村上春樹「猫を捨てる 父親について語るとき」(32-50)
2020年4月23日(木)に発売された村上春樹氏の新刊を著者の作品としては初めて電子書籍で読んでみました。
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある
ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた―――村上文学のあるルーツ(Amazon内容紹介より)
「猫を捨てる」という衝撃的な表題に私はとても驚いたのですが、あとがきで著者が述べていますが、父親について描こうとしたとき、長い間猫とともに過ごしている著者が「猫を捨てる」という行為を父親と行ったことを書くことですんなりと筆が進んだらしく、表題になったようです。
作品は著者が幼き日に聞いた父 村上千秋氏の悲惨な戦争体験を今改めて調べ直し、在りし父の姿と重ね書かれた作品です。
冒頭小学校低学年の頃父親と捨ててきた雌猫が、自分たちが家に帰るまでに帰ってきていたエピソードで、
その時の父の呆然とした顔をよく覚えている。でもその呆然とした顔はやがて感心した表情に変わり、そして最後にほっとした顔になった。
と語られた父の表情には彼の人生に影を落とした2つのことが暗示されています。
1つ目は檀家も多い京都の寺に6人男兄弟の次男として生まれ、僧侶となるべく幼くして他の寺に預けられるもうまく馴染めず、帰ってきていたこと。
親に「捨てられる」という1時的な体験がどのような心の傷をもたらすものなのか、具体的に感情的に理解することはできない。
と、一人っ子で大切に育てられた著者に語らせるほどです。
2つ目は小学生の著者に戦時中自分が属していた舞台が捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った父が、菩薩を収めたガラスの小さなケースに向かって毎朝お経を唱え、父親にとって1日の始まりを意味する大事な習慣だったこと。
悲惨をきわめたビルマ戦線に送られずにすみ、かつての仲間が空しく命を落としていったことは父にとって大きな心の痛みと負い目になっているはずで、父が毎朝お経を唱えていたことが改めて腑に落ちる。
と著者は語ります。
著者は落胆させ続けてきた父の歴史を語ることで、その内容が目を背けたくなるような内容でも自分の一部として引き受けなければならない、それこそが歴史の意味だと結んでいます。
作品としては短く、戦争の中で生きた一人の歴史を淡々と描いた作品です。
今年終戦の年に生まれた方も75歳を迎えられます。私の亡き父も徴兵検査にとおり、戦争へと出陣前に戦争が終わった一人です。
戦争を語る人がだんだんと少なくなる中、自分が今あるのは戦争という悲惨な時代を生き抜いた人の歴史によってあるのだということを今更ながら考えて欲しいという著者の思いをしっかりと受け止めたいと思います。
また本作イラストを手掛けているのは台湾の新進気鋭のイラストレーター、高妍(ガオ・イェン)さん。1996年、台北生まれで台湾と日本で作品を発表しているとのこと。見出し画像は本作の表紙を飾っているイラストです。
戦争を知らない若い世代の台湾の方が本作のイラストを著者が依頼した点も興味深いです。
村上春樹というネームバリューで、戦争を知らない世代に戦争をもう一度考えるきっかけになればと改めて思います。