ASOBIJOSの珍道中⑳(MARCO執筆):モントリオールでわくわくどきどき路上パフォーマンス⭐︎
数秒ごとに襲ってくる猛烈な痒みと闘いながらこれを書いている。夜も眠れぬほどの強い痒み。夫に「モントリオールでやった、日本舞踊と尺八の路上パフォーマンスについて書いてくれ」と言われたが、そりゃもうかきたい。かきむしりたい。しかしそれでは治らないのでゴソゴソと体勢を変えながらなんとなくやり過ごす。尻の穴が痒い。猛烈に。
それで今ふと思い出したけれど、そういえばモントリオールでも同じことが起きた。あそこは乾燥しているので、毎日シャワーを浴びていると体の水分が全部持っていかれる。まず顔全体が砂場のようになり、頭皮がパサパサになって痒くなり、背中が痒くなり、最後は尻の穴が痒くなった。夜も眠れぬほどの強い痒み。夫がポリポリと股間を掻きながら「え、毎日シャンプーしないの?汚な」と言ってきたが、黙れ asshole! モントリオールで買った薬用保湿クリームは毎晩、たっぷりと、顔と尻の穴に塗られた。せっかく帰国した今は、やっぱり新しいことにチャレンジしてみたいということで、「オシリア」なる軟膏を購入することにした。名前からしてなかなかチャレンジングな買い物だ。こういうとき、私はいつもコーディネートを迷う。いかにも尻が痒そうな、いかにも尻にトラブルを抱えていそうな格好…例えばヨレヨレのスウェットとか、色の抜けたTシャツとか、そういうもので行くべきか、はたまた、キリリとした眉とツルツルのスカートでギャップを狙っていくべきか。今回は前者にし、特に他意はなく、本当に、ついでに、生ハムも手に取った。レジは大学生らしき若い女性だった。会計時、心なしか半笑いに見えた。「オシリア」のパッケージは、生ハムのパッケージの上にピタリと伏せられていた。
本題といこう。路上パフォーマンスの話だ。路上パフォーマンスではいつも着物を着た。そのために着物や帯を何組もカナダに持ち込んだのだが、なんとなくしっくりこなかった。着物気分には湿度が必要らしい。あのベタベタどろどろとまとわりつく感じ。どうりで日本では、愛に狂った女の執念が蛇になって男を焼き殺したり、鷺(さぎ)になった女が愛した男との日々を思い出しながら業火に焼かれたりするわけだ。一方、室内干しバスタオルが一晩で乾くカナダ。台所にほったらかしたクッキーが永遠にサクサクのカナダ。清姫がもしカナダ人なら、蛇になんかならずにマリファナでも吸ってさっさと次の男にいっただろう。鷺娘だって熊でも狩って今ごろ業火でバーベキューだ。Tシャツでも着てなさいよ。
ちがう、路上パフォーマンスの話だ。路上パフォーマンスをする際は、よく、近所の売店でどろどろに甘いチョコレートを買っていった。袋を開けるころには半分溶けていた。だいたいスーパーに行ったって買いたいものがないし、今晩食べたいものが浮かばないのがカナダ。プラスチックのパックに入った手のひら大のクッキーはなんだかギトギトしているし、野菜は寝不足の夫くらいしなしな。魚も冷凍か、白くて臭い川魚しかない。そういう魚はしこたまハーブを仕込んでオーブンで焼いて、食べるころにはもう元が誰だったか忘れてしまう。学生時代の夫もだいたいそんな感じだったらしい。だからチキンを食べた。毎日果敢に食べた。チキンだけはぷりぷりジューシーで、オーブンで焼くと皮がパリッとした。この、モノが溢れているくせに貧しいスーパーの中で、手羽元10本セット11ドルだけは、いつも両手を広げて私たちの胃袋を慰めてくれた。よく2割引になっていた。
路上パフォーマンスの話に戻そう。私はバタバタと踊り、夫はピロピロと吹いていた。だが顔だけは人間国宝そのものだった。威厳と慈愛で満ち満ちており、鋭い眼光を放ったかと思えば菩薩のような光をまとった。それを、「極東アジアの見知らぬ美学、我こそは理解できるぞ」という風に、神妙な面持ちで観ている爺さんたち。すかさず夫が「日本舞踊は歌舞伎や芸者文化から生まれ、尺八は禅僧の祈りから発展した。」とMCを挟もうものなら、私たちの下駄はまるで如意棒のごとく、天まで伸びて見えなくなった。
待て待て、路上パフォーマンスの話だ。だいたいイライラしながら家を出た。なんせ大変だった。演目の準備、荷造りや運搬。やっとの思いでパフォーマンス予定地に着いたら雨。イライラも土砂降り。せっかく組んだ機材を屋根の下に避けて、雨が止むのを待つ。ある日わたしは居ても立っても居られなくなって、ぺったんこの草履を脱ぎ、5歳児のように、裸足で雨の中に飛び込んだ。音楽はない。雨の音と冷たい感触だけ。着物がどんどん濡れていく。でもそんなことはどうでもよかった。ポリエステルだから。