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平凡な毎日を嘆かない(エッセイ)

年齢のせいにはしたくないが、朝起きて「今日は体調が絶好調だな」という日が少ない。
腰が痛かったり、なんとなく倦怠感があったり、二日酔いだったり。身体のどこかが不調をきたしていることがほとんである。

年に何度か、たまに朝起きて身体が軽く、頭は冴え、体調が素晴らしい日がある。
そんな日はそれだけで気分が上がる。
とはいえ、そんな日に何か特別なことが起こるかといえばそんなことはない。
何が言いたいかといえば、私の生活は体調の良し悪しに関係なく、基本平凡なのである。

しかし、そんな平凡な毎日を私は嘆くことはない。
これは年齢によるものだろうか。諦めとも違う。穏やかな気持ちで私は平凡な毎日を受け入れている。

若い頃はどうだったろう。
昔のことを振り返るとキラキラ見えるものである。だが冷静に考えると若い頃だって基本は平凡な毎日だったと思う。
今に比べれば刺激的なイベントは多かったかもしれない。それでも平凡な毎日の方が圧倒的に多かったはずだ。
違いがあるとすれば、若い頃は平凡な毎日を嫌っていたということか。それ故に毎日何かしら動こうとしていたことは認める。

最近はこう思う。
「特別な一日」はなかなか起きないから「特別」なのだと。


◇◆◇◆◇


フラワーカンパニーズに名曲『深夜高速』という歌がある。

生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった そんな夜を探してる

『深夜高速』


この歌は平凡な毎日、いや、もしかしたら平凡以下の毎日が生んだ歌だと思う。
そして私は、生きててよかったと思う夜は必ずあると思っている。
少なくとも私にはあった。
そしてそれは一度だけではなく、これから先も「そんな夜」が来ることを私は知っている。

だから私は安心して、平凡な毎日を受け入れてるのかも知れない。


◇◆◇◆◇


平凡と言えば、私は平凡な人間でもある。
いや、平凡にすら届かない人間だ。
こんなこと、声高々に宣言することではないが。

これも若い頃は、自分が平凡であることを嫌っていた。どこかで自分は特別なんじゃないかという期待と、特別でありたいという願望があった。
そしてあろうことか、自分は他の人とは違い特別なんじゃないかと少し思ったりもしていた(これが若さというやつなのか)

しかし、時が流れ私は自分が特別じゃないことを知っている(或いは、知らされた)
身の程をわきまえることも出来ている。
そりゃ、なにかしらの(出来れば望んだ分野での)才能があればなと最近でも思うことはある。
それでも私は今、卑下することなく平凡な自分を受け入れている。
自分が努力した分、それ相応の成果がでれば充分だと思っている。

こういう考えになると、天才なんてものは自分がならなくても(なれなくても)いいんじゃないかと思う。
放っておいても天才というのは出現する。もちろん、雨後の筍ほど出て来るものではない。
自分と同じ時代に色々な分野で天才が生まれ、その活躍を見ることはそれだけで凄く嬉しい。
自分でなくてもいいのだと、強がることなく思っている。


私の好きな落語家に橘家たちばなや圓蔵えんぞうという方がいる。
残念ながらもう亡くなってしまっているが、(落語四天王の)月の家 圓鏡から八代目 橘家圓蔵を襲名された師匠だ。

私が好きな圓蔵のはなしに『大山家の人々』という根多ネタがある。
本名の大山武雄からとったであろうこの噺は、自伝的な創作落語だ。
紙芝居屋から始まり落語家になるまで、家族のことやあにさん、師匠方との思い出噺だ。

圓蔵はこんな思い出噺を枕にもってくることが多く、そんな枕が私は好きだった。
『寝床』という噺では桂文楽かつらぶんらくとの思い出を枕で語っていた。

八代目 桂文楽と言えば黒門町くろもんちょうの師匠で通る大名人である。
圓蔵にとって文楽は大師匠(師匠の師匠)にあたり孫弟子になる。
前座時代、三年間文楽の内弟子になっており『寝床』は文楽の直伝ということで枕で文楽との思い出を語っていた。
こんなエピソードだ。

ある日、麻布十番で文楽の『景清』を前座時代の圓蔵は聞いた。
それを聞いた圓蔵は「こんな上手い噺、俺に出来る訳がない」と感じたそうだ。
「俺の後輩でもいい、俺を抜いていってもいいから誰か、この噺を継いでくれ」と思ったそうだ。
馬鹿な落語家は自分でも出来らぁとホイホイついていってしまうが、その点、文楽の芸を見抜いた前座時代の自分は偉かったと語る。

私はこのエピソードが好きだ。
自分じゃなくてもいい、誰でもいいからこの芸を継いでくれというところに最大限のリスペクトを感じる。
私にとっては圓蔵も立派な名人だ。私からしたらこのような師弟関係、師弟愛が世の中から無くならないで欲しいと願う。


◇◆◇◆◇


こんな話を書いていたら今日も一日が終わろうとしている。
平凡な男の平凡な一日が終わる。
でも、私はそのことを嘆かない。

どんなに平凡でも一生懸命生きていれば、生きててよかったと思える夜が来ることを私は知っているから。


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