据え膳食わぬは男の恥ってなんだよクソ
先日、彼氏とディズニーリゾートに行きました。写真はそのときの写真です。
歩きながら撮っちゃったんだけど、iPhoneはすごいね、撮りたいものだけはブレずにあるね、
そんなことはさておいて。
彼氏とはもうほんとに仲良し、春から遠距離になるので、時間が合えば会っています。
それでもやっぱり心のどこかで大好きだった人を思うわけです。
お風呂とか、寝る前とか、1人の時とか、夜バイトから一人で帰る時とか、生理前とかね!
彼氏のことは本当に大好きで、私のことこんなに好きでいてくれる人がいるんだ!と思うし。
でもそれは、彼が私のことを無条件に(?)好きでいてくれることに甘えてるんじゃないかと思うことが少なくないです。
好きになってくれた人がたまたま彼だっただけで、違う人でも私は付き合っていたかもしれないなあと。(でも、一丁前にコイツは付き合えるけどコイツならダメみたいな線引きもあるからやかましいよね)
それは彼に対してひとつも誠実ではなくて、なんなら最低だと言われてもいいくらいだなあと思うわけです。
大好きだった人のことを思い出すと同時に、今大好きな人を傷つけていること、本当に良くないなあと思っています。
でも、多分この先ずっと、もし今の彼氏と別れて違う人と付き合ったとしても、大好きだった
人と付き合えなければ、私はまた、相手を傷つけながら大好きだった人のことを思うんだろうなあ、と思うと仕方がないのかもしれないなという最悪な結論に至りました。
今でも会った日の時の会話を思い出しては、自分の改善点を考えてしんどい思いをしています。
そしてこの最悪なタイトル、据え膳食わぬは男の恥。
なんだこの男の都合でしか作られてないことわざは。
普通に生きてりゃ知ることの無いことわざを私は18歳の時にキモイ男から教えられて(これもまた最悪だけど、この男のことは少し美化してしまっていてそれもまたつらい)今に至ります。
私はひとつも据え膳じゃないわ!という高貴さというか己の強さみたいなものがあれば、男も「あっ、まだ食っちゃいけないんだな(汗)」みたいなことになったのにな、という反省が1番でかいです。
こちらはひとつも据え膳だと思わず提供してると言うのにちゃっちゃと箸を手に取りパクパク食べるだけ食べて、えっ?食べちゃダメだったの?ごっめ〜ん!みたいな顔してどっか行くんだから。最悪だよ。食ったものは吐いても元の形には戻らないのに。
大好きだった人は34歳にもなって安定したパートナーもいないから、私は諦めるに諦められないのです。
だって私若いし、加藤茶だって若い子と結婚したし、って心のどこかで思ってしまいます。(加藤茶の場合はプロ彼女なだけだと思う)
若い女で自分のこと好きならそいつでいいじゃん!何がダメなの?って思っちゃうんです。
あなたが年寄りになってもそばにいたいなと思って言ってんのにね!
まあでもこうして考えると、大好きだった人はもしかしたら誠実なのかもしれません。
据え膳は食うけど、据え膳という名のファンのことは食うけど、自分が好きだと思った女の子と付き合いたいのかも。
高校生の時に1度玉砕し、また20歳、成人を迎えて玉砕してもまだ懲りずに好きでいる。もうこれは長い間培ったものを裏切れないという思いもあるのかもしれないけれど、本当に好きだったんだよね、
彼氏には大好きだった人の話をするかいつも悩んじゃいます。
嫌われるか、何も気にしないかだけど、多分気にするタイプだし、私のこと好きなら嫌なんじゃないかなって。
私が言って自己満足でスッキリしたいだけなら言わずに抱えてそのまま死んでやろ〜とも思います。私のこと大事にして、大切にして、大好きでいてくれる人をわざわざ傷つけたくないからね、もう既に知らないところで無意識に傷つけてはいるのだけれど。
私が好きだった人に告白したのも自己満足なんだけどね。自分の中で抱えきれなくなったクソデカ感情を相手に2度も押し付けてしまったなと今になって思えます。
今の彼氏は恋人としてみたいな好きだと思ってくれたので私も精一杯好きでいようと思います。
彼氏の感情は自己満足ではなくて、私の思いも汲んだ言葉や考えであって欲しい。
大好きだった人が多分この世で1番好きで、大好きだった人がまだ表で活動するんだったら私は多分ずっと好きだったな〜あ〜〜好きだったな〜〜と思いふけてパートナーを傷つけてしまうかもしれないけれど、そのままでいいのでしょうか。