わたしの生き方は
《ゲシュタルトの祈り》は
私にとっての
理想的な人間関係を
示している。
相互理解と 相互尊重だ。
そのためには、まず
自分を知って、受け入れ
相手を知って、受け入れないといけない。
自分のことはともかく
相手を知ることは
一朝一夕には出来ない。
受け入れるのは
その都度していけば良いけどね。
お互いがお互いを知るには、
時間と、言葉が要るんだ。
一方通行なんて、あり得ないよ。
二人で作っていくから
会うたびに変わる二人だから
なかなか理解は進まない。
いいや!
頭で理解してなくても
こころが通じてるって感じること
あるよね!
どっちにしても
完成なんてしないまま
一緒に変わって行く。
それでもしあわせなら
素晴らしいことだ。
わたしの元職は
スクールソーシャルワーカー
支援させてもらう時
ゲシュタルトの祈りの関係が
頭にあった。
頭においてるのは忘れるけど
心のなかには、在る。
子どもと家庭と学校
三者の力だけでは
健全な学校生活が送れない。
そんな時 家庭や学校に
改善提案をするお仕事。
「自分のことは自分で」決めてもらい 実行してもらう。
そのために
わたしは 新しい視点から
状況を見て
頭の中で組み立て直し
なんでうまく回ってないのか
動きを止めている要素を見つける。
そうやった後に
どのようにかして
その人が困ったと感じない方向に
動き出すように提案する。
動き出し、
改善の方向に動きだしたら
支援は終わり。
そこにわたしの主観がはたらく。
それを知っているから
独りよがりで仕事してないだろうか
心配してしまう。
自分の苦しみの海におぼれかけてる人だからわたしが差し出したワラみたいな提案でも受けてくれているのかも…
自分を信頼できてないのです
ありのままに生きるって
簡単に言うけど
誰にも出来てないじゃん
ありのままに生きたいって
思ってるときは
そうじゃないってことだろう
理想と現実の間で
ずっと自分を責めていた
仕事だから 口にも 顔にも出さなかったけど
でも
立石さんの言葉は
今日のわたしに響いた
そうなんだよね~
立石さんのそういう生き方って
特別の誰かじゃなくて
漠然と「人のため」だ。
だから私も
同じ思いで 仕事しても良いんだ、って。
なんだか ちょっとだけ
明るい方に顔が向きました。
干渉しすぎてはいけないけれど
私の主観ではあろうけれど
今のやり方で
良いんじゃないか。
それしか出来ないのだから
悩まないでいいよ、って思った。