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サリンジャー「倒錯の森」

五つの短編が含まれているが、何といっても「倒錯の森」が素晴らしい。

(この「倒錯の森」だけは、中編といってもいい長さではある。)

こんな小説が書けたら死んでもいい。
あるいは死ぬときはこんな小説を読んでいたい。
というくらい。

壊れた詩人と、その詩人に壊される女の話。

「荒地ではなく 木の葉がすべて地下にある 大きな倒錯の森なのだ」

サリンジャーの物語はいつも「俗世」と「そうではないどこか純粋な世界」とが出てくる気がする。

あらすじがどうこうよりも、小説から発せられる光でぐいぐい読み進めさせる。
文章の密度が高くなく、少しの「すき間」が文章にあり、そこから発せられる木漏れ日のような光。
思春期のせつない記述から始まり、大人になって少しずつ壊れていく人間達。その崩壊には思春期のせつない記憶が多大に影響している。
俗世間では「精神的に壊れている」と呼ばれる芸術家達。しかしそれを「壊れた」と呼ぶのは果たして正しいのかな?

お風呂で読んでて「まだ読みたい、まだ読みたい」となって、お風呂からなかなか出られない、そんな本だった。
そして読み終えたことがさみしくなる、まだまだ読んでいたい本だった。

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