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新卒7か月で転職、転職先は適応障害で退職。社会不適合の私がフリーランスで生活できるようになるまで

1.すべての選択を間違えてどん底だった私がフリーランスになるまで

読みにきていただきありがとうございます。

今、昔の私と同じように
「自分って何も続かないダメ人間じゃん」「社会不適合かよ」
と自分に絶望している人にとって
少しでも何かのきっかけになればいいな、と思い書き始めてみます。

伝えたいことはたったひとつ。
何回道を間違えたって「人生おわり」になんかならない
ということです。

私は、早稲田大学というまぁまぁ学歴のある大学を卒業しました。

友達の誰もが大手企業に就職して
初年度からびっくりするようなボーナスをもらっている中、
私は社員7人の中小企業(というかほぼ零細企業)に就職しました。

なんでそんなことになったかというと
大手コンサル会社にせっかくもらった内定を
なんと内定式後に辞退してしまったからです。

「内定式まで出て辞退とかできんの!?」
という声が聞こえてきそうですが、できました。笑

実家の会社がどうとか、一応大義名分はいろいろあったけど
1番の理由は、入社前に取らないといけない3つの資格を
1つも取れなかったから。

要するに、逃げたんです。

今思えば資格を取れなかったからといって
怒られることはあっても
入社を拒否されることなんてないのに

それまでの私は勉強で挫折したことなんてほとんどなくて
何十人と同期がいる中でひとり
資格がない状態で入社するのが怖くなってしまいました。

内定式後なので、それが10月のできごと。

社会人になるまであと半年もないところで
就活すべてふりだしに戻った私は
「Re就活」という第二新卒専用の転職サイトで見つけた
楽そうで、条件が良さそうな会社を選びました。

今となってはこれも間違い。

一般的な就活の時期は過ぎていたものの
まだ新卒ではあったわけで
もっと真剣に、10月でも新卒を募集している会社を
探せばよかった。

でも当時の私は
夏以降も新卒募集をしている会社があるということすら
知らなかったんです。
それまで、6月でさっさと募集を締め切ってしまう
大手企業しか見てこなかったから。

そんなふうに選んだ会社だから
いい会社なわけもなく、、、

毎日「辞めたい」って言ってる人たちと
毎日同じ仕事を繰り返す日々で

「やばい、こんなところにいちゃだめだ」という焦りから
入社7ヶ月で退職。

昔から少しウェディングプランナーの仕事に
憧れていたこともあり
第二新卒(2回目w)でブライダルの会社に転職しました。

プランナーの仕事はすごくやりがいがあって楽しかったし
今でも「あそこよりいい人が集まっている会社はない」と
断言できるくらい最高のメンバーに囲まれた職場でした。

お?やっと選択成功か??

と思いきや、そううまくいかないのが人生。

そもそもプランナーの仕事って、想像通りめちゃくちゃ大変で
残業70時間に収まれば大成功、
常に90時間の労基アウトラインを超えないように
先にタイムカードを切ってから残業する毎日。

毎日0:02の終電にガンダで滑り込んでいました。
(私は終電があったからよかったものの、会社の近くに住んでる子達は平気で3時4時まで働いていました)

それに加えて「一生に一度」を背負うプレッシャーって
想像していた以上に大きかった。

担当のお客様のことは、自分たった1人しか把握していないから
私が間違えたり、私が何かを忘れていたら、もうおしまい。

毎日不安で、怖くて、休みの日もずっと
「あれやったっけ?」「あれ忘れてないかな?」と
ずっと考え続けて気持ちが休まる日がありませんでした。
(普通にお客様から電話もかかってきてたしね)

そこに追い討ちのように、コロナの波が押し寄せました。

それまでハードスケジュールと、プレッシャーを
なんとか結婚式当日を迎えられた瞬間の感動で
乗り越えていたのですが

コロナでキャンセルや日程変更が相次ぎ、
ついに政府からも「〇人以上の集まりは原則禁止」的な声明が出されて
先1年くらいの結婚式はゼロに。ボーナスもカットで毎月ギリギリの生活。

心がポキっと折れてしまいました。

気がついたら毎日ものすごく体調が悪くて
夜眠れない、朝起きても身体が動かない、
電車に乗っても気分が悪くて降りざるを得ない…
「このまま働き続けるのは無理だ」と休職を決意。

