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(250130)あなたの歌に 私は帰るのよ さみしいときはいつも

体調不良から休養、回復をして出かけてはまた体調不良を繰り返している。

2025年1月15日(水)
皮膚の不調が治ってきたら今度は普通に風邪のようになってしまった。大人しくしていようと思いぴゃっと何冊か本を仕入れ、その中の1冊に山本文緒『無人島のふたり: 120日以上生きなくちゃ日記』があった。冒頭を少し読んで、ちょっとまずいかもな…と思うも薄い本だしそのまま読む。そもそも僕は山本文緒が亡くなっていたことを知らなかったのだが、この本はがんで亡くなった著者の最期の日々を書いた日記となる。とはいえ明確にいつ死にますと言われる訳でもない(当たり前だが)ので著者はあくまで普通に、でもやっぱりある程度は人生の風呂敷を畳みつつ過ごす。僕は人が死んでしまうノンフィクションが苦手で、どうしても本人とか周りの人の気持ちとかを考えてしまいしんどくなってしまう。この本もしんどくはあったけど、闘病記的な趣は薄かったし、死んでしまう人の周りの人が書く本みたいなのが一番苦手なので、本人の筆で、というのは意外と読むことが出来た。
作中で著者がある本を読んで『死ぬことを忘れるくらい面白かった』と評する部分がある。この一行が一番、死を目前にして生きることを感じた。自分の死を確信しながら生きる状態って、もしかして一番生きてるのかもとか思う。

2025年1月17日(金)
ランチの予定があり二子玉川まで行く。オリンピックくらいの頻度でしか行かない街、二子玉川。最初は慣れない街に戸惑うも高島屋の地下でやってる催事に独特の盛り上がりがあり友達とふたり、ものすごく楽しんでしまった。地方の食品会社などがいっぱい集って実演販売みたいなことをしていたのだけれど、こういう普段買わない珍しいものを雰囲気で買ってしまう、みたいなイベントってこんなご時世だしよく考えたらきっとある程度裕福な人が多い地域でしかもう盛り上がらないのかもなと思う。めちゃくちゃ高そうなコートとサングラスのおばさまがすごい勢いで試食をして大量購入する様子に謎のアドレナリンが出た。
それから高円寺に行った。蟹ブックスに行きたかったのだ。去年読んだpha『パーティーが終わって、中年が始まる』が良すぎて、彼のSNSなどで話題に出る(というか本人が店番をしている日もある)蟹ブックスに行きたくてしょうがなかった。前は近所に住んでいたし何度か行ったことがあるけどなんとなくぬるっと見て出てしまい良さを享受できていなかった。冷静に考えればああいう店は服屋でいうならセレクトショップなのだし、購買体験もだけど品揃えや発掘を楽しむべきなのだ、みたいなことを駅前の喫茶トリアノンで友達と話し蟹ブックスへ。トリアノンも良い喫茶だよね。大好き!店員さんが絶妙にやる気のない飲食店の愛おしさの正体って何なんだろう。蟹ブックスは良すぎて2時間くらい居てしまった。客がみんな静かに何かを探して回遊する様子が水族館の小さな水槽のようだと思う。宮地尚子『傷を愛せるか 増補新版』とphaの同人誌を購入して出る。傷を愛せるかなぁ。
文化、って感じの一日だった。

2025年1月18日(土)
昨日の二子玉川の興奮が収まらず今度は麻布台ヒルズに行く。ちょっとしたデートだった。噂通りあまり人がおらずうろうろと殆ど散歩に近いウインドウショッピングをするのには(そもそもハイエンドな物しか売ってないのでウインドウショッピングしかできない)最適なのではないでしょうか。
コム・ン トウキョウというすごく有名(らしい)なパン屋でいくつかパンを買ってそこら辺の椅子に座って食ったら美味しすぎて夢かと思った。パンがあまりに美味すぎてその後の記憶がない。
二子玉川、麻布台と行ってみて思うが、富裕層の多いエリアのショッピングモールには椅子、というか座れる所が本当に多い。優しい街たち。

