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人間という、働きアリ
僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい
そっくりに出来てるもんで よく間違われるのです
「良い人」とは、「都合の良い人」である。
優しい人が良い人なのは、その方が自分にとって都合が良いからだ。人間というものの出来の良さは、とどのつまり自分にとってどれだけ都合が良いか、もしくは誰かにとってどれだけ都合が良いかによって決定される。
つまり、我々は誰かにとって都合が良くてはならないのだ。誰かの役に立たなければ、人間という製品であるところの我々は意味を成さない。ちっとも吸引力の無い掃除機と変わらないのだ。誰かの役に立たなければ、”良い人間”に成れない。
例えば人を殺した人がいたとする。これは悪い人間だ。では、なぜ悪い人間なのか。それは、社会にとって都合が悪い、すなわち他者にとって都合が悪いからだ。
我々はそういった人間を、都合の悪い人間として、つまり出来の悪い製品として社会から排除する。不良品を廃棄処分するように。
都合の悪いものを、不良品として排除する。”人間”という言葉には温かみのある心を感じさせるが、実際のところは利己的な都合によって支配されたシステムでしかない。自己都合でプログラミングされたそのシステムは、集合となることで社会という巨大なコンピュータを作り上げる。
良いことをした、悪いことをしたと、心の温もりのようなものを匂わせながら、我々は結局プログラム通り動いているだけだ。我々は必死で社会にとって都合の良い人間を演じることで、社会が正しく動作するように動いている。エラーを起こせば、司法や行政といったウイルスバスターに消されてしまうのだから。
朝の8時。駅へ向かう道では、大勢の人が駅に吸い込まれていく。誰もなにも考えてなどいない。アリの行列になって、ただ、歩いている。プログラミングされ、あらかじめ決められているかのように。まるで背中に銃を突きつけられているかのように。
実際はただ、会社へ向かっているだけだろう。しかし、会社へ向かわなければならない。会社に向かわなければ、誰かにとって都合が悪くなる。都合が悪くなれば、”悪い人”になってしまう。悪い人は、社会にとってエラーだ。エラーは排除されてしまう。
この世に”三角形”というものは存在しない。顕微鏡レベルで見れば、それは三角形ではないからだ。つまり、我々の頭の中にしか”三角形”は存在しない。
人間も同じかもしれない。
”人間らしい”という言葉はありながら、人間らしい人間などいない。
本当はもっとシステマチックな、無機質な、ただの働くアリでしかないのかもしれない。