色々調べて心療内科に辿り着き、診断されたのは「適応障害」。

そこから2ヶ月休職し、そのまま会社員を辞めることになりました。

復職でも、転職でもなく
会社員を辞めようと決めた理由はこちらの動画でお話ししています↓

会社員を辞めた時や、休職期間中は
「なんでみんなできてることすらできないんだ」「社会不適合だ」という焦り
「今までの道全部間違ってたじゃん」という後悔
「これからどう生きていけばいいんだ」という不安で
押しつぶされそうでした。言葉通り、毎日泣いてました。

そんな私でも今、フリーランスになって
無理のない働き方、自分らしい生き方をしながら
ボロボロの会社員時代より稼げるようになっています。

何度も道を間違えたと思いました。

ちゃんと自己分析して就活してればよかった。
資格なんか取れなくても逃げずに入社すればよかった。
新卒枠でもう1回就活すればよかった。
ダメなら就職浪人でもすればよかった。
もっと仕事を知ってから会社を選べばよかった。
もっと自分の心と身体を大事にすればよかった。

後悔は、挙げればキリがありません。

どれも「あれでよかった」とは思えないけど、
失敗だらけの道を辿って行き着いた今の自分は、悪くないと思ってます。

たくさん遠回りしてきたからこそ
こうしてYouTubeやインスタグラム、note、ラジオで
みんなに伝えたいことができて、それに共感してくれる人たちと出会うこともできました。

綺麗事抜きにいえば、会社員時代の何倍もフリーランスで稼げているので
大手コンサルにあのまま入社していた場合の年収と
あんまり変わらないところまでこれたとも思います。
(もちろん失った5年間の間もそこにいれば貯金も何倍もあったはずなんだけどね…..チーン😇)

間違った過去をなしにすることはできないけど、
何度間違ったって「そのせいでこの先の人生がうまくいく可能性ゼロ」
にはならないんです。

「一度やめちゃったから、二度と正社員には戻れない」とか
「無職の期間があったらおわり」とか
「今スキル何もないから、この先何もできない」とか
そんなふうに、今の状況だけで未来が決まっちゃうなんて思い込み。

私の周りには、そんな定説全部覆すような生き方をしている人たちが
たくさんいます。

大変な遠まわりをした間に進んでいる友達を見て惨めな気持ちになったり、
過去の自分を怨み始めて眠れなくなったりもするけれど、

「人生おわり」なんて思わないでほしい。

これまでのことは変えられなくても、これからのことはなんとかできる。

過去の失敗に対する絶望感を克服なんてしなくていいから、
ガンガン引きずったままでいいから、
一歩だけでも前に足を出してみてください。

「なんだ、まだ歩けるじゃん」

って気づけるから。


ということで前置きが長くなってしまいましたが
(ここまで全部前置きだったんかーい!)
ここから「新卒7か月で転職、転職先は適応障害で退職した社会不適合の私が、スキルゼロからフリーランスで生活できるようになるまで」
超〜〜〜〜細かく、リアルにお話しします。

ここまで読んで「まさに今の自分状況だ」と感じてくれた人がいたら
きっと何かのヒントになると思います。

というかそのまんま真似していただければ
少なくとも同じ結果は得られると思います。
だって、なーんにも持ってないダメ人間だった私でも
できた方法なんだから。


2.私が適応障害に気づいた時のこと

「適応障害」という言葉、最近はよく聞くようになりましたが
まだまだどんな病気なのか、詳しく知られていないのが現状です。

知られていないがゆえに、まだまだ
「甘えだ」とか「メンタルが弱い奴がなるんだ」とか
「悲劇のヒロイン病だ」「病気だと思いたいだけ、気持ちの問題だ」
なんて私のYouTubeにコメントしてくる方もぜんぜんいます。

そもそも、自分が知っている範疇の外にあるものを
自分のちっぽけな価値観だけで判断しようとする傲慢さが
井の中の蛙すぎて大っ嫌いだけど(急に大毒吐く)

「知っている人」と「知らない人」の壁はやっぱりすごく大きくて
ちょっと説明しただけで簡単にこえられる壁じゃないから
同じ状況の人同士で、共感し合って、お互いの希望になっていくのも大事。

ってことで、私が適応障害に気づいたきっかけをまずお話ししてみます。

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24歳/新卒2年目の会社員/エッセイスト,コラムニスト/早稲田大学文化構想学部卒業/趣味は美少女鑑賞です