2025年1月22日(水)
先週一緒に蟹ブックスに行った友達がまた蟹ブックスに行きたいというので行った。友達は一時帰国中の海外在住者なのだが、普段住んでいる国に帰る前に本を仕入れて帰りたいとのこと。蟹ブックスに行き吉野家で牛丼を食べてデニーズでデビルズブラウニーパフェを食べた。友達も僕もなんだか人生の岐路におり、本屋行ってチェーン店で飯食うだけでテンポラリーな幸福度はものすごく高くなるのに人生全体は暗礁に乗り上げがちなのはなぜかと話す。
夜に別の用事があり水道橋に移動する。JR水道橋の駅にはセブンティーンアイスの自販機がある。駅にあるセブンティーンアイスの自販機が好きなので行く度に見てしまう。おじさんとかが自販機でアイス買う姿が好き。あと自販機そのものもJRの駅に設置してあるのにSuica対応してない不器用さとかが好き。しばらく控えていた飲み会に復帰する。NoNoGirlsのラップのまねをずっとしていたら躁状態だと思われる。最近はずっとナチュラル躁かもしれない。

2025年1月24日(金)
街に出るか家に居るかを葛藤し、街に出る。移動時間に茨木のり子『ハングルへの旅』を読む。書かれたのがまぁまぁ古いのでなんとも時代性があるが、言語を学ぶ喜びや当時の韓国の文化風習が著者の言葉で書かれているのが良かったし、詩人の言語センスというか着眼点の鋭さが単純に勉強になった。韓国人はとにかく耳が良い人が多いから韓国語の外来語単語は元の言語(主に英語)に発音が凄く近いという話が面白かった。続いて著者は韓国には耳が良い人が多いからあんなに歌が上手い人が多いと分析している。確かにK-POPには耳が良くて歌が上手いタイプが多い気がする。なんか逆に日本で歌が上手い子はリズム感が良い子が多いような気がする。その違いも感覚的なものだけど。違いはなんなのだろうか。
二丁目で飲む前に腹ごしらえをしようとフレッシュネスバーガーに入ったら、夕方から閉店までずっとハッピーアワーというクレイジーな営業スタイルをやっており友達とすっかり楽しくフレッシュネスで酔った。チェーン店って大好き!

2025年1月27日(月)
コーチングを勉強しているという先輩にコーチングをしてもらう。練習台だ。ぼやかして言うなら僕の問題は確固たる目標があるわけではなくやんわりと避けたい将来を避けられればよいと思っているところのようなのだが、みんなそんなに確固たる目標と共に生きているのだろうか?最悪を避けられれば良い、みたいなテンションで生きているものなのではないかと思うが恐らくこういうスタンスがコーチングというポジティブなイベントに向いていないなという自己分析に帰結した。
なんかあれです、僕はたぶんジャンプ台を探さなくていいような人生を求めているだけです。と『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を引用したところ、何?何の話?となったが、わかってもらえなくても自分の目標みたいなものはまぁああいう感じなのではないかなと思った。出来ることなら『アルプスの少女ハイジ』の世界観で生きていきたい。
コーチングそのものが良いかはよくわかんなかったけど(てか終わってないけど)、自分の人生の棚卸しみたいなものはして損はないなと思った。

2025年1月29日(水)
最近、はてなブログで流行っている記事を見るとだいたい聖書を引用した謎のコメントがついている。見るものではないなと思いつつコメント主を見にいくと案の定アポカリプス的な思想のあるアカウントでうぉ~と思う。終末ってやっぱり恐ろしいものなのだろうか、皆一緒に死んでしまうならいいんじゃないかなと思ったりするけど。そうやって啓蒙とかして自分だけ生き残ってしまう方が僕にとってはよっぽど怖い。
縁あり、きちんと話すのはほぼ初めての人と飯に行く。一昨日のコーチングを引きずっており軽く将来の不安などについてぽろりと口にすると相手が『僕は将来より今年の7月の方が怖いですね』と言う。何?と思うと今年の7月に大津波が来るような予言が流行っているそうだ。予言があろうがなかろうが大災害は怖い。
1月は止まっていたみたいな時間が動き始める感覚があった。実際に動き始めていたし。それと同時に人の不安とか死とか終末みたいな事由に触れることがなぜか、偶然多かった。ていうか、そういう歳に繰り上がってしまったのだと気付く。自分が歳を取って周りの人も同じように歳を取る。楽しく無思考でいる時間より不安に苛まれる時間のが周りも多くなってきているのかもしれない。陰鬱との共存みたいのがちょっと昨今のテーマになりつつある

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