シビル・ウォー アメリカ最後の日

アメリカの分断の状況から、「今起こるかもしれないシチュエーション」としての内戦を描いた映画ということで、非常に期待していた。私も好きな『アナイアレイション~全滅領域』の監督であるアレックス・ガーランドはしかし、アメリカのリアルな現実をそのまま反映させることは避けている。本作で対立するのは連邦政府に対し、カリフォルニアとテキサスの連合軍「ウェストフォース=WF」。現実には、カリフォルニアは民主党支持、テキサスは共和党支持の多い州で、両者が組むことは考えにくい。これは、イデオロギーに反応することで、本作のテーマがぼやけてしまうことを回避したのだと推測。主人公はカメラマンだが、主人公たちが今どっちの軍に随行しているのかすら、見た目ではよく分からないようになっている(これも、意図的にやっていると怖もっている)。
直接にではないが、間接的には分断の空虚さについて十分に語っている。例えば、主人公達が大統領にインタビューに行く道中で、スナイパーと交戦中の兵隊に出会う。誰と戦っているのか訊くと、「わからない。撃ってきたから」と言っている。対した大義もなく、相手が誰かも分からず、何故戦うのかもよく分からず戦っている。なぜ人々は分断しているのか、なぜ紛争がなくならないのか、実はそんなに対した理由がないんじゃないの、と言っているのである。
また、道中で出会う別の兵隊(ジェシー・プレモンス)は、やたら人を殺して、死体の山を築いている。彼は差別主義者(中国人と名乗った男を殺す)のようでいて、その実、適当な理由をつけて殺しているだけ。その直前には別の仲間を殺しているし。これも、「大義もなく人を殺す」というメッセージだろう。この映画は実は戦争映画ではなく、ロードムービーと呼ばれ、よく『地獄の黙示録』と対比される。私も、それぞれのエピソードが独立しており、順序を入れ替えてjも成立するところが似ていると思った。
また、ストーリー的には実はあまりサプライズはなく、最初に登場人物が揃った時に、「こいつとこいつ死ぬんやろな」と思った人物がその通り死ぬ、というね。外れなかったです。
当初の主人公はベテランのカメラマンリー(キルステン・ダンスト)で、ジェシー(ケイリー・スピーニー)は、彼女にあこがれる若手のカメラマン。だが、ジェシーはどんどん物語の中で成長していき、クライマックスでは、銃撃戦の中、リーは何もできず立ち竦んでしまうのに対し、ジェシーはどんどん決定的瞬間をカメラに収めていく。それに気付いたためか、世代交代をさとったのか、ジェシーが撃たれそうになった時、リーは自分が身代わりに撃たれ、ジェシーを救う。しかし、ジェシーはそれでもひるむことなく、ついにWFが大統領をとらえた瞬間の撮影に成功する。
これは一見ジェシーの成長物語のようでいて、最後に彼女が得たカットは、獲物としてふさわしいものか?WFは最初から大統領を生かしておくつもりはなく、命乞いをされても容赦なく銃殺。ある意味、この場面が一番残酷とも言え、非常に苦い終わり方になっている。勝ったけど、その先にまったく明い未来が見えない。アメリカだけではない、世界の現実はこうですよと訴えているように私には思えた。アメリカの特定の状況を反映させなかったのも、この空虚さと残酷さに普遍の意味を持たせるためだったと思っている。
YouTubeで本作の感想動画を流し見していて、このある意味バッドエンドに拒否感を示す方もいた。だが、私はこれでよかったと思う。変に主人公に達成感を与えても、それは本作の趣旨とは異なる。報道の勝利としても同じことである。
最後に、本作はIMAXで鑑賞したが、銃声を含め、音響はすばらしく、実際に戦場にいる臨場感がすごかった。また。時間が取れれば鑑賞したい。

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