『登校拒否のエスノグラフィー』朝倉景樹著.1995

本の6割(約200頁中120頁)は東京シューレの話。


第3章 東京シューレの社会秩序

3‐2. 東京シューレの社会秩序

3-2-iii. 活動とその運営

3-2-iii-A. 勉強

(b) 授業の参加

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他にも、授業の参加が自由であるために起きる問題がある。それは特に英語などの系統的に習得していくことの必要性が高い授業の問題である。例えば、前回の授業でやったことをもとにさらにその発展的な内容をやろうという場合に、前回の授業に出席している子としていない子がいる場合がある。そういう場合、前回の授業でやった内容を既知のものとして授業を進めると、前回の授業に出ていなかった子には難しい内容となる。反対に前回の授業の内容を繰り返すことになると、前回の授業に出ている子には退屈なことになる。

メモ者注:フリースクールの強みを生かすなら、前回出席した子が出席してない子に教える時間にすればいいのに。


第4章 <登校拒否>をしている子どものアイデンティティ

4-2. <東京拒否>をしている者の3つの自己定義

A. 学校に囲い込まれる子どもたち――学校中心の社会構造

B. 「今は学校に行っていないもの」としての自己定義

「学校に行けないんじゃなくて、行かない」というように自分の<登校拒否>のことを説明する子がシューレには多い。この「学校に行けないじゃなくて、行かない」という言葉にも使う子どもによって2通りの意味がある、1つは、次に取り上げる「自分で選んで学校に行っていない」というものであり、もう1つが、ここで取り上げる「私は、学校に行けないんじゃなくて、学校に行っていないんだけど、学校に行かないことに決めたわけじゃない」という自己定義である。従って、この子たちの少なからぬ子は、中学はもう行く気がしないが、高校は逝こうかと考える子どもたちである。こういうふうに自己定義をする子は15歳までの子に特に多い。15歳より大きい子にもいない訳ではないが、15歳より大きい子では少数派である。1993年1月現在では、6歳から18歳までの東京シューレにいる子どもたちの中で、約4分の3が15歳以下の子どもたちである。中学校卒業者の約95パーセントが高校へ進学する現在の社会において、子どもにかかる高校進学への圧力は「大人」が考える以上に大きい。一端学校へ行かないことを受け入れた<東京拒否>をしている子の親でも、高校に行ってさえくれれば中学校へは行かなくても仕方ない、と考えている親もいる。したがって、東京シューレでこの型の自己定義をする子が1993年1月現在では最も多い印象がある。

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C. 「学校に行かないことを選んだもの」としての自己定義

学校に行かないことを選んだということは、学校に行かないで生きていく、高校卒業・大学卒業の肩書きを持たずに生きていくことを選んだ子どもたちということになる。

登校拒否で(学校に)行けなくなっちゃって、て言われたんですけど。僕は、シューレに来て、結構変わったのは、その、登校拒否したときは、行けなくなった、という方が正しいけど。今は自分で学校に行っていないし、行かないっていうふうに思ってます。

こう言ったこの子のように、学校に行かないことに対して割り切れている子どもの自己定義がここでの「学校に行かないもの」としての自己定義、ということになる。こういう自己定義をしている子は高校受験を迎える15歳を過ぎた年齢の子どもに多い。しかし、15歳以下の子どもにもいないわけではない。「勿論、といってはこれまた変かもしれぬが、高校なんて行きたくない」と15歳ではっきりいう子もいる。この子は14歳の時に、

 高校はいかないと思う。中学を卒業したあともシューレにいるかいないかわからないが、とにかく親の補助のあるうちは、あっちをふらふら、こっちをふらふらしていきたいと思う。
 私は極めて楽観的な人間だから、今、何をやっていなかったら生きていけないだろうなどということはあまり考えたことはない。だからというわけではないが、特別人生の計画もない。とりあえずちょっと働いては世界中ふらふらして、30歳ぐらいになったら日本に帰ってきてなんか一山当てるか、というのが、今ほとんど冗談で考えていることである。たぶん、それでなんとかなるだろうと思っている。

