【寄稿者:杉本恭佑】小さくはじまる「個人の拡張」としての「場」を考える(寄稿記事vol.6)
みなさまこんにちは、きょーちゃんです。
場の発酵研究所にはフェローとして関わっています。
簡単に自己紹介をすると、宮崎県を軸に場をつくっている人です。
「場づくりをしています」って自分から言うことって、気づけばなくなってきた気がしていて、なんとなく言葉として避けていた気もするなぁと思います。解釈が人によって変わる言葉であり、いい感じに聞こえる言葉で何も説明していない気がしていたからかもしれません。
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ちょっと話は逸れましたが、改めて自己紹介を。
熊本県出身で、大学時代に過ごした宮崎を大好きになった人です。
宮崎をフィールドに自分が関わる人たちを幸せにしていけたらなと思っています。
仕事としては、リアル・オンラインのイベント企画運営、ゲストハウスの運営、本屋のオーナー、企画旅行の仕事、地域留学プログラムの運営、メディア運営、ECサイトの運営、あたりのことをしてます。自己紹介がどんどん下手になってる気がします。
先日会社もつくった時に、しっかり目にnoteを書きました。
このnoteを読んだ後に僕に興味を持った人がいたらこちらも読んでみてください。
▷ 会社設立報告note
「個人の拡張」について書いてみる
場の発酵研究所の皆さんのnoteを読んで、自分は何を書こうかなと考えていました。(めっちゃいいnoteなんで読んでみてくださいね)
さて僕は、「個人の拡張」としての場に書いてみようと思います。
場づくりの定義も、場の定義も様々ありますが、僕が場として捉える時は、「ある人がいて、そこに誰かが参加した時や関わった時に生まれたものについて」じゃないかなぁと思います。
人じゃなくても動物や物や空気でも、何かがあれば場になるのでは?ということは一旦置いといて、今回は人と人とで、ね。
例えば、絵を描く人が絵を褒められた時に嬉しいのは、絵が自分から生み出されたものであり、少なからず絵に自分という要素が入っているからだと思います。人との関わりの中に生まれる場も同じで、自分から生み出された場がある時に自分が拡張された感覚があります。
初めての場づくり
前何かのインタビューで「初めて場づくりをしたのはいつですか?」と聞かれたことがあります。いつだろうなと考えてみたら、多分小学2年生ぐらいの時に企画した花見かなぁと思います。
(ちょっと昔話を)
いちご農家の息子として生まれた僕は、いちごシーズンには家の手伝いをしなければいけませんでした。休みの日は遊びたいのに手伝いがあるから遊べない。でもめちゃくちゃ遊びたい。どうやって遊ぶか考えた時に、昼休憩の時間に目をつけます。12時から13時までの間はお昼ご飯の時間なので、お手伝いをする必要がありません。じゃあその時間に遊びたいと思うけれど、どこかに移動する時間もないし、みんなもご飯を食べる時間だから遊べない。だったら、うちのすぐ近くにある公園にお花見と称してみんなが弁当もってくればいいじゃないか!自分が移動しなくても、食事の時間でも遊べる!と思って、声をかけて5,6人が集まりました。僕は集めるだけ集めてご飯食べて、13時になると「じゃあ手伝いあるから!」って1人で帰るという、13時以降のフォローアップが何もない場だったなぁと今考えると思います。笑
この話をすると、「きょーちゃんは声かけて人が集まる人気者だったんだね!」って思われるかもしれませんが、決してそういうわけではありませんでした。足が遅く運動神経が悪い自分は、全然モテるわけもなく、人気者とは程遠い存在でした。ただ、花見という目的をつくって、人を集めて、来た友人たちが楽しんでいる時間をつくれた時に、自分が承認される感覚があったのかもしれません。
もちろん、鮮明に覚えているわけではなく、後付けのような話ですが。
その後も自分で遊びをつくって遊んだり(SASUKEっぽいアトラクションとか、アメフトをもじったスギフトとか)、飲み会や仲間内の旅行の企画を行ったり、意識をしないままに、自分が拡張されて承認される瞬間を心地よいと感じ、場をつくり続けていたのかもしれません。
僕は自己肯定感があまり高い方ではなく、自分自身がすごいやつでも、めっちゃ面白いやつだとも思ってないんですが、誰かとの関係の中にある場においては自信を持っていいと思えるなぁと思います。場を通して拡張した僕をみて、承認できている感覚があります。
社会課題としての場
こちらの連載のVol.5で徳田さんが書かれていた記事の中で「行動の中には社会的課題があるのでは?」と書いてありました。
(その後ろに、個人の課題であることもあるよね、と。)
それを読んだ時に、いつも自分は自分のために場をつくることが多い気がするな…社会課題とか考えてたっけ…と思ったんですが、自分がやってきた場づくりを振り返ってみると、コロナ禍で学校に通えない大学生を対象にした地域留学プログラム「ヤッチャの学校」や、商店街で気軽に立ち寄れる場所がないことを課題と感じてつくった「無人古本書店 ほん、と」も、今書いたように何かしらの社会的課題を解決しようとしてたなと腑に落ちます。場というものを通して、自分を拡張し、社会的課題を解決する。そんなアプローチで自分は動いているんだぁと思いました。
自分のためだけに場をつくることももちろんします。
個人の拡張によって自分を認めることができると知っているから。
そこにも社会的課題を考えるとするならば、「自分はモテないし人気者でもないし価値がないのかもしれない」と思っていたあの日の僕や、今のそんなことを考えてしまう人たちに、あなたは色んな方法で拡張できるし、そこに自分を認めることができる価値があるかもしれないよって伝えたいのかもしれません。
今回の定義では、人と人の間に場が生まれるという話をしました。なので、自分が場をつくらずとも、誰かとの関係に入っていくだけでも、あなたは場を構成する大事な要素になり、価値が見えやすくなるよとも、伝えておきたいなと思います。
「場の発酵研究所」という名前に沿うならば、発酵して出来上がっていくものに、水も麹も空気も全て、意味があるものだから、ね。
この寄稿を書くことになった時、問いを投げるような文章を書こうかなと思っていたけれど、気づいたら昔の自分と、その自分に似ている誰かに向けての文章になっていました。
そういう感じも良いでしょう。
場の発酵研究所を通して、みなさんと場をつくれたら嬉しいなと思います。
これからよろしくお願いします!
杉本
Twitter:https://twitter.com/kyo_miyazaki
note:https://note.com/kyo_miyazaki
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いつもご覧いただきありがとうございます。一緒に場を醸し、たのしい対話を生み出していきましょう。