no.3 鈍化のその先に

きょうだいと喧嘩した翌日「悲しいと思わなければいいんだ。」と小学校の廊下で思ったことをよく覚えている。小6よりも前だけど、それがいつかは記憶にない。

鈍化するとどうなるのか。
まず自分の感情が分からないので、何がしたいのかが分からない。そのため、周りの評価軸で物事を決めしまう。自分の答えではなく、正解を求めて完璧主義となり自分で自分を追い詰めて辛くなる。反転して何もしなくなる。

感情が分からないので落ち込んでる自分に気づくのに3日かかる。そこから記憶を遡って落ち込んでいる理由を考え始める。相手の感情も分からない、というか感じ取ろうとしないので、共感性もなければ優しさもない。

味や音に鈍くなる。
感覚を閉じて生きてるので、嫌いなものは少しの我慢で飲み込めるようになるし、自分の声の大きさや他人からの不快な音にも鈍感になる。未だに自分の声のトーンを聞きながら話せない。

20歳頃から自分の人生を取り戻ろうと手探りながら自分と向き合ってきた。
それから12年目の今、自分は感覚の底に触れている。成長過程での自然な鈍化はあるだろうけど、32年目相応の自分の感覚の底である。分厚い痂皮化した自己防衛のための膜を、削って剥いでめくって着地したそこは泥沼だった。

肩まで浸かれるそこは『千と千尋の神隠し』で汚い川の神様が入った後の湯船のようである。ただその汚さも臭さも懐かしくて悲しくて落ち着くのである。感情の波に揺られ、時折り頭から泥水を被って過ごしている。

さて、ここからこの泥をどうしようか。土となり私の足元を支えてくれるのだろうか。
しばらくはこの愛着のある泥沼で遊ぶしかなさそうだけれど。

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