とも書いている。この子たちは子どもは学校に行くべきではない、学校は不要だ、と考えてはいない。「学校は行きたければ行けばいい」と考えている子が多い。自分が学校に行かないことに割り切れている子たちの特徴は、この14歳のこの文章にもあるように、将来に対して強い不安を持っていないことである。より正確に言えば、高校卒業、大学卒業の学歴を無しに社会に出ていくことに対して強い不安を抱いていない子たちである。

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「学校に行けないもの」と自己定義している子、「今は学校に行っていないもの」として自己定義をしている子、そして「学校に行かないことを選んだもの」として自己定義している子、この子たちの自己定義に、親が大きな影響を与えている場合が多い。「学校に行けないもの」と自己定義している子の親には現在籍のある学校にできるだけ早く戻ってもらいたい、あるいは戻ってくれたらなあ、と思っている親が少なくない。「今は学校に行っていないもの」と自己定義している子の親には、「シューレにいるのは高校(中学卒業)まで、高校にいくのは当たり前」そこまでいかなくても「

お母さんが何気無く進路のことを聞いてきたりするの。洗濯物とか取り込みながら『ねえ、高校はどうするの』とか言ってくるわけ

」というように強制はできないが本心としては是非高校にいって欲しい、という願いがある親が多い。それに対して、「学校に行かないことを選んだもの」と自己規定している子どもの親は必ずしも高校へ行ってもらわないと困ると考えているわけではない。・・・


4-3.3つの自己定義の相互作用

A. 変わりゆく自己定義

すでに述べたように<東京拒否>をしている者としての自己定義は不変のmのではない。・・・

どのように<東京拒否>をしている者としての自己を定義するかは個々別々のことである。個々別々のことではあるが、東京シューレの子どもたちの姿を通して見るとそこには1つの傾向が現れてくる。学校外の居場所のひとつである東京シューレに子どもが初めて来るときには、少なからぬ子どもは「学校に行けないもの」として自己定義している。しかし、「今は学校に行っていないもの」として自己を定義している子や、「学校に行かないことを選んだもの」として自己を定義している子たちと行動を共にする中で「学校に行けないものとして」事故を定義していた子たちは、「今は学校にいっていないもの」として自己定義するような傾向がある。・・・そして、「今は学校に行っていないもの」として自己を定義している子たちのなかには、時が経つにつれて「学校に行かないことを選んだもの」と自己定義するようになる子が少なからずいる。しかし、先述のように高校に進学するかどうかという選択への家庭からそして社会からのプレッシャーは非常に大きい。・・・

最近東京シューレに来るようになった子たちの間に、学校に行かないことに強い不安を持っていながら来る子たちが増えてきた。それには、<登校拒否>の増加に伴い東京シューレのような学校外の居場所が世間で認知されるようになっていったことと、そして文部省が学校外の居場所を<東京拒否>をしている子の通う場所として公に認めたことの影響があると考えられる。1992年3月に文部省初等中等教育局によって作られた学校不適応対策調査研究協力者会議による最終報告が出された。

学校外において登校拒否児童生徒に対する相談・指導を行うものとしては、適応指導教室、教育センター、児童相談所などの公的な機関もあるが、公的な指導の機会が得られない、あるいはそれらに通うことも困難な場合で本人や保護者の希望もあり適切と判断されるときは、民間の相談・指導施設も考慮されてよい。

この報告ではじめて文部省が学校外の居場所を<登校拒否>の子どもが通う場所として「考慮されてよい」とした。さらに、1992年9月24日付けの都道府県教育委員会宛の通知の中で学校外の居場所などの「民間施設」での通いの日数を学校での「出席扱い」とする方針を明らかにした。これらの時期に、「特異な子供の得意な行動」という<登校拒否>をしている子への見方を「どのような子にも起りうる」と変えたため、<登校拒否>をしている子に対する風当たりが少し和らぐ条件が1つ増えたはずである。しかし、文部省が学校外の居場所等「民間施設」に対する扱いを変化させたことによって、かえって<東京拒否>をしている子どもが家にいづらくなってしまった。・・・

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