もないふりで精一杯であった。
ちょくちょく実家に帰っては、Netflixでひたすらドラマを一気見していた。頭の中をドラマの物語でいっぱいにして、ぼーっとしていた。なにも生産性はないのに楽しかった。
やはり泥沼は肩まで浸かってはいけなかったようで、注意を泥沼から逸らすことで身体が泥沼から出てくるような気がした。3か月もするとくるぶしが浸かる程度になり、生活しやすさが戻って来た。感性を持ちながら社会生活を送る最適解の深さがあるのかもしれない。
独りでは生きていけないと分かったが、わたしが一人であるための泥沼であり、友人であり、仕事なのだとも思う。